ブックタイトル御料車の保存と修復及び活用

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概要

御料車の保存と修復及び活用

図られている。第3号御料車の主要緒元は、車体長51 ft 0 in(15,555 mm)・車体幅8 ft 0 in(2,440 mm)・屋根高11 ft 0 in(3,355 mm)・台車中心間(心ざら中心間)距離34 ft 6 in(10,523 mm)・自重19.2 tである11)。2軸ボギー台車は軸箱上部に担いばね(重ね板ばね)が付いた板台わく式(固定軸距5 ft 6 in/1,678 mm)が採用されたが、後年に乗り心地のよい釣合いばり式(固定軸距7 ft 0 in/2,135 mm)に交換された。大正15(1926)年12月の大正天皇崩御時に御遺体移送用の霊柩車に改造され、また昭和28(1953)年6月の貞明皇后逝去時にも霊柩車(第13号に改番)として使用された。現在はJR東日本東京総合車両センターに保管されている。れた。一方、台わくは長大で重い車体を支えるためトラス棒に替わって両側魚腹台わくとなり、屋も根は端部が円弧状の母や屋屋根構造の二重屋根である。この当時鉄道院新橋工場で製造されていた1等車、2等車、展望車とほぼ同じ構造だが車体はそれらよりも長く、このため3軸ボギー台車も一般用(9 ft 6 in/2,898 mm)に比べて固定軸距が11 ft 6 in(3,508 mm)と長い特別設計の台車が使用された。車体は密閉型で両端に出入台があり、側面二か所には開戸が設けられている。室内は6室に分かれ、手洗所・御閑所・御寝室・侍従室・玉座室・侍従室・大膳室の順に配置され、玉座室背面は細廊で玉座室を挟む左右室間の連絡用としているところは第3号御料車と同じ設計である。昭和34(1959)年10月に第5号御料車と3.3 2軸ボギー木製御料車の大型化第3号御料車に続き明治33(1900)年4月に皇太子用第4号御料車、明治35(1902)年3月に皇后用第5号御料車が逓信省外局の鉄道作業局新橋工場で完成した。そして明治時代の最後を飾ったのが明治43(1910)年10月に内閣の鉄道院新橋工場で完成した天皇用第6号御料車である。明治39(1906)年から翌年にかけて国内幹線的私鉄17社が、鉄道国有法により買収された。そして明治41(1908)年12月に内閣直属機関として鉄道院が新設された。用途や規格が異なる多種多様な買収私鉄所有車両の選定・淘汰と併せて、鉄道院車両による全国的運用の必要性からその標準化・規格化が進められ、年とともに増大する旅客需要に対する車体断面大型化への検討が開始された。それゆえ第6号御料車は明治43(1910)年8月に制定された「客車、郵便車、手荷物車工事仕様」に基づいて設計・製造され、車体長は20 mに大型化し台車には御料車として初めての3軸ボギーが採用さともに旧国鉄の鉄道記念物に指定され、昭和41(1966)年7月に博物館明治村に移設、現在も保存・展示されている。第6号御料車の主要緒元は、車体全長68 ft 0 in(20,740 mm)・車体長66 ft 5 in(20,244 mm)・車体幅8 ft 6 in(2,593 mm)・屋根高12 ft 4 in(3,759 mm)・台車中心間(心ざら中心間)距離47 ft 0 in(14,335 mm)・固定軸距11 ft 6 in(3,508 mm)・自重33.54 tである12)。大正期には第7号(天皇・皇后用)、第8号(皇后用)、第9号(食堂用)、第10号(国賓用・展望)、第11号(国賓用・食堂)そして第12号(摂政宮用・天皇)までの御料車と賢所乗御車の7両が鉄道院(ただし大正9(1920)年5月以降は鉄道省)大井工場で製造されたが、いずれも第6号御料車の延長上で設計された木製3軸ボギー御料車といえる。これらのうち第9号・第10号・第12号御料車は昭和44(1969)年10月に旧国鉄の鉄道記念物に指定され、現在はJR東日本東京総合車両センターに保管されている。22