ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

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概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

産業技術史の観点から鈴木淳東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授1.産業技術とは産業技術は産業がそれによって成り立つところの技術であり、工場や産業施設の遺産はその歴史をとどめている。ここでは、その価値を失わず、あるいは高める方向で近代文化遺産の保存や修復を行なう可能性について、富岡製糸場とかかわる中で私が教えられてきたことを中心に述べたい産業は、経済合理性があってはじめて成り立つ。経済合理性は技術的合理性と一致することも多いが、そればかりではない。その時代の経済的合理性に基づいて産業が用いる技術が産業技術であり、その変遷をたどるのが産業技術史である。1880年代に工場用に煉瓦造の建物を作る時の説明として、二通りが知られている。ひとつは、大阪紡績会社の1883年下半期考課状に記されている会社としての方針、木造だと「温度常に均一ならず、且乾湿し易くして製工に善しからず、加ふるに火災の虞ある」ために煉瓦造にするという説明である。温度や湿度を一定にし、また防火効果を期待する工学的合理性から説いている。もう一つは、東京で工場を作る鐘紡が、1887年の重役会議で行なった決定として、「鐘紡東京本店史」という昭和になってから作られた資料にのっている話で、「能ふ丈外観の壮麗なる工場」を作り、「大いに威容を張り他を威嚇せん」という説明である。煉瓦造に大阪紡績で論じられたような技術的合理性があることは当然に前提としているであろうが、立派な建物を作り、競争相手の出現を抑制しようすることに主眼が置かれている。これも、経営上は合理的であり、そのために用いられる建築技術も、もちろん産業技術である。建物を立派にするには、株主の信用を集めて資金調達を容易にするとか、労働者の待遇の良さを形で示して、優秀な労働者を集めるといった動機もあろう。国営工場の場合には国家の威信や、その産業に国家がかける期待を示す意味もある。国営と民営の別はあるが、民営でも、威信やある分野へ取り組む熱意を工場建築で示すことはあり得るので、あえて区別する必要はない。また、耐震構造が現在の工場に必須なように、戦時期の工場では空襲被害を軽減しながら操業を継続するため防護施設を設けることや、一部を取り壊して疎開することが経済合理的であった。結果として合理的であったかどうかは問題ではない。合理的と考えて実際に投資したことが産業の歴史である。このような意味で、産業関係の近代遺産は全て産業技術史的な価値を持っている。2.近代文化遺産の産業技術的価値産業技術史の観点で見た、近代文化遺産の価値は大きく分けて二つある。1施設を利用した産業の技術を示すその施設を使った産業がどのように活動したかを伝えることである。この価値を保つには、産業の施設として活用されていた時期の使われ方がわかるように保存、修復することが必要である。産業技術史の観点から47