ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

ページ
21/62

このページは 未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念 の電子ブックに掲載されている21ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

ツォレルン第2/第4炭鉱の機械ホールの建物は、1900年に開催されたパリ万国博覧会のアール・ヌーヴォー様式に影響を受けたものであった。万博の展示パビリオンは、外側に鉄骨骨組を露出させ、アール・ヌーヴォーの装飾をあしらった近代的なものであった。ツォレルン炭坑の所有者は、建物を伝統的な石造の装飾からアール・ヌーヴォー様式へと変更したのであった。この機械ホールは、ドイツの産業建造物の保存において、非常に重要なものである(写真18)。1960年代後半、この建物は、文化財として保存するための議論が公式に行われ保護されることとなった、最初の産業遺産となった。これはドイツの産業考古学の始まりでもあった。十分な記録が残されていないが、1969年以降、この機械ホールでは多くの保存・修復事業が行われている(写真19)。現在、建物が保存されていることは喜ばしいが、それがどのように修復されたのかを知ることができないことは残念である。10年前、我々は記録作成と新しい保存・修復段階における改良計画事業に着手し始めた。費用の概算は、約650万ユーロになり、2016年の8月に事業は終了した。水中に佇むこの大型建造物は、初めて遭遇した問題を持つ事例であった。排水設備が機能していなかったため、第一段階として、建物内部とその周辺に溜まった水を外に排出し、排水設備を地下に設置した。機能していない排水設備の発掘の際には、中央出入り口の階段が2段、砂利に埋もれていたことが明らかになった。興味深いことに、この点については誰も気がついていなかった。そしてこちらでも、主柱が問題となったのである。柱の腐食と柱と煉瓦の間の腐食のため、一区画の煉瓦を取り除いた。この区画は、鉄骨構造物の修復処置の方法のテストと、古い壁の保存・修復に費用概算の基準を導き出すために使用された。これらの柱のすべての基礎は構造上の理由のために解体され、荷重に柱が耐え得るかどうかを確認した。また、煉瓦を取り除いた部分を復元するために、煉瓦の種類と色を選択することとなった。写真は、事業の初期のころの様子である。これまでに紹介した処置は、試行錯誤しながら実行することはできるが、実際の事業では、専門家のアドバイスを求めることが望ましいだろう。顧問委員会では修復処置の方法が話し合われ、大多数の専門家が同意し、適切な修復方法が選択された。厳しい意見を持つ国民にも説明がされた。この顧問委員会の代表は当然のことながら所有者であり、委員会はノルトライン=ヴェストファーレン州、文化財保存修復局、建物の活用に関わる博物館職員、建築家と腐食専門家で構成されていた。この顧問委員会は、8年間設置され、共に事業に取り組んでいた。そのほかの重要な問題は、建物の内側と外側の色についてであった。250色以上のサンプルが採取され、どの色を採用するのかは、顧問委員会にて最終的に決定された。例えば、塗装された時期が不明のベージュ色の天井を発見しても、それが不自然で適切ではなかったため、同色の塗料を用いることはしなかった。また、古い写真では、ステンドグラスが使用されていたことがわかるが、我々が参考とした写真は白黒であったため、新しい窓に何色のガラスを入れるべきかの決定は大変に困難であった。最後に、再び日本の事例に戻りたい。2015年、明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業遺産群は、世界遺産に登録された。産業遺産のマネジメント19