高野山明王院焼失

1952年05月

赤不動像の所蔵で著名な和歌山県高野山別格本山明王院は二日夜本堂から出火し、本堂庫裡などを全焼した。赤不動像は無事であつた。

東京目黒円融寺釈迦堂修復

1952年04月

東京都目黒区碑文谷一丁目にある重要文化財建造物円融寺釈迦堂は昭和二四年以来、文部省、東京都、目黒区等の援助によつて復原修理工事を行つていたが、完成し、一九日落慶式を挙行した。

パリの二〇世紀展に日本からも出品

1952年04月

フランスの文化自由会議国際委員会では四月二九日から六月一日までパリで二〇世紀展を開催するが、日本の出品を日本文化自由委員会へ依頼して来たので、日本画と洋画一八人の作家の作品を送つた。国内展は三月四日から八日まで上野松坂屋で開催した。なお、この会議に出席のため美術部門の代表として福沢一郎が五月一四日渡仏した。これらの作品は到着が遅れたため、二〇世紀展とは別に六月中旬パリにおいて展観された。

古径靭彦青邨三人展開催

1952年04月

日本美術院同人、芸術院会員の小林古径、安田靭彦、前田青邨の三人の代表作展が、朝日新聞社の主催、東京国立博物館の後援によつて一八日から二九日まで銀座の松坂屋で開かれた。

新潟県刈羽貝塚発掘

1952年04月

日本考古学協会縄文式文化編年特別委員会は昭和二六年度調査の一つとして新潟県刈羽郡刈羽村西谷所在の刈羽貝塚を四月一〇日から一〇日間発掘した。八幡一郎が調査を主宰し、多くの遺物を発見したがこの貝塚はおよそ縄文式前期末から中期初ころに遺されたものとされた。

大日美術院解散

1952年04月

昭和一二年三月結城素明川崎小虎青木大乗の三名を同人とし、明日の日本画を創造するという趣旨を掲げて創立した大日美術院はその使命を一応果したものとして四月一五日解散の声明を発表した。

矢代幸雄帰国

1952年04月

文化財保護委員会委員矢代幸雄は戦後の欧米美術界の実情調査のため昭和二六年一一月インド経由で渡欧し、イギリス、フランス、イタリア、オランダ等を歴訪、帰途アメリカに渡り各地を旅行、ハワイを経て一〇日帰国した。

サロンドプランタンの斡旋によりアメリカで日本現代美術展開催

1952年04月

在日外国外交官夫人達によつて日本の美術家を育成し外国に紹介しようとする目的で作られたサロン・ド・プランタンではアメリカの各地で現代日本美術展をするために準備をしていたが、日本画、洋画、版画の作品が集つたので、四月五日から九日まで東京リーダース・ダイジエスト社で展示会を開いた。六月からサンフランシスコで、その後セントルイス、ロスアンゼルス、シヤトル、サンタバーバラで展覧会を開く。

日本染織美術特別展開催

1952年04月

東京国立博物館は今年創立八〇周年に当るのでその記念事業の一つとして四月六日から五月五日まで日本染織美術特別展を開催した。

東京文化財研究所設置

1952年04月

文化財保護法の一部改正に伴い、東京文化財研究所が設置されることになり、従来文化財保護委員会の付属機関であつた美術研究所は東京文化財研究所の美術部として、新設された芸能部・保存科学部とともに新発足した。所長事務代理として文化財保護委員会委員矢代幸雄の兼務、美術部長松本栄一、芸能部長事務代理犬丸秀雄、保存科学部長事務代理関野克が四月一日発令された。なお、従来の美術研究所の所掌した調査研究と同一のものについては美術研究所の名称を併称出来ることになつている。

奈良文化財研究所設置

1952年04月

四月一日から一部改正の文化財保護法により奈良文化財研究所が設置されることになつた。奈良市春日野町五〇に置かれ、所長事務代理として黒田源次が任命された。

京都博物館国立に移管

1952年04月

大正一三年帝室より京都市へ御下賜になり、それ以来京都市の経営下にあった恩賜京都博物館は四月一日より国に移管され、文化財保護法の規定により京都国立博物館として新しく発足した。館長事務代理は文化財保護委員会委員細川護立の兼務、次長は前館長富岡益五郎に決まり発令された。移管記念として「東京国立博物館保管国有東洋美術名画展」を五月一日より二〇日まで開催した。

信濃美術会創立

1952年03月

信州出身者の親睦団体であつた信濃美術協会を一層強力なものにするために機構を改め、新に在京信州出身美術家と在郷有力美術家によつて信濃美術会を結成した。

国宝第二次、重要文化財第一次指定発表

1952年03月

二六日から四日間開かれた文化財専門審議会の決定にもとづき、文化財保護委員会は二九日、第二次指定国宝一二六件、第一次指定重要文化財一一五件を発表した。国宝の主なものには「鳥獣戯画」、東大寺の「日光、月光立像」などがあり、また重要文化財の指定は文化財保護法公布以後はじめてで、すでに重要美術品に認定されたもののうちから選ばれたものと全然未指定であつたものから選ばれたものと二種ある。四月三日より一二日まで国立博物館表慶館においてその一部が展観された。

史跡、名勝、無形文化財の選定

1952年03月

文化財保護委員会では二九日、特別史跡名勝天然記念物七八件、史跡四件、無形文化財四七件の選定を発表した。無形文化財は戦前にはなく文化財保護法によつて新たに保護の対象となつたもので、そのはじめての選定である。工芸技術三六件、芸能一一件で、中村吉右衛門のセリフ、や各種の郷土芸能、薪絵の技術、織物等がその対象となつた。予算による保存事業の実施は五月一七日その計画を発表した。

芸能選奨文部大臣賞決まる

1952年03月

昭和二六年度の芸能選奨文部大臣賞の受賞者が決定し、二四日発表された。美術部門では次の通りである。 ▽日本画 橋本明治(第七回日展出品「赤い椅子」に対し) ▽洋画 岡鹿之助(第五回美術団体連合展出品「遊蝶花」その他に対し) ▽彫刻 沢田晴広(第七回日展出品「五木之精」その他に対し) ▽工芸 楠部弥一(第七回日展出品(白磁四方花瓶)に対し) 授賞式は四月九日文部省で行われた。

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