ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

ページ
18/62

このページは 未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念 の電子ブックに掲載されている18ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

11)。類似する転炉の事例は、高炉についてすでに紹介したハッティンゲン博物館にある。もし稼働中の製鉄所を見る機会があれば、今日の巨大施設が保存される機会がくることは非常に少ないことが想像に難くないだろう。また、生産工程をどのように示し説明するのかも重要な課題である。中山室長が機械を稼働させるかどうかという問題を発表されたが、博物館において鉄鋼製造工程を再現することはできない。費用が嵩み、危険だからである。文化財に指定された閉鎖された製鉄・製鋼所は、保存するのみとなるのである。底吹転炉の発明以前の製鋼の方法の一つに、シーメンス-マルタン法があった。この技術については説明しないが、1960年頃には使用されなくなったものである。しかし我々は、ドイツにてシーメンス-マルタン法の製鋼所を保存する機会があったのである。社会主義国であった東ドイツでは、多額の特許使用料を支払わなければいけない底吹転炉を導入することができなかった。そのため、東ドイツでは1950年代以降もシーメンス-マルタン法の平炉を使用しており、これはかなり珍しいことであった。1990年の東西ドイツ統一後、この古い方法では経済的な生産ができなかったため、この製鋼所は直ちに閉鎖された。ベルリン近郊のブランブルクに位置するこの製鋼所の建物内には、12基のシーメンス-マルタン平炉が設置されていたが、1基のみが保存されることとなった(写真12、13)。写真13のように、この平炉は建物内に設置され構造が健全なため、大掛かりな修復処置を必要とするものではない。それでは、産業遺産の保存と修復において重要な分野となる鉱業に移るとする。ドイツでの石炭採鉱はほぼ終了しており、現在では2箇所の鉱山で採掘が行われているが、それらも2018年に閉山される予定である。また、旧東ドイツには唯一の亜炭露天採掘が残されている。ルール地方の工業地域では石炭採鉱が発展の基盤となっていた。ドルトムントのツォレルン第2/第4炭坑は、1900年ころに設立された。炭坑の初期の建物群の建築家は非常に保守的であったが、巻上機と圧縮機が設置された建物は、アール・ヌーヴォー様式の全く異なったデザインとなった。現在では、ツォレルン炭坑はルール地方の産業博物館の1つとなり、「産業文化の道」にて重要な施設となっている(写真14)。ルール地方西部のエッセンにあるツォルフェア写真13ブランブルクの製鋼所写真14ドルトムントのツォレルン第2/第4炭坑16