海軍従軍画家

1937年12月

洋画家小林喜代吉、斎藤文人は海軍に従軍、夫々十二月上旬及び下旬上海南京方面或は北支方面へ向つた。 

金使用規則発布

1937年12月

大蔵省では金使用規則を制定し、十二月二十八日省令第六十号を以て同日附官報で公布した。其の要点を記せば、金を用ひたる製品(金箔、金糸、金粉等を除く)で其の金の品位千分中三百七十六(九金)を超えるものは当分の内製造を禁ずる。但し工業用、医療用等必要已むを得ぬものは大蔵大臣の許可を得て除外される。金又は金箔、金糸、金粉、金液は当分の内?風、襖、額縁其の他表装用、天金、金文字等装幀用、其の他広告、印刷、標識等の用途に用ひることを禁ずる。但し之も大臣の許可に依り除外例が認められる。其の他金使用の製造業者に対する届け出で等を規定したものである。

岡田三郎助、藤島武二御下命作品奉納

1937年12月

昭和三年聖上陛下が赤坂離宮より宮城へ遷御の御祝として皇太后陛下より御贈進遊ばさるる油絵の御下命を拝した岡田三郎助、藤田武二の両作家は爾来苦心製作中であつたが漸く完成し、十二月二十六日大宮御所に奉納、同御所より直に宮城へ御贈進遊ばれた。

空チユーブ献納

1937年12月

鈴木千久馬の主宰する四元荘では美術家報国運動として絵具の空チユーブを集めてゐたが、南京陥落を一段落として之を打切り、全国洋画家百六十四名から集つた五十三貫余の売上総額五百五十余円を、十二月十一日陸軍省に献納した。

小国民道場竣功

1937年12月

皇太子殿下御降誕記念事業として東京府が麻布区盛岡町の高松宮御下賜の敷地に建設中であつた小国民道場は此の程竣工し、十二月一日開館式を挙行した。養正館本館と呼ばれる道場の階上は国史絵画館とし、日本画及び洋画諸家の執筆になる国史画七十七図を掲げる。絵画は未だ全部完成に至らなかつた。

奈良美術家連盟献画

1937年11月

奈良美術家聯盟では海軍戦傷兵慰問の為十一月二十五日会員作油絵七点を寄贈した。

年賀電報紙図案作製

1937年11月

逓信省では来春の年賀慶祝電報用紙の図案を左記三作家に依嘱作製した。杉浦非水のは富士に双鶴、石井柏亭のは瑞雲に燕と松竹月桂樹、松岡映丘のは蓬莱山に鶴と亀とを配したもので、之等は年賀のみならず一般慶祝にも用ひる。又別に年賀用として逓信博物館で勅題干支等に因むもの三種を作つた。

稲香画塾の献画

1937年11月

名古屋森村宣稲の稲香画塾では同地陸軍病院に在る傷病兵慰安の為、宣稲初め門下生一同が各々作品一点宛総数百十五点を同病院に寄贈、十一月十一日之を了した。

日本万国博建国記念館設計当選者発表

1937年11月

予て設計図案懸賞募集中であつたが応募図案一〇八通に就き十一月十一、十二両日審査の結果左の通り当選者が発表された。 一等高梨脇重、二等一席同上、同二席清岡宏彩、三等一席佐藤重夫、同二席片山節義、同三席永井孝直、同四席阿部庄吉、選外佳作六名

ワグネル博士記念碑除幕

1937年11月

明治初年来朝して我が陶業界に偉大な功績を遺したワグネル博士(Dr. Gottfried Wagener)を記念する為同博士記念事業会が組織され、東京工業大学庭内に記念碑建設中であつたが、十一月八日午後二時から多数来賓出席の下に盛大な除幕式が行はれた。尚同日午前青山墓地で墓前祭、夜は丸之内電気倶楽部で記念講演会が催された。

春陽会傷病兵慰問

1937年11月

春陽会々員及会友等は作品三十七点を集め、陸軍病院に収容中の傷病兵慰問に寄贈した。

春の京都大博覧会延期

1937年10月

京都市では市制五十年記念として、明年三月大規模な博覧会を開催すべく予てより諸般の準備を進めてゐたが、時局に鑑みて一箇年延期する事に決し、十月三十日正式に発表した。

日本新興南画院結成

1937年11月

京都及大阪の南画家二十余名に依つて新団体日本新興南画院が結成された。

東京美術倶楽部新築落成

1937年11月

予て旧地所に新築中であつた東京美術倶楽部が竣工し十一月三日落成祝賀の会を開いた。

海軍従軍画家

1937年10月

洋画家古島松之助、三国久、高橋亮、清水登之は何れも海軍に従軍を許され十月中旬或は下旬上海方面に向つた。

国民精神総動員ポスター製作

1937年10月

文部省では国民精神総動員運動の一として数種のボスターを製作したが、其の図案は竹内栖鳳横山大観も執筆寄贈し、其の他東京美術学校、東京高等工芸学校に依嘱して作製、二十余万枚を印刷の上全国に配布した。

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