ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

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概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

図3は、種類別にどのような建物が修復されてきたかを示す。昭和46年には社寺(城郭を含む)が圧倒的に多く、そこに民家(住宅を含む)がわずかに加わっている程度であるが、昭和56年(1981)では、民家が一気に増え、近代建築が新たに参入する。平成期になると、近代建築が増え、社寺が減少することにより、全体としては、社寺が50%弱で、残る部分で民家と近代建築が多少の増減を相互に繰り返しながら現在に至っている。社寺は、近世社寺の指定の開始3とともにそれらの修復が始まるため、建造物全体の割合からすれば大きく減少することなく存続している。図4は、所有者別を示す。社寺は宗教法人であって種別にそのまま対応するが、昭和46年時からわずかに国・地方公共団体として括った公有の物件は、高度経済成長期の緊急避難が始まった頃の民家であることを示す。やがて、教会建築(近代建築に属して分類)が登場するので、これをキリスト教系の宗教法人として表した。国・地方公共団体が増加をみるが、これは民家の緊急避難のほかに、もともと公有の近代建築を含むようになる。さらに昭和56年以降に大きく現われるのは、個人・企業の物件である。民家に個人で維持する状況がいくつか生まれ、企業のもつ近代の大規模な建造物や施設がその対象となっていった。図5は、修復後の用途(活用)を示す。最初期には大半が現役で占められる。これは、宗教建築の営みが現役であることによる。わずかな残りが資料館として挙っているのは、公有化された民家である。やがて、年代を経るにしたがい一般公開、非公開が生まれ、さらに商業施設・多目的が出現する。公開は公有化された物件を中心にさまざまな種別が含まれると見られ、非公開は個人有民家や企業の現役などで、商業施設・多目的は同じく個人有や企業の新たな活用によるものであろう。以上のさまざまな要素からみた推移は、実態として、かつては社寺で占められていた修復が、やがて民家が対象となり、さらに近年に近代建築・近代化遺産が加わったことを示したことから、急激に多様化してきたことを語っている。近代建築・近代化遺産の修復は、早くは昭和30年代後半にあるが4、全体としては昭和40年代後半から本格的に始まる5。修復内容からみた新たな動向我が国の近代建築の、昭和31年(1961)以降、図1から図5で示した変化の要素を一覧に示す(表1)。そこに設計監理に携わる専門家の関わりや、どの程度の工事規模となるかを示す「基本方針」や保存のあり方を示す「修理方針」を加えてみると、いずれの要素も伝統建築から近代建築・近代化遺産に至って選択肢が複雑化してくることが明らかである。これら近代建築・近代化遺産に対策していくためには、どのような対応が求められるであろうか。次に、近代建築・近代化遺産がどのような修復内容をもっているかを、各々の種別の保存修理工事報告書に記載された情報を比較しつつ整理を試みたい(表2)。同報告書に記載された施工の工事種目(設計書の内訳書に該当)を列記することにより(それぞれの修復に多少の違いがあっても)、根本的な工事に及ぶ修復を報告したものであれば修復の内容の傾向を把握することができる。社寺から近代化遺産までの全体を比較して工事種目をみると、伝統建築である社寺と民家には種目が少なく、近代建築から近代化遺産に至って急激に増加することがわかる。なお、社寺の場合は、高度な伝統技術にもと近代洋風建築・近代遺産の現状・課題-修復(調査・設計・施工・監理)の取組から見る-39