第38回美術部オープンレクチャー
-日本における外来美術の受容-

東京文化財研究所美術部では、毎年秋に研究成果を一般に公開するために講座を開いています。今年は下記テーマのもと、2日連続で4人の講師による講演会を行いました。

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2004年11月5日(金)午後1:30〜4:00
於東京文化財研究所・地階セミナー室

大谷光瑞と仏教の流伝調査
臺信祐爾(東京国立博物館国際交流室長)

〈講演の内容〉
 西本願寺第二十二世門主大谷光瑞(1876-1948)は、若くしてヨーロッパで近代国家と宗教の関係を学んだ。19世紀末から20世紀初めにかけて、ロシア、イギリスなどの探検隊は、中央アジア(西域)探検で大成果を挙げた。親しくその成果を目の当たりにした光瑞は、西域のほか、スリランカ、インド、パキスタンの仏跡、東南アジアから雲南・四川、さらにはチベットに、仏教東漸のあとを確かめるべく調査隊を派遣した。光瑞その人、および探検の内容と成果について紹介する。

若き美術史研究者の夢-尾高鮮之助の旅と仕事-
中野照男(東京文化財研究所美術部長)

〈講演の内容〉
 尾高鮮之助(1901-1933)は、東京文化財研究所の前身である美術研究所の開所の頃に活躍した研究者である。当初浮世絵研究を志していた彼は、研究所の矢代幸雄や和田新に刺激されて、東西文化交流の研究、日本美術の源流の探索へと関心を広げていった。昭和5年(1930)の朝鮮、満州旅行、昭和6?7年の東南アジア、インド、パキスタン、アフガニスタンなどの旅行を通じて、彼がどのような研究の構想をいだいたかを検証してみたい。

11月6日(土)午後1:30〜4:00
於東京文化財研究所・地階セミナー室

黒田清輝と世紀末のパリ-西洋人からの書簡を通して-
小山ブリジット(武蔵大学人文学部比較文化学科教授)

〈講演の内容〉
 1884年3月、黒田清輝は芸術の都パリに到着した。彼が長年憧れていたその当時のパリはどのような街だったのか、また、黒田はどのような所に住んで勉強していたのかなどについて説明したいと思う。1894年に帰国するまで、様々な人々と出会った黒田がどのような生活を送っていたかについても述べてみたい。東京文化財研究所に保管されている貴重な黒田清輝宛書簡を通して、黒田がどのような人たちと付き合っていたかについて発表したいと思う。

明治30年の黒田清輝
田中淳(東京文化財研究所黒田記念近代現代美術研究室長)

〈講演の内容〉
 明治26年(1893)に、9年に及ぶフランス留学をおえて帰国した黒田清輝(1866-1924)。彼は、帰国後の数年間に画家としてもっとも充実した生活を送った。そこで、これまで語られることのなかった画家の暮らしの面から、《湖畔》が制作された明治30年(1897)前後を中心に、その創作活動と実像をみなおしてみたい。同時に、黒田記念館で所蔵するこの時期の作品の光学的手法による調査によって得られた最新の研究成果もあわせて報告したい。