京都画壇出品に決す 

記事番号:00011
年月:1936年02月

前項の京都画壇不出品問題に就き、文部省石丸学芸課長は二月十一日入洛し、帝国美術院会員等と懇談を重ね、府市当局者等にも斡旋を求むる所があつたが、其の結果翌十二日円満なる解決に達する諒解成立し、会員等も一般の作家に対して不出品申し合わせの撤回を勧告した為、一同之に従つて今次の不出品運動は解消するに至つた。右に就き同日午後四時、西山、西村両名は入院中の土田の同意を得、三名の名を以て左の如き談話を発表した。 「私共は一般少壮作家の不出品にまで拡大した事態に対し心配し今後の局面打開策を考へてをりました折柄文部省では使者を派遣されわれわれとの間に種々協議を行つた結果文部省ではわれわれの目的要望をよく理解されましたので気分も自ら朗らかとなりここに至つては一般作家にも是非出品してもらはうといふことになつた次第であります、締切日などについては運送店と交渉中でありまして適当なる取扱ひをしてくれることと信じます、なほこの問題については京都市長も尽力されました。」

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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