墨人会倶楽部結成

1937年02月

小川芋銭、渡辺大虚、津田青楓小杉放庵、関西の矢野橋村菅楯彦等十二名の日本画家に依り二月二十日新団体墨人会倶楽部が結成された。東洋芸術の確認と進展とを期するものの集とし、個性を尚ぶ為に各人主義を採り、在野官展等画壇の党派問題に拘らぬ。六月第一回展を開く予定で翌年第二回よりは作品公募をする由である。

田中松太郎を慰める会

1937年02月

我が国美術印刷の先覚者として美術界に縁故の深い半七製版所主田中松太郎の功績を感謝し晩年を慰める為、岡田三郎助和田英作高島米峰、石井柏亭、岩波茂雄等数十名が発起となり、二月十八日夜日本橋通三丁目明治屋ビル中央亭で田中翁に感謝する会を催し、有志の醵金と記念品とを贈つた。

ベルリンオリンピツク優賞作将来

1937年02月

大日本体育芸術協会長森村市左衛門男は私費を投じて昨年ベルリンに開催されたオリンピツク大会芸術競技入賞作品六点を購入、美術教育資料として東京美術学校に寄附することとなり、免税の取扱を受けて二月十六日横浜税関で検査の上東京に運ばれた。品目は左の通りである。 アイゼン・メスガー作ゴール前の走者 油絵 アルフレツド・ヒール作ポスター「アヴス自動車競走」 写真 ゾーデルベルグ作取舵 エツチング ルピ・ヴイグノーリ作御者 彫刻 エミール・ストール作ハードル走者 浮彫 ルシアノ・メルカンテ作メダル 浮彫

日本工芸品シカゴ陳列会

1937年02月

昭和十一年度商工省輸出工芸展出品中選出された各種工芸品は、旧臘日枝丸で発送シカゴに送られ、同地に於て二月十五日から二週間陳列会が開かれた。出品物内容は左の通りである。 陶磁器及硝子製品 九三 漆器 一三二 金属製品 六〇 木竹製品 三七 染織製品 四六 其他の製品 三一 工芸指導所出品 二五 陶磁器試験所出品 二一 合計 四四五

自由芸術家協会結成

1937年02月

洋画壇に於ける最も前進的な運動として、新時代洋画展の長谷川三郎等を中心に十名の作家が新団体自由美術家協会を結成し、其の発会式を二月十二日丸之内マーブルで開いた。十四名の作家を会友とし、十数名の批評家等を顧問とする。年一回以上公募展を開催する予定で、作品の種類は普通の絵画技法に依るものの外、コラージユ、オブジエ、フオトグラム等を含んでゐる。

日伊学会創立

1937年02月

日伊両国の文化交換聯絡の中心機関として日伊学会が創立され、二月十一日華族会館に於て発会式が行はれた。教授、芸術家、学生等の交換講演会、音楽会、展覧会等の開催、日伊文化に関する研究資料の蒐集展覧、両国文化に関する議事業の斡旋、研究の奨励其の他の事業を行ふ。役員としては会長男爵大倉喜七郎、副会長姉崎正治、理事長和田英作、常務理事原忠道、田中耕太郎、男爵団伊能矢代幸雄其の他理事十名が就任した。

満州国訪日宣詔記念建造物設計当選者発表

1937年02月

満洲国宮内府内の訪日宣詔記念事業実行委員会では、予て宣詔記念建築物を計画、昨年九月設計図案の懸賞募集を発表し、十二月二十五日締切迄に集つた応募作品に就いて審査の結果当選者を決定、二月十一日左の如く発表した。応募総数二七四通、其の内訳は日本(内地及関東州)二〇〇、満洲より七四(日人六七、満人七)であつた。 一等 (三〇〇〇円) 新京 池田正巳 二等 (二〇〇〇円) 東京 大沢浩 三等(各一〇〇〇円) 新京 福地憲弘 同 石塚弥雄 選外佳作(各二〇〇円) 五名

文化勲章令制定

1937年02月

科学、芸術其の他文化の発達に関し功績卓絶した者を表彰する為文化勲章令が制定され、紀元の佳節を卜し官報号外を以て公布された。

京都工芸院創立祝賀会

1937年02月

一月結成された京都工芸院の創立祝賀会は二月十日都ホテルで同会員並に多数来賓出席盛大に催された。

内閣更迭

1937年02月

広田内閣総辞職の為後継として林内閣が二月二日成立、文部大臣は平生釟三郎に代つて首相林銑十郎が兼任された。

現代美術館建設促進運動

1937年02月

現代美術館の建設は紀元二千六百年祝賀を機会として実現せしむべく昨年平生文相に依つて計画されたが、其の後案の進捗を見ず且つ政変に依る同文相の辞職と共に一頓挫の形となつたので、東京府美術館借用各美術団体連絡機関の東叡会では二月一日総会を開き、現代美術館建設を促進すべく十余名の実行委員を選んで運動を始めることとなつた。

巴里万国博出品物非難さる

1937年01月

本年五月パリに開催される巴里万国博覧会日本館出品物展示会は一月二十二日から六日間日本橋高島屋に開催されたが、美術批評家協会では二十八日左のコムミユニケを発表し右出品に対する同会の非難を明かにした。 「近代生活にとり入れたる芸術と技術を命題とする巴里万国博覧会に対する日本側出陳作品は主催者仏国政府の趣旨を没却せるのみならず現代日本文化の実相を国際的に誤解せしむるものと信ず仍て本協会は博覧会当事者の措置を遺憾とし深甚なる其反省を望むものなり」

京都工芸院結成

1937年01月

京都に於ける各部門の工芸作家の綜合団体として京都工芸院の結成は旧臘其の成立を見たが、一月二十四日京大楽友会館に於て創立総会を行ひ正式に創立された。尚右に伴ひ従来工芸各専門の研究団体として存在した五条会、陶芸協会、彩工会、伸更会、漆芸会、金工作家聯盟、蒼潤社、工友園の八団体は何れも新団体に含まれることとなつて解消された。

財産税立案さる

1937年01月

政府は税制の全般的改革を図り其の細目に就き審議中であつたが、成案を得て税制改革関係法律案三十五件を一月十九日衆議院に提出した。此の中には財産税新設が含まれ、其の法案に依れば個人の財産三万円以上のものに対して課税するが、国宝及重要美術品、命令を以て定むる範囲の家宝等は除かれるものとしてゐる。右財産税の設定は美術の発達上に影響あるものとして注意され、之に関する正木直彦の意見等が発表された。 

帝国ホテル増築に抗議

1937年01月

東京オリンピツク大会を控へ帝国ホテル株式会社では同ホテルの増築を計画中の所、美術批評家協会は、右増築案は原作着の意図に反する芸術破壊行為であり、著作権を侵害するものとして之に反対し、一月十九日常事者の反省を促す旨のコムミユニケを発表、輿論に訴へて其の趣旨貫徹を図ることとなつた。 

美術懇談会創立

1937年01月

美術批評家の有志と美術に関心を持つ文壇の作家、批評家等十四名を会員として、美術懇談会が創立され一月十一日披露された。随時懇談会を催し、知識、意見の交換等をなす由である。

戊辰会拡大結成

1937年01月

川合玉堂門下の団体戊辰会は其の組織を拡大し、新会員を加へて三十三名の外に二十五名の会友を設け、川合玉堂を顧問として研究本位の活動をなすべく、一月十日其の結成を兼ねた総会を開いた。

万国博覧会場計画委員会

1937年01月

紀元二千六百年記念の日本万国博覧会開催の準備は関係方面で着々進められてゐるが、此の博覧会の建築に関して使用材料、様式等に新生面を開くべく、万国博覧会場計画委員会が組織され、一月八日万国博覧会協会から左の通り発表された。 委員 塚本靖伊東忠太佐野利器武田五一内田祥三佐藤功一大熊喜邦、東京市土木局長衣斐清香、日本万国博協会常務理事山脇春樹、商工省商務局長東栄二、幹事 東京市産業局商工課長三村一、東京市公園課長井下清、東京市建築課長小野二郎

京都工芸院結成 

1936年12月

京都工芸界各部門の諸団体が大同団結して綜合的な工芸団体を結成する相談が行はれてゐたが、愈々十二月三十日新団体京都工芸院創設の旨が左の通り発表された。参加人数は、陶磁七十名、金工十四名、染織三十八名、漆芸二十五名、雑四名、外研究部員五十名の多数に上り明春早々発会式を挙げる筈である。 「時代の進運に鑑み工芸界の革新を企て茲に『京都工芸院』の創設を見るに至りました其れは年来工芸界に於ける一団体として聊か斯道のため力を尽して来た、五条会、綵工会、伸更会、金工作家聯盟、蒼潤社、工友園等が現下日本工芸美術の重大性に深く念ふ所あり既往の集団を拡大し一致協力工芸界の革正に当り純正なる芸術の進展を図るべき好機運たりと確信致します。 追而本院は新春を期し発会式を挙げ目的達成のため邁進するものであります。 昭和十一年十二月三十日 京都工芸院」 

巴里万国博日本館起工式 

1936年12月

明年五月開催のパリ万国博日本館の起工式は十二月二十九日午後トロカデロ庭園の敷地で佐藤大使サベツト博覧会事務総長等日仏両国の関係者多数参集の上盛大に挙行された。同館は坂倉準三の設計に成り、建坪総計千七百五十六平方米、二階建で、明年三月中に大体完成、四月に内部の陳列を終り五月早々開館の予定である。

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