オリンピツク東京大会場決定

記事番号:00232
年月:1937年07月

昭和十五年に開催さるべきオリンピツク東京大会の主競技場建設に関しては、明治神宮外苑競技場改造、千駄ヶ谷拡張、郊外移行等の諸案が研究され、半歳に亙つて決定を見るに至らず幾多の困難を重ねて来たが、組織委員会の希望する外苑改造に就ては、予て反対意見を持してゐた内務当局も六月二十一日に至り条件を提示して容認する意向を示した。組織委員会は同二十二日常務委員会を開き右条件を承認の上許可願を提出、内務省の諮問に応へて之を審議すべく七月七日外苑管理評議委員会が開かれたが、更に若干の追加条件を附して承認することとなり、東京大会主競技場の外苑建設は総ての手続を経て七月十九日正式に決定された。改造に関する条件は大要左の如くである。 一、外苑競技場拡張に要すべき一切の経費は明治神宮に奉納すること、物価騰貴等の為予算超過の場合は更に追加奉納すること、一、スタンド総坪は七千五百坪以内、仮設スタンドを含み高さ七十尺以内、大会終了後は一部を取払ふこと、一、工事の設計並に施工は外苑管理署若くは内務省之を行ふこと、一、競技場の管理、使用に就ては絶対に条件を附せざること、一、東京大会延期若くは中止の場合に於ても外苑競技場として適当と認むる工事は完了すること、一、神社境内に於て行ふを不適当と認むる行為並に設備は之をなさざること、其の他

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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