ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

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概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

刊行にあたってわが国の産業遺産保護の歴史は、韮山反射炉(静岡県)と萩反射炉(山口県)が史蹟指定された大正11年(1922)にまでさかのぼることができる。その後、昭和30~40年代に、旧集成館機械工場(鹿児島県)、旧品川灯台(愛知県)、旧新橋停車場跡(東京都)、小菅修船場跡(長崎県)などの建造物または遺跡が国の文化財に指定され、さらに昭和50年代になると、産業考古学という学問領域が本格的に導入されることで、産業遺産の実態把握と文化財保護が一段と進んだ。平成2年からは、文化庁を中心として近代化遺産総合調査が実施され、それから約25年経過した現在、人々の生活を支えてきた様々な産業遺産の全国的な所在状況と保存状況は、ほぼ明らかになった。また、平成8年には指定制度を補完するものとして、文化財登録制度が始まり、地域に根付いた産業遺産の保護が大きく進展する一方で、近年では、富岡製糸場と九州・山口を中心とする「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録され、国家的な役割を果たした産業遺産の価値の再認識も全国的に広がっている。このように、大正期からおよそ100年かけて、日本の産業遺産の保護の輪は確実に広がり、特にこの四半世紀で、産業遺産はわが国の文化財の重要な一角を占めるまでに至った。指定・登録された文化財の数が増えれば、当然それらの保存修理事業の件数も増加する。そして保存修理にあたり、実際に破損・劣化が進んだ産業遺産と向き合う中で、従来の文化財には見られなかった産業遺産特有の課題が浮かび上がってきた。例えば、従来の文化財の大半を占めた木造、組積造とは異なる、鋼構造、コンクリート造の構造物をどのように保存するか、従来の文化財よりも格段に規模が大きく、ビルディングタイプも多様で、かつ、遺産といえども本来の機能を保持し供用下におかれたままの施設を、いかにして維持管理していくか、さらに、その担い手をどのように確保するか、などといった課題である。当研究所では、建造物だけでなく、船舶、飛行機、機関車のような動産文化財も対象に含め、課題の抽出とその解決に向けた研究を継続的に行ってきた。平成27年度には、「近代文化遺産の保存理念と修復理念」をテーマに掲げ、研究を実施した(ここでは「近代文化遺産」という言葉を、「産業遺産」の意味で理解していただいて結構である)。実は、技術や制度に関する内容が多くを占めてきた当研究所での近代文化遺産研究において、理念に焦点をあてるのは初めてのことである。ただ本研究は、現場のニーズから乖離したアカデミックな抽象論を展開しようとしているわけでない。むしろ、今保存修理の現場では、技術的対応の根本にある保存修理の理念に迷いが生じることが多く、その点に関して少しでも共通理解を深めることで、事業の進展に寄与することができると判断し、本テーマが設定された。2