ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

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概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

さのあったことがわかった。たわみを少なくするためにアンカレッジを入れたのである。5)青函トンネルこれも調査中だが、青函トンネルは非常に難工事であった。トンネル工事で水が抜けるのは、一般的にはせいぜい10 mか20 mくらいの範囲の水がボンと上から抜けるぐらいといわれる。だが北陸新幹線の場合は、山全体がどーっと抜けたという。「青函トンネル工事の前に北陸新幹線のような山抜け出水が起きていたら、青函トンネルをつくろうなんていわなかっただろうな。」といわれた技術者もいた。工事中の水漏れはいつもあり、青函トンネルでは今でも水漏れの処理をおこなっている。水抜きの処理費用はばかにならないと聞く。しかし世界ではじめての海峡トンネルであり、技術的な評価は高い。6)舞鶴の海軍関係の都市施設舞鶴には海軍関係でおこなわれた都市計画とともに都市施設が残る。これは軍事施設や軍用水道を含み、周辺には煉瓦を焼いたホフマン窯も残る。7)隅田川橋梁群と復興関連施設群名称としては、隅田川の復興橋梁群でもいいのだが、「勝鬨橋をあげる会」代表としては勝鬨橋もぜひ入れたかったので、隅田川橋梁群とした。平成19年(2007年)には、永代・清洲・勝鬨の3橋が国の重要文化財に指定されているので、公式見解としても隅田川橋梁群が妥当といえよう。関東大震災の復興関連施設には、復興小学校および隣接した復興小公園や隅田・浜町・錦糸町の復興三大公園など、他の施設もあるが、ストーリーとしてわかりやすくしている。8)肥薩線(旧鹿児島本線)鉄道黎明期の施設では最も保存状態がよく、現役の施設であることが評価されている。当時の施設がかなり残っているのはわが国ではめずらしい。産業土木遺産関連では以上の8つが、「20世紀遺産20」の候補にあがっている。5.まとめにかえて最後に産業遺産の保存・修復理念の基本を、まとめておく。産業施設は、前述したように技術革新しながら生産していくのが基本なので、部品や部材を多少変えても、また多少形が変わっても止むをえない施設である。現役で使い続けることが肝要である。この精神を基本としながら、変えた部品や部材は保存し、同時にドキュメンテーションをしっかりしておくということが、産業遺産の保存や修復理念といえる。操業を終えた施設では、「華」の時期をイメージできるプロセス復原をめざしたい。華の時期の解釈が問題になるかも知れない。経営的に反映した時期を「華」というのか、または技術的に最先端の時期を「華」というのか、または両者が一致した場合もあるかも知れない。「華」の時期は、個別具体的に変わりうるのかも知れない。一例として佐渡を考える。かつては山々を越える索道があって、鉱石を運んでいた。そのようなルートにケーブルカーを設置してビジターを運ぶことが考えられる。道路を横断していたコンベアーの跡地には、デザイン的に工夫された人道橋をつくることも検討に値する。一見すると、なぜ道路をさえぎるような施設をつくるのかという疑問が出てくるかも知れない。しかしなぜケーブルカーがあるのか、なぜ歩道橋があるのかを説明すれば、多くの人は腑におちるにちがいない。あたらしい施設をつくる場合、旧施設との関係性を語れるような事実発掘と仕組みを用意することが大切である。しかも単発の話で終える近代文化遺産の保存理念と修復理念―産業遺産の利活用を通して35