日本漆絵協会設立

1937年04月

片山佳吉、横井弘三、松岡正雄等八名の作家に依つて四月一日日本漆絵協会が設立された。漆工の旧殻を脱し絵画工芸に於ける新生面を創拓せんとする趣旨である。

画家儀礼艦便乗を許さる

1937年04月

英国皇帝戴冠式、観艦式に参列の為四月三日横須賀出港の儀礼艦足柄に、洋画家中村研一が特に乗組を許可された。便乗を許された者は其の他に通信記者、撮影技師、演芸家等都合五名である。

落款請求の訴訟

1937年03月

前記竹内栖鳳に対する落款請求訴訟は其の後示談成立し取下げとなつたが、同訴訟に介在した寺崎満治が同じ花鳥画連作中の一部を入手し此の問題の法律的解決を図らんとして三月二十二日新に真筆碓認及び落款請求の訴訟を東京民事地方裁判所に提起した。

映画「現代の日本」検討

1937年03月

国際映画協会が予て海外に対する日本紹介の目的を以て製作した映画「現代の日本」十巻の中、日本固有の風俗を主題とした「風俗日本」(ピクチユアレスク・ジヤパン)は藤田嗣治の監督に依り完成されたものであるが、試写の結果、日本に対する正しき認識を欠くものとして国辱約映画であるとの批評を受け、同協会も之を顧慮して公開を停止し輸出も不可能と見られるに至つた。美術批評家協会では同映画批判の会合を開き協議した結果、同映画は芸術的価値高く、行き詰れる対外日本文化紹介に一新紀元を劃するもの、又日本的なるものの検討に好個の資料を提供するものと認める等の理由から、右の如き批評を不当とし、その措置を遺憾とし同映画の再検討並に公開を期する旨、三月二十七日同協会のコムミユニケとして発表した。

日本万国博ポスター図案募集

1937年03月

建国二千六百年記念日本万国協覧曾宣伝の為同博覧会協曾ではポスター図案の懸賞募集をすることとなり三月十日其の規定を発表した。審査員は和田三造、宮下孝雄杉浦非水、佐々木芳達等七名、賞金は一等一千円一名、二等五百円二名、三等二百円三名である。

郵便切手図案審査委員会設置

1937年03月

現行郵便切手の大部分の図案は大正二年の制定で時世に即しない所から逓信省では予て其の改正準備中であつたが、二月二十三日の閣議で郵便切手図案審査委員会設置が決定したので、原案を練り委員会を開いて其の実現を急ぐこととなつた。尚同委員会規程及び委員等の任命は左の如く三月十五日附官報紙上を以て発表された。 郵便切手図案審査委員会規程 第一条 郵便切手図案審査委員会ハ逓信大臣ノ監督二属シ其ノ諮問ニ応シテ郵便切手ノ図案ニ関スル事項ヲ調査審議ス 第二条 委員会ハ会長一人及委員若干人ヲ以テ之ヲ組織ス 第三条 会長ハ逓信次宮ヲ以テ之ニ充ツ 委員ハ関係各官庁高等官及学識経験アル者ノ中ヨリ逓信大臣之ヲ命シ又ハ嘱託ス (第四条以下略) 委員は三月十一日左の十八名が嘱託又は任命された。 内閣印刷局技師矢野道也、帝室博物館鑑査官溝口禎次郎、内務技師田村剛、東京美術学校教授岡田三郎助、同結城貞松、同和田三造東京高等工芸学校教授鎌田弥寿治、正木直彦塚本靖、滝精一、関保之助、郵務局長伊勢谷次郎、電務局長平沢要、経理局長進藤誠一、貯金局長武田泰郎、簡易保険局長小松茂、逓信書記官出塚祐助、同安田丈助

現代美術館建設促進懇談会

1937年03月

二月結成された現代美術館建設促進聯盟では、昭和九年三月結成の近代美術館建設期成会に依つて依嘱された委員正木直彦、香坂昌康、赤間信義其の他芝田東京美術学校長等の出席を乞ひ、聯盟より委員等出席、三月二十二日東京会館で懇談会を開いた。運動の具体化に就き意見交換の結果、現下に於ける先づ第一の方法として紀元二千六百年記念の万国博覧会に建設せらるべき美術館を永久的記念建造物として都心に建設することを要望することとし、其の意を請願書として多数作家連名の上博覧会当局に提出することとなつた。

ワルシヤワ日本版画展

1937年03月

日本版画協会主催伊藤述史公使後援の下に三月三日からワルシヤワで日本新古版画展覧会が開催され、出品約二千点で好評を博した。

院友倶楽部結成

1937年03月

日本美術院々友の集団として院友倶楽部が結成され、三月七日結成式が挙られた。

在野洋画五団体懇話会結成

1937年02月

在野洋画主要団体の間に聯絡機関の必要が認められ、二月二十八日夜二科会の東郷、鍋井、独立美術協会の中山、伊藤、国画会の宮田、益田、新制作派協会の猪熊、佐藤、三田、春陽会の木村、足立の各会員が夫々の団体を代表して銀座モナミに会合協議を重ねた結果、在野洋画五団体懇話会を結成し左の声明書を発表した。 「日本画壇の革新発展を期し諸事情の検討批判協定を目的として茲に五団体相計り懇話会を組織す。右声明す。 二科会、独立美術協会、国画会 新制作派協会、春陽会」 尚毎月定期に各団体代表者の会合を催す予定である。

大日美術院創立

1937年02月

結城素明川崎小虎青木大乗の三名を同人として新日本画団体大日美術院が創立され、二月二十八目夕東京会館で其の披露を行つた。在来の流派や系統を超越して新しい芸術運動を起し、歪められた日本主義を排撃して真の日本精神に活きた新しい日本絵画の創作とその研究発表を趣旨とする。真の日本精神とは明朗な現実主義であり大きな抱擁力を持つもので、これは西洋風だからいけぬ、あれは伝統を無視してゐるなどと云ふ偏狭な考へ方のものではないと云ふのである。年一回東京及び大阪で公募展を開く予定である。

満鉄欧州にてポスター募集

1937年02月

満鉄パリ事務所では、欧米人の満洲国に対する認識を深める為一等一万フラン、二等三千フラン、三等一千フランの賞金を懸けて、「来れ満洲国に」と題するポスターを欧洲に於て募集したが、各国から四百五十点許りの作品が集り二月二十四日からパリで其の展覧会を開いた。尚其の中四十点は大連本社に送附後満洲及び内地で展覧することとなつた。

貴族院に於ける現代美術館問答

1937年02月

開会中の帝国議会三月二十五日貴族院予算委員第三分科会に於て、委員関谷貞三郎は現代美術館建設の必要を説いて政府の努力を希望する意見を述べ之に対する政府の所見を質問した。之に対し政府委員河原文部次官は至極同感なる旨を述べ文部省が能ふ限り尽力する考であるとの意昧を答弁した。

現代美術館建設促進連盟結成

1937年02月

前記東叡会に依つて起された現代美術館建設促進運動は、二月十日実行委員会で協議の結果に依り、同二十二日午後上野精養軒で諸美術団体所属の美術家二百余名の会合を開催して現代美術館建設促進聯盟を結成、左の決議文を作成して実行委員を挙げ、具体的運動を進めることとなつた。 「建国二千六百年を期し美術国日本を世界に宣揚すべく現代美術館の建設を要望す」

落款請求の訴訟

1937年02月

竹内栖鳳に対し真筆確認及び落款請求と云ふ訴訟が二月二十二日東京民事地方裁判所に提起された四十年許り前に製作の花鳥画に所蔵者毛塚頼貞が落款を求めたが作者が断つた為此の訴訟に及んだものである。

体育芸術協会組織拡大

1937年02月

昭和十五年開催予定のオリンピツク東京大会に関しては関係諸方面に準備が進められてゐるが、芸術競技参加の為大日本体育芸術協会では真の組織を拡大して全芸術界を動員することとなり、副会長、顧問等の役員を増員する外、二月二十二日丸之内工業倶楽部に日本画、洋画、彫塑、工芸、建築、音楽、写真、文芸に亙り各部門の代表的作家当百九十余名を招き懇談会を開催、其の人々を評議員に推し、其の中より理事を選出、大会の準備を進めることとなつた。

墨人会倶楽部結成

1937年02月

小川芋銭、渡辺大虚、津田青楓小杉放庵、関西の矢野橋村菅楯彦等十二名の日本画家に依り二月二十日新団体墨人会倶楽部が結成された。東洋芸術の確認と進展とを期するものの集とし、個性を尚ぶ為に各人主義を採り、在野官展等画壇の党派問題に拘らぬ。六月第一回展を開く予定で翌年第二回よりは作品公募をする由である。

寺崎広業胸像除幕

1937年02月

寺崎広業の青銅胸像が門下其の他有志の醵金に依つて東京美術学校々庭に建設され、故人の十九回忌に当る二月二十一日関係者参列の上除幕式を行つた。作者は内藤伸である。

ベルリンオリンピツク優賞作将来

1937年02月

大日本体育芸術協会長森村市左衛門男は私費を投じて昨年ベルリンに開催されたオリンピツク大会芸術競技入賞作品六点を購入、美術教育資料として東京美術学校に寄附することとなり、免税の取扱を受けて二月十六日横浜税関で検査の上東京に運ばれた。品目は左の通りである。 アイゼン・メスガー作ゴール前の走者 油絵 アルフレツド・ヒール作ポスター「アヴス自動車競走」 写真 ゾーデルベルグ作取舵 エツチング ルピ・ヴイグノーリ作御者 彫刻 エミール・ストール作ハードル走者 浮彫 ルシアノ・メルカンテ作メダル 浮彫

田中松太郎を慰める会

1937年02月

我が国美術印刷の先覚者として美術界に縁故の深い半七製版所主田中松太郎の功績を感謝し晩年を慰める為、岡田三郎助和田英作高島米峰、石井柏亭、岩波茂雄等数十名が発起となり、二月十八日夜日本橋通三丁目明治屋ビル中央亭で田中翁に感謝する会を催し、有志の醵金と記念品とを贈つた。

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