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研究会「美術雑誌の情報共有に向けて」

2018年3月16日(金) ※終了いたしました。
午後2時00分~午後5時00分
東京文化財研究所・地階セミナー室
受講無料・要申し込み

 日本では近代以降、“美術”という概念が西欧よりもたらされ、制度やメディアを通じて浸透していきます。なかでも近代化の進んだ印刷技術を背景に、陸続と刊行されていった美術雑誌が果たした役割は大きいものでした。図版を多用しながら定期に刊行される美術雑誌は、美術関係者や愛好家にとって視覚的かつ即時的な情報発信/供給源として機能していきます。美術家たちの集う諸団体においても、そこで発行される同人誌の類は彼らの絆を確かめあい、また喧伝する場としての役割を果たしました。
 当研究所では、昭和7(1932)年より始められた明治大正美術史編纂事業の一環として、美術雑誌を含む明治以降の日本近代美術資料の収集に努めました。さらに昭和11年から編纂を開始した『日本美術年鑑』においても、「美術文献目録」の項目を設けて、新聞や雑誌に発表された美術に関する文献を目録化し、活用の便宜を図ってきました。
 もとよりインターネットが普及した今日では、その蓄積された情報をより効率的に発信することが求められるでしょう。一方で経年による、もしくは戦時中の粗悪な紙使用による原資料の劣化という、保存をめぐる切迫した問題にも直面しています。美術雑誌という豊かな情報源を現在に生かすには、どのような手立てが考えられるのか――今回の研究会「美術雑誌の情報共有に向けて」では、明治~昭和戦前期の美術雑誌を具体的に取り上げ、あらためて美術史研究資料としての意義を検証するとともに、その情報の整理、公開、共有のあり方について検討する機会としたいと思います。
近代に刊行された美術雑誌タイトルの一部
(左から『みづゑ』第1(明治38年)、『中央美術』第1号(大正4年)、『日刊美術通信』更生第2号(昭和9年))

2018年3月16日(金)
午後2時00分~午後5時00分 於 東京文化財研究所・地階セミナー室

東京文化財研究所の美術雑誌 —その収集と公開の歩み
塩谷 純(東京文化財研究所 文化財情報資料部 近・現代視覚芸術研究室長)
 東京文化財研究所には、その前身である美術研究所の昭和5(1930)年開設以前に刊行された、明治・大正期の美術雑誌が数多く架蔵されている。これは昭和7年より開始された明治大正美術史編纂事業に負うところが大きいだろう。本発表では、同事業や『日本美術年鑑』(昭和11年創刊)編纂との関連から、当研究所での美術雑誌収集の歴史をひもとき、さらに近年におけるウェブ上での公開の事例を紹介することにしたい。


『日刊美術通信』から見えてくる、もうひとつの昭和10年代アートシーン
大谷 省吾(東京国立近代美術館 美術課長)
 『日刊美術通信』をご存じだろうか。昭和10(1935)年に創刊し、昭和16年に『美術文化新聞』と改題して昭和18年まで続いた、いわゆる美術業界紙である。B5サイズ表裏2ページ(ときに4ページ)という実にエフェメラルな体裁のため、所蔵する機関がほとんどない。しかしここには、『アトリヱ』や『みづゑ』といった主要誌からはこぼれてしまうような情報が満載である。いくつかの事例を挙げながらその重要性を指摘するとともに、今後の有効活用について提言したい。


「美術」雑誌とは何か ―その難しさと価値をめぐって
森 仁史(金沢美術工芸大学柳宗理記念デザイン研究所シニアディレクター)
 日本では、「美術」も「雑誌」も新来の概念であった。このため、近代以前に培った芸術的領域の流儀や文字情報の伝達手法をそれぞれヨーロッパの型枠に流し込まねばならなかった。そこで生ぜざるを得なかった齟齬や日本の「美術」の現場は同時代的のメディアとしての美術雑誌に反映され、記録された。現在の美術研究はこうしたアマルガムをあるがまま分析対象ととらえ、そこから日本美術の存在意義を紡ぎだそうとしている。

ディスカッション、質疑応答
塩谷純大谷省吾森仁史、司会:橘川英規(東京文化財研究所 文化財情報資料部 研究員)

申込方法
事前申込制

聴講者数を把握するために、事前申込制とします。聴講をご希望される方は、下の申し込みフォームよりお申込みください。
■定員:80名(申し込み先着順)
■受講料:無料
■申し込み期限:2018年3月9日(金)
(定員になり次第、締め切らせていただきます)
※ご応募が定員を超えましたので、受講お申し込み受付は終了いたしました。
■申し込み・問い合わせ先
東京文化財研究所文化財情報資料部
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
電話03-3823-4829 ファックス03-3823-2371
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