東京芸術大学教授前田青邨の後任に吉岡堅二決定

記事番号:02066
年月:1959年02月

今年から67才を定年として、定年制が実施されることになつた芸大では、前田青邨石井鶴三丸山不忘脇本楽之軒がこれに該当し勇退することとなつた。なかでも日本画科は、従来教授をはじめ助教授、講師のほとんどを院展系作家で占めていたため、日展系作家の不満も多かつたが、それが1月8日の美校日本画出身者の同窓会で表面化し、「朝日」「東京」などの紙上で大きく報道され波紋をおこした。後任教授の問題は、その後も、日展、院展両派の対立抗争としてしばしばジャーナリズムの取りあげるところとなつたが、芸大は独自の立場から選考、後任は吉岡堅二ときまつた。なお吉岡堅二は助教授として任命される。

登録日: 2014年04月14日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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