(冒頭言)

記事番号:00846
年月:1944年00月

戦局のすすむにつれて国内の戦時体制は次第にきびしくなり、美術界も殆ど戦争を中心として動いた観があつた。戦争の記録画や南方の風物画が展覧会の主流となり、工場や農村の写生画がこれにつぎ、その外では歴史画の傾向がいちじるしく目立つた。これとともに各種の献画運動、軍事や産業人に対する慰問援護運動が活?であつた。恒例の秋の美術シーズンも本年は院展、二科、一水会と由緒ある展覧会がいづれも停止し、情報局から「美術展覧会取扱要綱」が発表されて、美術報国会主催共催以外の一般展覧会は情報局の承認を要することとなり、二科会をはじめ解散する団体も多かつた。年末になると空襲も頻繁となつて自然美術界も不活動の状態に陥り、文展も本年は休止して「戦時特別展」がこれに代つて開催された。

登録日: 2014年04月14日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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