1887(明治20) 年11月18日


 十一月十八日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)またゑかきのともだちのふぢさんといふひとのうちににつぽんからさみせんやたいこなんどがおくつてきましてひさしぶりでしやみせんのねをきゝました につぽんではさみせんはやかましいやらなにやらへんなものでしたがこちらできくとめづらしくてなかなかよろしゆうございます ふぢさんといふひとはなかなかげいにんにてさみせんをよくひきます こんげつの三日のひわてんちようせつでしたからふぢさんのうちでおさけをのむやらうたをうたうやらとぶやらはねるやら大さわぎをいたしました さみせんがあつたもんですからまことにおもしろいことでした わたしはにつぽんにをるときからみるとおさけものめるようになりました けれどもまだなかなかにてぶとうしゆかびるでさゑもこつぷで一ぱいものめばもうせけんがとうくなつたようなこゝろもちになるもんですからこの三つかの日もすつかりよつぱらいみんなとわらつたりなにかしてあそんでをるときはよろしうございましたけれどもうちへかへつてからはなかなかくるしいことでございましたよ わかいしよせいばかりあつまつてこんなにさわぎをしたことわこちらにきてからはじめてでした ぶんぞうさんもいよいよおたちになりましたよし もうとうからぬうちにこちらにおつきなさるだろうとまいにちおまちもうしてをります またぶんそうさんのびんからいろいろとよいものをおくつてくださいましたよしあつくおんれい申上ます わたいれのきものはまことにありごとうございます そつそくきてみませう このごろはわたしのをるところのぢきわきにいちがたちましてなかなかにぎやかなことでございます まづちよつとゆつてみればおてんじんさまのおまつりのながくつゞいたようなものです あめやだのめがねだのまたけだものゝみせものやらきでつくつたうまにのるのやらぶらんこやしやしんやしゆじゆざつたなものがでてをります わたしなんどもばんめしをたべてからうんどうながらいつてみます なかなかにぎやかなことです 新二郎やなをなんどがをつたならずいぶんみたいものやかいたいものがたくさんあることだろうとぞんじます またしゝつかいなんどもでゝおります ずいぶんおもしろいといふはなしです まづこどもなどの一ばんたのしみになるのはきでつくつたうまでしよう それハこんなあんばいです〔図〕 こんなにまるくしてをりましてくるくるとまわります そうしてまんなかのところでをゝきなおるごるのようなものでをんがくをしてをりますからなかなかおもしろいようです またこのうまにのるのはこどもばかりではなくおゝきなおんなやおとこがたくさんのつてよろこんでをります またこんなふうのうまもあります〔図〕 このほうはまわりもなにもいたしません たゞうへにのつてをるひとがほんとうのうまにのつてをるようにからだをまへにやつたりうしろにそねくつたりするとこのきのうまがほんとうのうまがはしるようにいごきます わかいをんななどがのつてきやあきやあゆつてたのしんでをるのはずいぶんみものです せいようのおんなは一たいにつぽんのおんなよりおてんばのほうですけれどもこんなうまなどにのてきやあきやあゆつてをるようなおんなはみんなしよくにんのむすめかなにかにてごくしかたのないやつばかりです(後略)

同日の「久米圭一郎日記」より
de 9h à midi nous avons été à l’atelier. Après-midi j’ai écrit une lettre pour le Japon No 27 dont j’ai écrit à mon père de la culture des légumes potagers et pour ma mère le récit de la visite des vins de samedi dernier. Ce soir j’ai reçu une lettre du Japon No Ex 11.

(和訳)十一月十八日 金曜日
九時より正午まで我々はアトリエにいる。午後、日本への第二十七号の手紙を書く。父には食用野菜の農法について、母には先日の土曜日に酒屋に行ったときの話を書く。今夜、日本から号外の第十一号の手紙を受け取る。

11/18 Vendredi