帝国芸術院総会開会

1941年03月

帝国芸術院は創立以来最初の総会を三月二十七日上野帝国学士院に於いて開催、清水院長以下会員五十名(欠席者十三名)文部省より橋田文相、菊池次官、永井専門学務局長、本田学芸課長等出席、帝国芸術院会則要綱、帝国芸術院授賞規則要綱、同会員補充、第四回文展出品要綱を決定した。

表慶館開館

1941年03月

昨秋以来館内修理のため一般観覧を中止してゐた表慶館は整備漸く成り三月八日より開館、明治、大正、昭和の美術品を陳列することゝなつた。

全日本彫塑家連盟創設

1941年03月

昭和十二年創立された日本彫塑家聯盟は、彫塑界の一元化を期し発展的解消を遂げ、三月十五日新しく全日本彫塑家聯盟の発会式が行はれた。今後その事業として、彫塑研究の為の各般の施設、彫塑各般に付当該官庁への建議又はその諮問に対する答申、製作資材等に付関係官庁との連絡等を行ふ。

建設漫画会設立

1941年02月

漫画家として新しき日本漫画芸術建設の為の理論及技術の研究その他の主旨により建設漫画会が結成された。

長流画塾の献画

1941年03月

陸海軍傷兵慰問の為過去二回に亘つて大量献画して来た川合玉堂門長流画塾では、第三回献画として三月一日児玉希望以下の作品五十五点の献納式を神田如水会館に於いて行つた。

大日本海洋美術協会発会式

1941年02月

新日本海洋画の創建と海洋精神の昂揚を主旨として、海軍省、海軍協会後援のもとに「大日本海洋美術協会」の創立発会式が十二日芝水交社に於いて行はれた。同協会は昭和十二年結成された海洋美術会がその組織を拡充し、従来洋画家のみであつたものに新たに日本画家を加へたものである。今後毎年一回五月二十七日の海軍記念日を中心に海洋美術展覧会、研究会、洋上観察等を行ふ。

国民総力朝鮮美術家協会

1941年02月

美術を通じ内鮮一体職域奉公をなす為、二月十二日朝鮮総督府学務局長を会長とし、国民総力朝鮮美術家協会が創立された。同会は美術を通じて思想の善導及銃後愛国運動、講演座談会、展覧会を開催する。

日本女子美術院結成

1941年02月

女子美術家の和協一致に依り日本美術文化興隆の一翼たらんが為、日本女子美術院が垣見泰山を幹事として結成された。展覧会及研究会を開催する。

泰国美術品を献上

1941年02月

泰国皇帝陛下には我紀元二千六百年の祝典に際し、我皇室に深甚なる御慶祝の意を表せられ、同国の美術品の数々を御贈進あらせられた。即ち二月八日皇帝陛下の御意を受けて同国駐日公使ピヤ・シー・セナは宮中に参入、祝意表彰のメツセージ並に贈呈の宝物を捧呈した。

国防文化協会結成

1941年02月

国防総力戦に強力なる文化の力を致す機関として詩人、画家、彫刻家二十余名により国防文化協会が結成され、結成式が二月十一日挙行された。その綱領として一、文化革新とその国防的統一、二、国民活力の涵養と教化、三、伝統精神の知的建設を挙げた。

九皐会解散

1941年01月

関長次郎の斡旋に依り文展系並に院展系作家十三名により結成された九皐会は、七周年に当り、新体制下の情勢に鑑み解散に決定、一月三十日の総会に於いて発表した。

朝日文化賞贈呈式挙行

1941年01月

昭和十五年度朝日賞の贈呈式は一月二十日東京朝日新聞社貴賓室に於いて行はれた。美術部門に於いては川合玉堂佐藤清蔵、滝精一が選ばれた。即ち玉堂は紀元二千六百年奉祝記念美術展覧会に出品せる「彩雨」により、佐藤清蔵は大日本護王会の委嘱に依り製作せる「和気清磨朝臣像」によるものであり、又滝精一は美術雑誌「国華」による東洋美術の宣揚に生涯を捧げ来つた功績によるものである。なほ同日夜同賞記念講演会が蚕糸会館講堂に於いて行はれた。

横山大観日本美術新体制に関する意見書を発表

1941年01月

横山大観は昭和十六年々頭に際しその抱懐する美術界革新の意見書を「画壇新体制理念」と題して発表、政府の文化担当者に送達参考に供した。その要は国家施設としての展覧会の革新、私塾的機構の解消と国民美術道場の建設、東京美術学校を中心とする美術教育の刷新改善等であつて、美術界に於いても在来の放慢なる自由思想を戒飭し、各自が職分に於いて日本精神の顕揚に力め奉公の誠を致すべきであるといふにある。

青年彫塑家連盟結成

1941年01月

東邦彫塑院、新制作派協会、日本彫刻家協会その他各団体並に無所属作家により結成された青年彫塑家聯盟の発会式は、一月十二日丸の内鉄道協会に於いて挙行され、百余名が出席した。

大阪美術団体連盟結成

1941年01月

新体制に即応し協力すべく関西の洋風画家を結合して新しく結成された大阪美術団体聯盟は、一月十五日発会式を挙行、東京の美術団体聯盟と連絡をとることゝなつた。

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