各セッション主旨説明
第1セッション:モノの年輪
 このセッションでは、モノが時間的に移動することによって、モノに起こる出来事に注目してみたいと思います。あらゆるモノは、存在するだけで時間軸上を移動しているといえます。その履歴はあたかも年輪のようにモノのなかに内包され、その総体が意味を持ったり、その一部が時と場を得て注目されたりします。たとえば、中国の宮廷コレクションの所有には、コレクションに含まれる作品が持つ年輪の厚みの総体がもたらす「過去の所有」としての意味があるでしょう。日用品として生まれたモノが本来の用途を離れて、美術品や文化財へと姿を変え、文化財として位置づけられつつも、時に茶会に使用される、といったこともあります。さらには、バーミヤン大仏の破壊による消滅も時間的移動の断絶といえるでしょう。これら時間軸を移動するなかでモノに刻み込まれてきた年輪とは一体、いかなるものなのでしょうか。
第2セッション:モノの旅行記
 「うごく モノ」というとき、わたしたちは真っ先に空間の移動を思い浮かべることでしょう。モノは売買・譲渡・収奪…といった人為的な手段によって、ときに本来の居場所を離れ、国境を越え、世界中を駆けめぐることがあります。モノの移動は人が移動する旅とはどうちがうのでしょうか。そして、このモノの目線からその足跡をたどってみたらどのような光景が広がってくるでしょうか。たとえば、朝鮮半島で雑器にすぎなかった井戸茶碗は、海を渡った日本で茶道具として珍重されてきました。この空間をただようモノにまつわるもろもろの記録・旅行記を繙くことで、モノは旅先でのさまざまな体験を語り出すはずです。本セッションでは、四方を動きつつ人の思惑と営為に幾重も彩られたモノに、しばらく目を凝らしてみたいと思います。
第3セッション:モノと人の力学
 このセッションでは時間・空間とともに、モノに係わるもうひとつの視点“コンテクスト”にウエイトを置いて、モノの社会的機能について考えてみたいと思います。
 モノは時間・空間を移動する際、コンテクストが変わることはいうまでもありませんが、現象的にみてモノそのものが全く動かない「移動」と呼べる例があります。清凉寺式釈迦如来像の模刻による各地への伝播や、景徳鎮磁器の代用としての伊万里製品のヨーロッパにおける席巻といったオリジナルと分身・複製の問題、あるいは、歴史的建造物やモニュメントの再評価などがこれに属するでしょう。
 もとより、これらが起こり得るのはモノそのものに価値を認めてのゆえんであり、その価値を形成するコンテクストはモノに向きあう人とモノとの関わりのなかで生じることはいうまでもありません。本セッションは、こうした事例の紹介を積み重ねながら、モノの移動を促す本質に迫ることを目的としています。