大潮会設立 

1936年07月

昭和十年設立の大東会を廃止して、七月一日大潮会が設立された。浦崎永錫を常任理事とし全国図画教育者の技術向上の為、展覧会開催等の事 業を行ふものである。

豪洲国際美術借款展覧会 

1936年07月

濠洲シドニー国立美術館で国際美術借款展覧会が七月一日から開催された。之は同国政府が主催し、世界十三ケ国から現代美術を代表する絵画、及び工芸品の借用を求めたもので、前述の如く我が国も参加、日本画四点、洋画二点、工芸十二点を出品し、頗る好評であつた旨報ぜられた。

春陽会提案 

1936年06月

去る六月二十四日の洋画団体代表懇談会で今秋の文展案に不賛成の意を表した春陽会では、二十九日午後足立源一郎木村荘八中川一政石井鶴三の四委員が文相官邸を訪問し、秘書官を通じて文相宛左の如き覚え書を提出した。 一、帝国美術院をアカデミーとすべし。(美術行政に携らず) 一、文部省は主要民間美術団体を公認し之を夫々新人展と認め奨励補助すべし(奨励補助金、作品買上) 一、各団体代表より成る委員会を組織し諸般の協議に当らしむべし(政府展委員銓衡、買上品選定、各団体新会員銓衡)

帝院第三部会員打合会 

1936年06月

文展開催に関する打合せの為文部当局では帝国美術院第三部所属の残留会員を招き、六月二十九日午前十時から文相官邸で協議を行つた。

帝院第二部四会員声明 

1936年06月

帝国美術院第二部に属する会員有鳥生馬、石井柏亭安井曽太郎山下新太郎の四名は、文部当局の計画する今秋の展覧会に反対し、帝国美術院会員として何等の責任も負はぬとの態度を決定、六月二十九日左の声明書を清水院長に提出すると共に之を発表した。 「昨年六月帝国美術院総会ノ天下ニ公表セル決議ガ現文相ノ所謂試案ニヨリ根本ヨリ全然破棄サレ、今別ニ暫定的文展ナルモノノ開催セラレントスルコトニ対シテハ、我等固ヨリ賛意ヲ表セザルモ、可及的綜合ノ実ヲ挙グベク提案シ且努力セルニモ拘ハラズ、毫モコレヲ容ルヽ所トナラズ、従ツテ其展覧会ガ内容ニ於テ旧帝展系作家、而カモ其一部ヲ網羅スルニ過ギザラントシ、文相ガ過般来主張サレタル全作家綜合ノ趣意ト完全ニ反セル結果ニ陥リツヽアルハ明カナル事実ナリトス。我等ハ美術院会員トシテ斯カル矛盾不公平ナル文部省主催ノ展覧会ニ関与スルコト能ハズ。従ツテコレニ関シ何等ノ責任ヲ負フベキニ非ザルコトヲ声明スルモノナリ。 昭和十一年六月二十九日 帝国美術院会員 有鳥生馬、石井柏亭 安井曽太郎山下新太郎

日本南画院声明 

1936年06月

小室翠雲の主宰する日本南画院では六月二十八日午後麹町の同院で総会を開催、東京及び関西在住の同人十三名出席して、帝院問題並に今秋の文展に関する同院の態度に就いて協議したが、一同小室翠雲と行動を共にして文展には不参加の方針を執ることとなり、左の声明書を発表した。 「平生文相の美術界に対する態度に就て慊焉たるものあり、日本南画院同人としては暫く静観の立場に於て斯道本来の使命に邁進せんとするものなり、右声明す 昭和十一年六月二十八日 日本南画院同人」

第二部会文展参加声明 

1936年06月

第二部会では六月二十六日午後二時丸の内マーブルで委員会を開き、同日文相官邸の懇談会に出席した辻永太田三郎の両代表の報告に基き同会の態度に就いて協議した結果、今秋の文展に参加することを決定し左の声明書を発表した。 「本日の懇談会に於いて当局の声明するところに依れば本秋開催さるべき文部省主催の展覧会は形式上特に本年に限られたる如き感あれども、その意の存するところ永久の企画としてこれを伸張せしむるに在り、且つ文相が今次の所謂帝展問題に対して処せんとするところも嘗て帝国美術院会員懇談会に臨みたる試案当時と毫も変るところなく、格付廃止、既成作家認識、新人奨励等の精神をそのまゝに延長するものなりと謂ふ、故に曩に文相の明朗の態度を肯定したる本会は延いてその意思に悖る所なく開催せられんとする展覧会に対してもまた之に参加し意を同うする一般出品者及び諸団体と相協力してその顕揚に資したしと思惟す」

洋画団体代表者懇談会 

1936年06月

文部当局では文展開催に関し主要なる洋画団体の協力参加を希望して、六月二十六日午前十時から文相官邸に諸団体代表者を招き、懇談会を開催した。招きに応じて出席したものは、 第二部会 辻永太田三郎 東光会 熊岡美彦、斎藤与里 主線美術協会 高間惣七橋本八百二 春陽会 木村荘八足立源一郎 の四団体代表八名で、文部省からは伊東専門学務局長、石丸学芸課長、岩井秘書官出席、意見の交換を行つた。

近藤浩一路日本美術院脱退 

1936年06月

大正十年参加以来日本美術院同人であつた近藤浩一路は六月二十六日同院を脱退した。発表された所感に依れば、今日の日本美術院は当初の本質を離れ、天心先生の精神とは遠く、神聖修業の道場たる面目を失ふに至つたからで、帝院問題に捲き込まれたわけではない。今後は美術団体から離れて画道に精進したいとのことである。

立陣社結成 

1936年06月

旧帝展出品の青年洋画家十一名は新に研究団体立陣社を結成し六月二十五日発会式を行つた。

帝院第三、四部会員懇談会 

1936年06月

文部当局では、六月二十五日午後三時半から帝国美術院第三部及び第四部の残留会員を文相官邸に招いて懇談会を開き、文展開催に就いて当局の原案を基礎に種々協議を行つた。

独立美術協会声明 

1936年06月

独立美術協会では、二十六日文部当局の懇談会招待に関し態度決定の為、六月二十四日夜会員参集して協議した結果、不参加のことに意見一致したが、地方会員にも諮る必要があるので電報で打合せた上、翌二十五日左の通り声明を発した。 「現下の美術界情勢に於いては到底満足すべき官展を期待し得ず故に我々は文部省の提案に対して協力し能はざる事を声明す 六月二十五日独立美術協会」

二科会声明 

1936年06月

文部当局は六月二十六日洋画団体の代表者を招いて、文展案に就き懇談会を催すこととなつたが、之に先だつて、二科会では二十四日午後二時から四谷番衆町の同会事務所で総会を開催、協議した結果、文部省の計画する展覧会に対しては無関心の方針を取り、懇談会にも代表者を出席させないことに決し、左の声明書を発表した。 「二科会は帝院改組に関し既に再度闡明せる態度を持続し、今回の再改組に当りてもこれを更へざることを声明す、二科会は恒に其の創立当初の精神に則り純粋なる独自の立場を保持することに依りて国家の美術進展に貢献するを使命と信ずるものなり 六月二十四日二科会」

帝院第一部会員懇談会 

1936年06月

文部省では展覧会計画に就き打合せの為、六月二十三日午後一時から帝国学士院に帝国美術院第一部所属残留会員の懇談会を開き、文部省からは石丸学芸課長出席、当局の原案に基き種々協議を行つた。

構造社決議 

1936年06月

再改組問題に関して沈黙を守つてゐた構造社では、文相試案に対する意見決定の為、六月二十一日蔵前工業会館に会員会友等集合協議の結果、文相案中の招待展開催には大体に於いて賛成することとなり、左の如く決議、近く之を文相宛提出することとした。 「本会は文相案(第二案鑑査展を除く)招待展には賛意を表し得るも、その被招待資格銓衡案に就いては左記一項の附加を要望し、之を採用せらるる場合に限り第一案の支持を明確にす 一、各美術団体を一単位として団体毎に出品者員数を『予め公平に』振り当て出品者銓衡は各団体に一任すること」

京都工芸諸団体文相案支持 

1936年06月

京都の工芸関係諸団体は六月二十日それぞれ文相案支持の決議をなし、約三百名連署の上文相宛に建議した。

清水六兵衛意見書提出 

1936年06月

帝国美術院会員清水六兵衛は平生文相の試案に対して賛成の意見書を六月二十日郵便で提出した。

文部省展覧会原案 

1936年06月

文部省では取敢へず今秋同省主催に依る展覧会を開催することゝし、左の如き要綱に依る原案を作成、近く之に基いて文部省展覧会規定を決定することゝなつた旨、六月十九日附諸新聞で発表された。 一、本年に限り文部省主催を以て各部綜合展を開催すること、但し十二年以降の展覧会に就いては更に熟議の上決定すること 一、本年度展覧会は十月十五日より十一月二十日迄開会とし、明治節を中心に前期を新人展、後期を招待展とすること 一、審査員は各部帝院会員の意見を徴し文部省に於て選任、審鑑査の方法其の他に就いても会員の意見を徴して決定すること

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