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William Anderson "The Pictorial Arts of Japan" London 1886年 表紙(左)
plate36.  1.The Goblin Flight  2.The Flogs' Holiday by Hokusai(右)

末松謙澄 訳・補『日本美術全書沿革門』八尾商店 明治29年(1896)(右)
〃  『日本美術全書応用門』八尾商店 明治30年(1897)(左)
  "The Pictorial Arts of Japan"は明治6~13年(1873~80)にかけて海軍病院御雇医師として滞日し、のちに大英博物館の日本美術コレクションとなるおよそ3000点の美術品を収集したイギリス人ウィリアム・アンダーソン(1842-1900)による日本美術史全般にわたる研究書である。明治12年(1879)6月に開催されたアンダーソン蒐集の日本絵画を中心とした展覧会(於工部大学校講堂)の際に行われた"History of Japanese Art"と題する彼の講演内容を発展させたものであり、のちに2冊の『日本美術全書』として日本で抜粋翻訳された。 "Histoire de l'Art du Japon" 以前に刊行、紹介された日本美術通史として、日本が自国の「美術史」体系を築きゆく過程での位相が注目される。(K)

"Histoire de l'Art du Japon" Paris, Maurice de Brunoff 1900年 表紙(左)
『稿本日本帝国美術略史』 日本美術社 明治41年(1908) 表紙(右)

Grav. en Couleurs Ⅳ.  Makimono des Miracles de Kacouga Gonghen Kenki (フランス語版より)
  "Histoire de l'Art du Japon" は明治33年(1900)パリ万国博覧会に出品された日本人による日本美術史叙述の嚆 矢とされる書である。臨時博覧会事務局の委嘱を受けた帝国博物館によって編纂が開始され、臨時全国宝物取調局の調査 成果をもとに岡倉天心、福地復一らによって執筆が進められた。1900年にパリでフランス語版が、翌明治34年(1901) 日本語版である『稿本日本帝国美術略史』が上梓されている。当資料閲覧室が架蔵する日本語版は正木直彦旧蔵本で、明 治41年(1908)に日本美術社より復刻再刊された(隆文館発売)絹表紙の豪華装丁版である。(K)

  内務省編纂『特別保護建造物及国宝帖』 審美書院 明治43年(1910) 緒言(左)
第百四十二図 大崎八幡神社社殿内部 (右上)
第百四十三図 大崎八幡神社本殿内部装飾 (右中)
第百四十四図 大崎八幡神社社殿正立面図 (右下)

明治43年(1910)開催の日英博覧会に出品された『稿本日本帝国美術略史』につづく官制日本美術史。内務省のもと古美術保護行政の諮問機関であった古社寺保存会の調査成果をふまえ、「第一編 日本建築」は伊東忠太、関野貞、「第二編 彫刻絵画及び巧芸」は岡倉天心、中川忠順、平子鐸嶺により編纂されている。『稿本日本帝国美術略史』がいわゆる美術作品中心であるのに対して、本書は古社寺保存政策の影響から建築にも大きな比重が置かれている。なお当資料閲覧室には大正4年(1915)パナマ太平洋万国博覧会に際して200部限定で再版されたうちの1冊である中川忠順旧蔵本も架蔵されている。(K)


田島志一編" Masterpieces Selected from The Ukiyoye School "
明治39~41年(1906~1908) 審美書院 表紙(左)
Plates 13. Groups of Men and Women Dancing Together. School and Artist Unknown. (右上)
Plates 31. A Beauty in Profile. by Moronobu Hishikawa (右下)

  " Masterpieces Selected from The Ukiyoye School " は審美書院から刊行された浮世絵の豪華図録『浮世絵派画集』の英語版。図版は多色摺木版で、原本が絹本の場合は絹地に印刷するなど精巧を極める。第1集には近世初期風俗画、岩佐又兵衛、菱川派の絵画を収録する。


 

『浮世絵派画集』第三版 昭和4年(1929) 審美書院 第一集 表紙
『浮世絵派画集』初版は明治39~41年(1906~1908)。大正7年(1918)に再版された。(本書は第三版。)再版に際し、大村西崖による解説は「浮世絵史」と題され別冊となった。後にこの解説は改訂増補され『近世風俗画史』(宝雲舎 1944)として出版されている。(U)



美術研究所編『東洋美術文献目録 定期刊行物所載古美術文献』座右宝刊行会 昭和16年(1941)(右)
東京国立文化財研究所美術部編『日本東洋古美術文献目録』東京国立文化財研究所 昭和44年(1969)(左)

東洋美術文献目録カード
 

日本東洋古美術文献目録カード
 『東洋美術文献目録 定期刊行物所載古美術文献』は明治~昭和10年(1935)までに発行された日本国内の定期刊行物549種及び全集、講演集等に掲載された東洋古美術に関する日本語文献を採録した目録。昭和16年(1941)に刊行された。美術研究所助手豊岡益人、嘱託久野真自、白畑よし、林真彦らが主として編纂にあたった。採録文献は、一 総説、二 絵画、 三 書、四 彫刻、五 建築、六 工芸、七 考古学関係、八 歴史関係、九 其他、に分類され、さらに各々総記、日本、朝鮮、支那、満蒙(含西域)、印度、其他地方の細目順に列記されている。下は、これら文献の採録にあたり用いられた文献カードである。  続編である『日本東洋古美術文献目録』では、同様に昭和11年(1936)~40年(1965)までの30年間にわたり発行された日本国内の定期刊行物およそ1200種を採録の対象として、日本、東洋古美術関係の日本語文献を収載している。調査採録、分類、編纂には主として当所の前身である東京国立文化財研究所の所員上野アキ、永雄ミエ、辻惟雄、江上綏、関口正之があたった。(K)


『美術研究所編輯美術研究資料第一輯 支那古版画図録』 美術懇話会 昭和7年(1932)(左)
図版一七 姑蘇万年橋 乾隆6年(1741)桃花塢張星聚発客(右)
 
図版二七 西洋劇場図(左)
図版五九 一、雙六(右上) 二、牌子(右下)
美術史研究に資する図版資料の充実を目的として昭和7~24年(1932~49)にかけて美術研究所で刊行された『美術研究資料』の第一輯。美術研究所で開催された故岡田伊三次郎氏蒐集支那版画展覧会[昭和6年(1931)11月1~3日]で展示された中国版画を収録する。西洋的透視遠近法、陰影法により特徴づけられる蘇州版画(姑蘇版)がコレクションの中核であり、のちに日本初期洋画の研究で知られる黒田源次の解説はその先駆的研究とされている。(K)  

美術研究所編輯『日本美術資料』第一~五輯 美術研究所 昭和13~17年(1938~1942)

第一輯一五葉 光琳筆紅梅図

第三輯五五葉 黒田清輝筆湖畔図
昭和13~17年(1938~42)にわたり美術研究所が一般に向けて編輯発行した図版集。美術作品(絵画71点、彫刻5点、工芸5点)を1輯20葉におさめ、カラー図版に各々解説を附す。「日本美術」と題しながらも絵画に重きを置いた作品選定となっている。解説執筆は主として所員正木篤三による。掲載箇所は第一輯一五葉の光琳筆紅梅図及び第三輯五五葉の黒田清輝筆湖畔図である。(K)  


国立博物館附属美術研究所編『栄山寺八角堂』国立博物館 昭和25年(1950) 表紙(左)
カラー図版B  内陣柱絵 東北柱西南面上段の像(右)

モノクロ図版四〇a 東南柱 南面中段の像(左)
モノクロ図版四〇b       同  (赤外)(右)
美術研究所が昭和23年(1948)に調査を行った奈良県五條市の栄山寺八角堂内陣装飾画のカラー図版2葉、モノクロ図版48葉に及ぶ写真図版を公刊したもの。栄山寺は藤原武智麻呂の創建とされる藤原南家の菩提寺であり八角堂はその子仲麻呂が父母の追善供養のため天平宝字年間に建立したと伝えられ、内陣装飾画の制作年代も同時期とされる。調査は所員福山敏男、秋山光和により、また写真撮影は国立博物館米田太三郎、浅川二四夫によって行われた。この調査の際に顔料の化学成分分析、赤外線撮影なども含む科学的調査が行われている点は特筆すべきであろう。のちに研究篇として福山敏男・秋山光和『美術研究所研究報告 栄山寺八角堂の研究』(便利堂 1951)が出版されている。(K)
 


武清「五清堂記」印(左)
『武清縮図』表紙(右)

光琳八ツ橋図屏風縮図(20丁オ)(上)
光琳松島図屏風縮図(22丁ウ)(下)
喜多武清自筆 『武清縮図』 写本 文政5年(1822)

谷文晁の門人・喜多武清(1776-1856)の縮図帳。外題に「文政五年壬午歳縮図」とあり、武清の「五清堂記」の重廓朱文方印が捺されている。全54丁、94図を収録する。各縮図には原本の落款印の他に「武清」の白文長方印が捺され、日付や覚書が書き添えられる。縮図の原本は雪舟、狩野探幽、狩野尚信、狩野安信、英一蝶、尾形光琳等の掛幅画や屏風で、狩野派が大半を占める。
本書は東京帝国大学史料編纂所の三成重敬(1874-1962)によって美術研究所に寄贈され、後に脇本十九郎によって資料紹介されている。(脇本十九郎「研究資料〈武清縮図〉」『美術研究』34 1934)
掲載図版は尾形光琳筆屏風の縮図。光琳筆八ツ橋図屏風(メトロポリタン美術館)、伝光琳筆松島図屏風(ボストン美術館)など、原本と推測される作例が現存しており、関連性が注目される。(U)

『禁裡図考』 写本 書写年代不明 表紙

本書の前半部は寛政度内裏造営に関する記録である。松平定信(1758-1829)による寛政の造営は、有職故実家・裏松固禅(1736-1804)の考証に基づき平安朝の古制に従って進められた。「禁裏御殿廻御畫様」には紫宸殿の賢聖障子をはじめとして内裏各所の襖絵、障子絵の画題、担当絵師の名が列挙されている。
後半部は柴野栗山(1736-1807)の「賢聖障子名臣冠服考証」を収録する。奥書に「寛政二年八月日儒員臣柴邦彦記」とあり、三十二人の名臣像が続く。(U)


「寛政御造営記」 禁裏御殿廻御畫様(37丁オ) (左)
内裏図(1丁ウ~2丁オ) (右)

柴野栗山「賢聖障子名臣冠服考証」 冒頭(48丁オ) (上)
「虞世南」(71丁オ) 「杜預」(70丁ウ) (下左)
「太公望」(61丁オ) 柴野栗山奥書(60丁ウ) (下右)

蔵書印

中川忠順
上段左より「中川之印」/「中川」/「中河受」
下段左より「潛光過眼」/「月在天心」

正木直彦
「正木氏蔵書」

尾高鮮之助
「尾高鮮之助蔵書」

香取秀真
上段左より「香取之印」/「香取蔵印」/「秀真図書」/「香取」
下段左より「秀真」/「秀真」/「秀」/「家在道歡陵上」(※)
※秀真の住まいした道灌山[=道歓陵]をあらわすと考えられる。
他に「同歡山房」印も制作している。

織田一磨
左より「か」/「織田」/「かずま」

平子鐸嶺
上「平子之印」下「潛光過眼」(中川忠順印※)
※鐸嶺没後、その蔵書の一部は中川忠順に受け継がれた。

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