ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

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概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

でもなく人である。出勤した人がどう動くのかを把握すれば、手洗い場や便所、休憩室も生産と無縁ではないことがわかる。実際に生産を行うには、人がそれを管理する必要がある。富岡製糸場では繰糸場と揚げ返し場の間に、工務室があり、また教婦の机があった。写真3は富岡製糸場の工務室の現状である。什器の大半が撤去されており、わずかに黒板が往事の機能を伝えている。富岡製糸場は操業停止時のまま残っている印象を受ける。1987年に操業をやめて以来、片倉工業が管理してきた中で、機械類はその場に保全されたが、什器類は他に転用先があれば持って行ったということであろう。あるいは、市に移管されてから、片づけられた部分もあるかもしれない。このような場所で行われた仕事を把握して、復元展示することも産業技術を伝える上での課題である。機械があって作業者がいれば生産ができたわけではない。揚げ返し機が並ぶ揚げ返し場の工女は、身一つで機械の前に立つわけではなく、近くに写真4のような作業台を置いて作業した。機械は往々にしてこのような作業のための道具と組み合わせて使われる。富岡の残りが良いというのは、こういうものも含めてであるが、それでも作業している状態に置いてあるわけではなくて、最後の作業日に片付けた状態、あるいはその後更に片付けた状態で置かれている。それを、機械の前に戻し、糸や道具をつけてはじめて、技術を示すことができる。そこで人がどのように作業し、また作業台には何が乗っていたのかなどを聞き取りで固めないと産業遺産としての価値は保存できない。工務室の机の配置や、そこに座った人がどのような役割を担っていたのかも、聞いておかないとわからなくなる。形だけその時代の什器を入れて復元しても、産業技術はわからない。体験者が元気なうちに聞き取りをしそこなうということは、遺産の保全の失敗、あるいは遺産の毀損と同じことである。産業技術は、発展していかなければいけない面がある。発展しないと競争の中で産業が成り立たないからである。そこで研究機能が必要になる。富岡製糸場にも研究施設が置かれた時期があるが、その遺構は明確ではなく、昭和期の片倉工業の経営の下では、埼玉県大宮市の研究所が同社の全国の製糸場を通じての研究機関であった。操業停止後の富岡製糸場には片倉の大宮研究所の秤、試験繰糸場などが運び込まれている。大宮の再開発のため置き場所がなくなった、という事情もあろうが、関係者が試験研究の重要さを認識していて、それに写真3富岡製糸場公務室写真4富岡製糸場揚返機用作業台50