竹内栖鳳の再改組意見 

記事番号:00005
年月:1936年01月

昨夏の帝国美術院改組以来沈黙してゐた竹内栖鳳の新帝院反対、帝院再改組要求の意見が、第一回帝展を間近に控へた一月三十一日報知新聞紙上に記者の訪問記として発表され、世人の注目を牽いた。後に記す如く、京都画壇に俄に帝展不出品の運動が起つたのは、此の栖鳳の意見が動因となつたものである。紙上に伝へられた所を抄録すれば左の如くである。 「文部省の改組のやり方は案のねり方が足らず、それをまた権力でまとめて行かうとするところが見える、会員内部の反対があつても、無理に押切らうとしてゐる、面目にこだはつてゐる、面目とは商人の損得です、帝院改組後日が経つにつれ、それが益々はげしい、全美術界はもめにもめて不潔な毒ガスを発生してゐる、その中にあつて、私は「帝院再改組」を要望する一人です・・・・・・咲き競ふ各流派の美術はいはば「七色の虹」です、処が新帝展は虹を一色に塗りつぶさうとしてゐる・・・・・美術は政府直接の庇護を必要とする時代と、さうでない時期があります、今や政府の直接庇護を必要としない時期に入つたと思ひますその昔浮世絵も南画も野に咲いたからこそ栄えたのです・・・・・・従来旧帝展内部には東京方、京都方と二つの流れが対立してゐたやうに人はいつてゐる、ところが今度は、更に院展派といふ流れをも一つ加へたので、新帝展は旧帝展よりも一つはげしい闘争の府となつたのです・・・・・・文部当局が「再改組は必ずやるから第一回だけ顔を立てゝくれ」と態度をハツキリすれば、私とて一夜漬でも出品しないでもない、ところが文部当局は第一回新帝展がうまく成功すれば、そのまゝ再改組をやらずに押切らうとする意向が見える、それでは新帝展に出品すれば、それだけ再改組から遠ざかるやうなものだ、不条理を我慢してまで文部当局に義理立てする筋合はありません。」

登録日: 2014年04月11日
更新日: 2020年12月11日 (更新履歴)
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