衆議院文教委員会で美術行政を追求

記事番号:01912
年月:1957年07月

九日行われた衆議院文教委員会で、社会党代議士高津正道委員は、政府の美術行政を追求した。芸術院の在り方、日展運営上の問題等が質問の中心であつたが、これに対し宇野文部省芸術課長が答弁にあたつた。なお同様質問がその後一〇、一二日の委員会でも引つづき続行され、一二日には高橋芸術院々長が出席して質疑応答が行われた。この事態は報道関係にも大きく扱われ、斯界にセンセーショナルな話題をなげ世間一般にも大いに注目をひくところとなつたが、その後日展改革問題は高津発言に端を発して種々対策が協議された。その結果、来年より日展、芸術院を分離し、また運営会の改善等が協議された。その結果、山崎覚太郎松田権六山鹿清華の三理事は事態の責任をとつて院長に辞表を提出したが、結局岩田藤七理事の辞任があつて三名の辞表は撤回されることになつた。なほ九月二八日の日展運営会臨時総会で、芸術院との分離は正式に決定された。

登録日: 2014年04月14日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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