[Symposium Index]

報告書あとがき

博覧会集合写真、明治5年  口絵の冒頭に一枚の古い写真を載せている。これは、維新まもない明治5年(1872)3月、東京の湯島聖堂大成殿で開催された文部省博覧会の関係者が集まった写真である。
 彼らは、まんじりすることもまかりならない不快感を呑みこみながら、「写真」によって刻まれる不慣れな儀礼の時間のなかで、黙りを決めこんでいる。ぷいと顔をそむける蜷川式胤、睨みつけるような視線を貼りつける町田久成、洋装を着こなした力味のない田中芳男の姿が、とりわけ印象的である。
 これを表紙に使ったのは、それ相応のわけがある。彼らのほとんどは、当時の文部省博物局の面々である。文部省博覧会は、翌年、ウィーンで開催される万国博覧会の準備をかねるものでもあった。じつは、この万国博覧会参加に際し、万博事務局が、ドイツ語の出品分類から翻訳した造語として誕生したのが「美術」である。ここには、「美術」を縦横無尽に操つる学をつくった巨星たちは、まだ登場していない。しかし、蜷川・町田・田中をはじめとする面々は、こののち「美術」や文化財の行政における当事者として、美術館・博物館というさまざまな展示場をつくり、「美術史学」の巨星たちとともに、この国を彼の「佛蘭西國」にも肩をならべる美術愛好国に仕立てあげることになる。この写真は、まさしく「美術」元年の胎動をつたえる貴重な証言なのだ。
 「今、日本の美術史学をふりかえる」という国際シンポジウムの報告書を、『語る現在、語られる過去』という出版物としてまとめるにあたり、まず念頭に浮かんだのがこの写真である。フェノロサや岡倉天心・大村西崖らに代表される「美術史学」草創期の巨星たちであれ、行政の当事者として「美術」の制度化に深く関与した官僚たちであれ、「現在」から「過去」へ、しかも21世紀という新たな変わり目を刻む時間軸から照射される語りのなかで、「美術」・「美術史学」の制度がはらむ有形無形の権力の責任を押しつけられるとすれば、それは一方的すぎるかもしれない。「過去」からの批判は口を封じられている。明治という「現在」を生きた群像もまた、「過去」に向き合っていた点で、この書物を送りだす私たちと何ら変わることはない。その意味で問題の所在と責任は、むしろ「語る現在」にあるはずだ。ここには書・工芸などのジャンル、考古学・建築史学などの研究分野など、「美術」・「美術史学」の制度と学を検討するうえで無視できない領域の議論が反映されているわけでもない。『語る現在、語られる過去』という名前のもつ意味と、その裏に「語らない過去、語らない現在、語られない過去」もあることを、この本の読者とともに考えていきたいと思っている。  この書物では、1999年3月という「現在」の視点から、この胎動が、いかにして「美術」・「美術史学」という制度と学をこの国のなかに創出し、それらがどのような有形無形の権力を奮ってきたのかが、さまざまな問いかけとなって語られている。それは「過去」を自覚することで、「美術史学」の議論を、もっと多様で生産的なものにしたいと考えているからである。ここでの議論が、制度化されてきた「美術」や「美術史学」のイデオロギーを解体していく契機になるのか、あるいは、何らかの枠組みの再構築に対して、ひとつの布石を打つことができたのか。その評価は、読者の方々と未来に委ねるしかない。
 私たちのまわりを見わたせば、コンピュータの普及とともにさまざまな視覚メディアが登場し、人文科学のあらゆる分野で、これまでの学の枠組みの解体と再構築の議論が行われている。ヨーロッパにおけるユーロ圈の出現は、「美術」・「美術史学」の制度を支えてきた国民国家の枠組みを揺るがしている。行政改革にともない、来る2001年には、国立の美術館・博物館・文化財研究所が独立行政法人となることが決定されるなど、文化財行政そのものも変貌しつつある。そのような「現在」に、ひとり日本の美術史学のみが、無縁であるはずもない。すくなくとも、これまでの自己完結的な言説を相対化し、さまざまな視覚イメージについて新たな思考の枠組みを整える必要性に迫られている。そのことだけは、確かな実感として私たちにある。
 この書物のもととなった国際シンポジウムに対し、すでに参加者のなかの三名が、その内容を批評している。最後に挙げているので、あわせてお読みいただきたい。
 この書物は、『人の〈かたち〉、人の〈からだ〉』という出版物(1994年)にまとめられた第16回国際研究集会(東京国立文化財研究所主催)の報告書とおなじく、平凡社のご厚意によって刊行できることになった。ここに平凡社ならびに担当者としてお世話いただいた関口秀紀氏・橋本愛樹氏に深く御礼申しあげたい。


〈シンポジウム評〉
稲賀繁美「「今、日本の美術史学をふりかえる」を聞いて」『あいだEXTRA』25号、1998年1月
洪善杓「第6号を編むにあたって」『美術史論壇』6号、1998年3月
小川裕充「書画と美術―「今、日本の美術史学をふりかえる」国際研究集会によせて」『美術史論叢』14号、1998年3月
同韓国語翻訳、『美術史論壇』7号、1998年10月

1999年3月記 編集担当(田中淳・井手誠之輔・島尾新)

 なお本書は、平成9年度(〜12年度)から助成をうけている、文部省科学研究費助成金基盤研究A(2)(課題番号:09301004)「日本における美術史学の成立と展開」による研究成果の一部である。

[Symposium Index] [Top]