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2018年度の研究会

平成30年度(2018)
【第1回】
4月24日

田所泰(東京文化財研究所文化財情報資料部)
「武村耕靄と明治期の女性日本画家について」

武村耕靄(1852―1915)は明治期・東京の女性画家で、日本美術協会や日本画会を中心に活躍した。狩野一信、山本琴谷、春木南溟等に学び、さらに川上冬崖から西洋画の手ほどきを受け、従来の南画に一新機軸を拓いたとも称された。その一方で、東京女子師範学校や女子美術学校などで図画教師として教鞭を執り、自宅では多くの門弟を指導したことから、現在ではもっぱら美術教育家として評価されている。
本発表では共立女子大学図書館が所蔵する武村耕靄の日記を主たる手がかりに、いまだほとんど整理されていない耕靄の画業を明らかにする。その上で、耕靄を中心とした女性画家の活動をとおして、明治期における女性画家という存在のあり方や需要の様相について考えてみたい。
【第2回】
5月23日

橘川英規(東京文化財研究所文化財情報資料部)
「カリフォルニア大学ロサンゼルス校におけるアーカイブズの収受・保存・提供―ヨシダ・ヨシエ文庫を例に 」

戦後日本美術の当事者である作家や関係者が鬼籍に入りはじめた昨今、そのアーカイブズを散逸させず、永続的な機関でアクセスを担保することが肝要であり、当研究所がその役割の一端を担うことへの期待も寄せられている。発表者は、本年2月、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)において日本人評論家であるヨシダ・ヨシエの文庫が開設したことを機に同校を訪問し、アーカイブズ収受・保存・提供に関わる部署の視察を行なった。美術関係者のみならず、政治家・歴史家・文学者など様々なジャンル、そして膨大な数のアーカイブズを収受するなかで蓄積され高度化された管理方法について報告する。またアーカイブズ資料をめぐる予算規模、人員配置に恵まれない国内機関によって有効な方法を検討する機会としたい。
【第3回】
6月26日

小野真由美(東京文化財研究所文化財情報資料部)
「土佐光起著『本朝画法大伝』考―「画具製法并染法極秘伝」を端緒として―」

『本朝画法大伝』(以下『大伝』)は、土佐光起(1617―91)が死の前年に著したとされる画法書であり、すでに坂崎坦著『日本画の精神』(昭和17年)に翻刻され、ひろく知られたものであるが、いまだ研究が尽くされたとはいえず、精読が待たれるもののひとつである。その構成は、画論、画材、画法となっているが、本研究ではまず、画法の中核となる「画具製法并染法極秘伝」を、同時代の『本朝画史』『画筌』などと比較していきたい。とくに、『大伝』で「生臙脂ぬり、後に大青かくる」と伝える「うるみ色」について、それが「青瘀(しょうお)」を指すと確認し、『大伝』が他の画法書に比べ、きわめて実践的であること、光起が実用を強く意図したこと、そして、その背景にあった土佐派ないし江戸画檀の状況などを考察する。
【第4回】
7月30日

「ワット・ラーチャプラディットの日本製扉部材と伏彩色螺鈿に関する研究会」

本研究会は、19世紀の日本で用いられた伏彩色螺鈿について、この技法を用いて製作されたワット・ラーチャプラディットの扉板部材、及び日本とタイに所在するその他の伏彩色螺鈿の作品についての研究成果の共有を目的とする。
タイ・バンコク都所在のワット・ラーチャプラディットは、ラーマ4世の発願により1864年に建立された王室一級仏教寺院である。この寺院の拝殿の窓及び出入口の観音開きの扉には、室内側に伏彩色螺鈿及び漆絵により装飾された部材が用いられている。これらの扉部材について東京文化財研究所は、タイ文化省芸術局及びワット・ラーチャプラディットの依頼により、修理事業に対する技術的な協力を2012年に開始した。特に、2013年~2015年には、扉部材のうち、伏彩色螺鈿、漆絵各1点を日本に持ち込み、研究所内外の専門家と連携して詳細な調査と試験的な修理を実施している。あわせて、ワット・ラーチャプラディットの扉部材の系譜を明らかにするため、日本及びタイの博物館等に収蔵されている伏彩色螺鈿の技法を用いた作品を対象とした熟覧調査も継続的に行っている。
本研究会では、これまで行われている様々な分野からの調査研究の成果を報告し、今後の調査研究の進め方について検討する機会としたい。

二神葉子 (東京文化財研究所文化財情報資料部文化財情報研究室長)
「ワット・ラーチャプラディットの日本製扉部材と伏彩色螺鈿に関する調査研究の概要」
高桑いづみ (東京文化財研究所特任研究員)・長井尚子(中央大学文化科学研究所准所員)
「ワット・ラーチャプラディットの漆絵に見られる楽器等のモチーフ」
薬師寺君子(昭和薬科大学非常勤講師)
「ワット・ラーチャプラディットの漆絵に見る故事人物図について」
城野誠治(東京文化財研究所文化財情報資料部専門職員)
「ワット・ラーチャプラディットの扉部材の撮影」
犬塚将英(東京文化財研究所保存科学研究センター分析科学研究室長)
「X 線透過撮影によるワット・ラーチャプラディットの扉部材の構造調査」
本多貴之(明治大学理工学部准教授)
「ワット・ラーチャプラディットの扉部材の分析」
早川泰弘(東京文化財研究所保存科学研究センター副センター長)
「バンコク・ワット・ラーチャプラディット漆絵・螺細扉の蛍光 X 線分析結果」
増渕麻里耶(東京文化財研究所文化遺産国際協力センターアソシエイトフェロー)
「ワット・ナーンチー及びワット・ラーチャプラディットの漆絵・螺鈿扉の蛍光X線分析結果」
山下好彦(漆工品保存修復専門家)
「江戸時代後期の薄貝螺鈿技法に関する考察―ワット・ラチャプラディット寺院螺鈿扉と輸出漆器」
勝盛典子(中之島香雪美術館学芸部長)
「伏彩色螺鈿再考―技法と史的資料から」
討議  コメンテーター:永島明子(京都国立博物館学芸部教育室長)
【第5回】
10月2日

神谷嘉美(金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センター)
「平蒔絵技法で用いられる金属材料の形状について ―南蛮漆器作例を中心に―」

本発表は、桃山時代に出現した平蒔絵技法で使用された金属粉の形状について、南蛮様式の輸出漆器事例を中心に検討するものである。南蛮漆器の装飾は「平蒔絵」と「螺鈿」の併用を基本とするが、その技法の詳細については用いられた材料そのものの特性も含め不明な点が多く残されている。平蒔絵の金属粉に関して言えば、高野松山は平粉平蒔絵、半丸粉平蒔絵、丸粉平蒔絵、上研出し平蒔絵といった4種類に分けて区別しているものの、現在、それぞれが実際どの作例に該当するのか確認できていない。一方、蒔絵粉の形状に関するこれまでの研究で、中里壽克は古代の蒔絵粉を論じた際に実体顕微鏡画像を示しており、岡田文男はクロスセクション観察の一部としてその断面形状を報告している。しかしながら、こうした先行研究でも蒔絵粉の形状を明確に捉え定義した上での表現技法の研究には至っておらず、残念ながら蒔絵技法全体の理解はいまだ十分とは言えない。
本発表では、これまでほぼ論じられることのなかった平蒔絵の金属材料について、南蛮漆器作例を中心とした電子顕微鏡による観察結果と現代の蒔絵粉事例などとを併せて比較報告の上、一般に平蒔絵と総称される装飾技法においても実際には様々な形態の金属粉が使われていることを示し、その技法解明の一端としたい。
【第6回】
11月27日

京都絵美
「絹本著色技法の史的展開について 仁和寺所蔵孔雀明王像をめぐる一考察」

仁和寺自性院源證(1739〜?)は、安永8年に宋代「孔雀明王像」(仁和寺所蔵・国宝)の極めて精巧な模写を描いている。明王の面貌や孔雀の姿態は原本を透き写したと思われ、精緻な賦彩にも宋代仏画の優れた技術の粋を摂取しようとする態度が窺える。この発表では「写し」から遡り、江戸時代の解釈で描かれた模写を読み解くことで、写しきれなかった部分に宋代彩色技法の特質を見出すとともに、技法・材料の観点から絹本著色絵画の史的展開と国宝孔雀明王像について改めて考えてみたい。
【第7回】
12月27日

山本聡美(共立女子大学文芸学部)
「病苦図像の源流―静嘉堂文庫蔵「妙法蓮華経変相図」について」

静嘉堂文庫蔵「妙法蓮華経変相図」は、願文に記された「道因」(明州永慶寺の天台僧・薜道因〈1167没〉か?)を手がかりに、北宋末から南宋初期の制作と推定されている。これまで、松本栄一(國華427)、有賀祥隆(日本の美術269)による作品紹介があるものの、作品公開の機会が限られていたこともあって、内容について十分な検討がなされてこなかった。
本発表では、静嘉堂本見返し絵の一部に病苦図像が含まれていることに着目し、経絵と、「病草紙」を含む日本の六道絵との接点について再検討する。

相澤正彦(成城大学文芸学部)
「静嘉堂文庫美術館本「春日曼荼羅」と高階画系」

静嘉堂文庫美術館本「春日曼荼羅」は、十四世紀、南北朝時代の制作とされ、春日社景の景観を中心に展開するという点では、当時代の定型的な図様を基調とする。が、加えて上方虚空に春日十社の神々とその本地仏の姿を精細に描き、かつ三笠山の山頂には鹿曼荼羅の神鹿を描くという、まさに春日信仰の集成版と言える点で稀有な作例である。
近年、修復を施されたが、見るものを圧倒する極彩色の著彩はほとんど当初のものであることも驚かされる。さらにその描法の秀逸さからして、当時の宮廷絵師の流れ、よりしぼれば高階画系の作風を示すと推定される。これまで本格的な紹介がなかったことも鑑み、とくにこの絵師との関連について注目を喚起したい。
【第8回】
1月29日

江村知子(東京文化財研究所文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長)
「田中一松の眼と手—田中一松資料、鶴岡在住期の資料および絵画作品調書を中心に」

田中一松資料(東京文化財研究所蔵)は、田中一松(1895−1983)によるノート、調書、覚書、写真、会議資料などからなる資料群である。その調書の重要性は田中の生前から知られ、「昭和の古画備考」と称されてきた。本資料は、平成30年(2018)5〜8月に実践女子大学香雪記念資料館と、京都工芸繊維大学美術工芸資料館で開催された「記録された日本美術史—相見香雨・田中一松・土居次義の調査ノート展」にて、初めてまとまった形で公開の機会を得た。本発表では山形県鶴岡に在住していた少年期のスケッチブックなどの資料、また作品の勘所を瞬時に的確に捉えている絵画作品の調書を紹介し、田中の美術史研究の根幹を支える、その観察眼と記録する技術について考察する。

多田羅多起子(京都造形芸術大学)
「近代京都画壇における世代交代のきざし〜土居次義氏旧蔵資料を起点に〜」

土居次義調査研究資料(京都工芸繊維大学蔵)は、ノート、写真、旧蔵書の一部から成る。近世絵画研究で知られる土居であるが、調査の過程で、旧蔵書に、近代京都画壇に関する重要な資料が含まれることが判明した。今回の発表では、その中から、若き日の幸野楳嶺が明治4年(1871)に記した師匠の代作の記録と、竹内栖鳳ら若手画家台頭の契機となった明治24年(1891)の青年絵画共進会事務局日誌を紹介する。2点の資料を起点とし、明治時代前期の近代京都画壇が迎えた転機について、流派意識や師弟関係に注目しながら考察したい。
【第9回】
2月28日

米沢玲(文化財情報資料部)
「二幅の不動明王画像」

京都・永観堂禅林寺の不動明王二童子像と大阪・高貴寺に伝わる不動明王四童子像は、いずれも中世に制作された不動明王画像の作例である。それぞれ二童子と四童子という従者の数、様式や制作年代に異同はあるものの、中尊と二童子の図像がほぼ一致する。高貴寺本のような四童子を伴う不動明王は経典や儀軌に説かれず、中世に至ってから考案された画像であると考えられる。禅林寺本との図像的な近接から、高貴寺本のように新奇な密教画像の制作に際して既存の図像を転用していたことが具体的に指摘できる。本発表では二幅の紹介を通して、多様に展開した中世の不動明王像について考察を試みたい。
【第10回】
3月26日

谷古宇尚(北海道大学文学部)
「サハリンと千島列島の美術」

第二次大戦後に始まるサハリンの美術史は、日本からソ連支配への移行、美しくも厳しい自然、海と漁業、先住民との共住など、土地に根差したテーマを展開してきた。ジョージアからの移住者ギヴィ・マントカヴァは、社会主義リアリズムだけでなく、故国で学んだモダニズム的手法を生かした作品を制作し、サハリン美術の礎を築いたといえる。モスクワやウラジオストクなど遠方からも多くの画家が旅行で訪れ、国後島や色丹島にまで足を延ばした。1966年から1991年までほぼ毎年、夏の数か月間を色丹で過ごした「シコタン・グループ」の活動は特に注目される。彼らは日本との国境地帯を、ソ連の一地方の風景として描き出した。ロシア美術家同盟やサハリン州立美術館など、ソ連時代から引き継がれる制度に拠りながら、現在も着実に活動を継続するこの地域の美術を、これまでの現地調査に基づいて概観する。