ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

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概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

(2)イギリスの「産業遺産」概念では海外ではどうなのか。産業遺産に最初に着目したのはイギリスであり、学会も創設されている。イギリスでは、第二次大戦後、産業革命時に使われた機械や装置が時代遅れになり、次々に廃棄されていった。それに対してかつて働いていた人たちのノスタルジーもあって保存運動がおき、それを学者や研究者が支援、理論化する中から産業考古学が生まれた。1962年、ミカエル・リックス(Michael Rix)は産業考古学(Industrial Archaeology)を提唱した。あわせて彼は、産業遺産の保存を訴えた。したがって産業考古学は当初、「イギリスの産業革命によってつくられた初期の残存物の研究をすること」が目的と考えられていた。ところがイギリスでもその後いろいろ議論が交わされ、現在では時代や対象も広がり、「産業の遺産を残すとともに研究すること」になったといわれる。(3)国際機関の「産業遺産」概念国際的にはどうなのか。建築遺産だとICOMOS(International Council on Monumentsand Sites国際記念物遺跡会議)だが、産業遺産はTICCIH(The International Committeefor the Conservation of the Industrial Heritage国際産業遺産保存委員会)が主に活動している。TICCIHは、TICCIHという名称に落ち着くまで何回か名称が変わっている。最初は1973年、FICCIMという名称で保存会議が行われた。FICCIMは、The First International Conferenceon the Conservation of Industrial Monumentsの略で、頭文字をとってFICCIM。2回目が1975年に、The Second International Conferenceon the Conservation of Industrial Monumentsで、SICCIM。そして第3回目が1978年、TheThird ICCIMで、TICCIMとなる。しかしそのとき、最後の文字のMonumentsを変えてHeritageへ変え、T ICCIMをTICCIHにした1。TICCIHの今の正式名称はThe International Committeefor the Conservation of the Industrial Heritageで、以前のConferenceがCommitteeに変わり、onがforになっている。TICCIHでは「産業遺産」を、どのように定義しているのか。「有形の証拠物(景観・遺跡・構造物・機械、製品その他道具類)、産業証拠物の絵画や写真の記録、産業に関わった人びとの記憶や意見などを包含する」2と定義している。2003年にロシアのニジニータギルで開催されたTICCIHの総会で、TICCIHの産業遺産憲章である「ニジニータギル憲章」3が制定された。これには「産業遺産は、産業文化の残存物からなる」とかつての表現を継承しているようだが、範囲はより包括的になり、「歴史的・技術的・社会的・建築学的あるいは科学的価値がある」という修飾語がついている。さらに「産業文化の残存物」の事例をあげている。それは「建物や機械類、作業場、ミルや工場、鉱山および加工処理場や製錬場、倉庫や貯蔵庫、エネルギーが発生され、移送され、使用される場所、輸送やそれらすべてのインフラストラクチャー」が入る。さらにこれにとどまらず、それらに関連する「住宅、宗教礼拝や教育のような産業に関係した社会的活動のために用いられた場所からなる」としている。8年後の2011年には、ICOMOSとTICCIHとの共同原則が出される。ダブリン原則という4。これになると、産業遺産概念はますます包括的となり、総体的な規定となる。産業遺産に関係する「サイトや構造物、複合施設、地域や景観」は当然として、関連するインフラ施設、時代は限定がなくなり現代まで入り、文化的環境や自然環境との結びつきをも考慮し、有形の価値と22