美術家連盟結成

1942年05月

美術団体聯盟は、四日解消し、新に美術家聯盟が結成され、同日上野公園精養軒に於て辻永石井柏亭有島生馬木村荘八等四十余名の作家と大政翼賛会文化部陸海軍報道部代表者出席のもとに発会式を挙行した。

海軍省美術家派遣

1942年05月

曩に陸軍省に於ては戦争記録画製作の為作家十六名を選抜現地に派遣したが、海軍省に於ても吾が海軍の活動の様を製作せしむることとなり、作家十六名を選抜、これ等を南方に派遣することとなつた。これ等の作家は安田靫彦矢沢弦月三輪晁勢江崎孝坪藤田嗣治中村研一奥瀬英三川端実御厨純一有岡一郎宮本三郎佐藤敬、三国久、石川滋彦、藤本東一路、中村直人である。

日本劇画院創立

1942年04月

十数来年の日本劇画協会は発展的解消を解げ、三日劇美術人二十一名により日本劇画院が創立され、その創立発会式が日比谷三信ビル東洋軒に於て開かれた。

レオナルドダヴインチ展披露会

1942年04月

日本世界文化復興会主催によるレオナルド・ダ・ヴインチ展覧会の披露午餐会が二十二日帝国ホテルに於て同会及びイタリア大使館共同主催により催された。

日本画家報国会結成さる

1942年03月

文展系、日本美術院、青竜社其の他の日本画家の殆んど全部を網羅せる日本画家報国会は、川合玉堂川端竜子等約百名参加のもとにその結成式を十九日九段軍人会館に於て開催、宣言、決議、事業報告等を行つた。尚その第一回事業として十九日より二十二日まで日本橋三越に於て展覧会を開催した。

日本画家報国会献納

1942年03月

日本画家報国会では飛行機献納の為日本画新作画展を開催したが、其の全出品は三越の買上ぐるところとなつたので、売上金二十万円を陸海軍恤兵部へ十万円宛献納した。

陸軍省派遣画家壮行会

1942年03月

陸軍に於ては皇軍将兵の姿を再現する為作家十六名即ち藤田嗣治伊原宇三郎中村研一宮本三郎寺内万治郎、猪熊源一郎、小磯良平、中山魏、田村孝之介清水登之鶴田吾郎堂本印象川端竜子福田豊四郎山口蓬春吉岡堅二を現地に派遣し、戦争記録画を製作せしむることゝなつた。而してその壮行会が朝日新聞社の主催により二十四日夕ニユウグランドに於て開催された。川端竜子山口蓬春吉岡堅二福田豊四郎藤田嗣治、谷荻陸軍報道部長、浜田海軍少佐、主催者側より村山朝日社長等が出席した。

東邦彫塑院解散

1942年02月

彫塑界の最大団体たりし東邦彫塑院は、時局に鑑み日本彫塑家聯盟の結成を期とし今回解散した。

第三回福日文化賞決定

1942年02月

西日本文化奨励の為設定された福岡日々新聞社の福日文化賞は、自然科学、文化科学に亘つて決定したが、その美術賞は二科会々員坂本繁次郎に授けられた。

日本美術院同人軍用機献納展開催

1942年02月

日本美術院では陸海軍に軍用飛行機を献納することとなり、同人各二点宛を製作、十四、五、六日その完成作品を谷中同院に於て展観した。而して作品は挙げてこれを匿名の篤志家に提供したが、同人からはこれに替へて金拾五万円が同院に寄せられ、同院はこれに故富田渓仙の遺族より寄贈された一千円を加へ、十九日金七万五千五百円宛を陸海軍省に夫々献納した。

全洋風美術家大会挙行

1942年01月

美術家として職域奉公の誠を致すべく、三十一日洋風画家八百名は東京府美術館に参集、一人一点の献画を決議し、その委員を挙げて実行することとなつた。

全日本画家報国会結成決議

1942年01月

文展無鑑査級、日本美術院同人及び青竜社々人等在京約九十名の日本画家は、三十一日日比谷三信ビル東洋軒に参集、全日本画家報国会の結成を決議し、その最初の事業として展覧会を開催、その売上金を以て軍用機日本画家号を陸海軍に献納することを決定した。

近代美術館建設協議会

1942年01月

東京市は予て皇太子殿下御誕生記念事業として日本近代美術館の建設を計画し、去歳その建設案を発表したが、十四日華族会館に於て第一回資金募集懇親会を開催、藤山愛一郎、侯爵細川護立、男爵団伊能、五島慶太、金光庸夫等都下財界諸有力者と市側大久保市長、橋本助役、谷川部長等と正式懇談を行ひ、建設費七百五十万円の内五百万円の寄附を財界より仰ぐことゝなつた。

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