研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


文化遺産国際協力コンソーシアムによる第29回文化遺産国際協力コンソーシアム研究会「文化遺産にまつわる情報の保存と継承~開かれたデータベースに向けて~」の開催

第29回研究会「文化遺産にまつわる情報の保存と継承」
第29回研究会の様子

 今日、文化遺産に付随する情報をデータベースに記録することが、デジタルアーカイブをはじめとした記録技術の進化によって可能になるとともに、様々な地域特有の情報をデータベース上で継続的に収集するといった双方向的な取り組みも始まっています。文化遺産にまつわる情報の保存と継承の望ましいあり方を考え、この分野での今後の国際協力の可能性についても議論するため、文化遺産国際協力コンソーシアム(本研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和3(2021)年8月9日にウェビナー「文化遺産にまつわる情報の保存と継承~開かれたデータベースに向けて~」を開催しました。
 齋藤玲子氏(国立民族学博物館)による「フォーラム型情報ミュージアムプロジェクトとアイヌ民族資料の活用」、無形民俗文化財研究室長・久保田裕道による「無形文化遺産に関わる情報の記録と活用について」、林憲吾氏(東京大学)による「アジア近代建築遺産データベースの40年:その展開・変容・課題」の3講演が行われ、続くパネルディスカッションでは、近藤康久氏(総合地球環境学研究所)の司会のもとデータベースに記録する対象やデータベース作成を通じた国際協力の可能性について議論されました。
 文化遺産にまつわる情報をどう残し、誰に伝えるかという点において、より多くの立場の人々が関わるようになるとともに、その方法も多様化してきています。コンソーシアムでは引き続き、関連する情報の収集・発信に努めていきたいと思います。
 本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/jcicheritageinformation20210625/

スタッコ装飾に関する研究調査

入江長八による鏝絵(善福寺、東京)
ティチーノ様式によるスタッコ装飾

 スタッコ装飾は、その様式や制作された目的こそ異なれ、世界中の様々な地域にその存在を確認することができます。文化遺産国際協力センターでは、令和3(2021)年度より、運営費交付金事業「文化遺産の保存修復技術に係る国際的研究」の一環として、スタッコ装飾に関する研究調査を開始しました。これは、スタッコ装飾が発展や衰退を繰り返しながらどのように各地域に伝播したのかその軌跡をたどるとともに、今日、それらの保存修復に向けた取り組みが各国でどのように行われているのかを把握、検証することを目的としています。5月29日には欧州を中心にスタッコ装飾の保存に携わる専門家の方々に参加いただき、オンラインによる意見交換会を行いました。
 意見交換では、地中海沿岸地域や16世紀から18世紀にかけて欧州におけるスタッコ装飾の礎を築いたスイスのティチーノ地方におけるスタッコ装飾についての話題提供があり、日本からは、伝統的な漆喰を用いて作られる鏝絵(こてえ)や、幕末から明治時代にかけて西洋建築を真似て造られた擬洋風建築とともに普及した漆喰彫刻の技法や材料、現在の維持管理状況などについて、これまでの研究調査で分かったことを紹介しました。
参加した専門家からは、国や時代の違いを超えて技法や材料に多くの共通点が見出せることに驚きの声があがるとともに、維持管理に関する課題にも類似点が多いことから、現状の改善に向けた保存修復方法について、共同で検討を重ねていくことで合意しました。
 今後、国内での研究調査を継続するとともに、海外の研究協力者を募り、研究対象地域を拡大させていく予定です。そして、意見交換や研究成果の共有を通じて情報を蓄積し、スタッコ装飾に対する理解を深めるとともに、その保存と継承についてともに考える場としていきたいと思います。

モントリオール美術館(カナダ)からの日本絵画作品搬入

開梱作業風景

 海外の美術館、博物館には多数の日本美術品が所蔵されています。しかしほとんどの館には日本美術品の修復を手掛けることのできる技術者がいないため、劣化や損傷が進行しているにもかかわらず適切な処置を講じることができずにいます。在外日本古美術品保存修復協力事業では海外にある作品を調査し、その中から文化財的な価値が高く、かつ修復の緊急度も高いと判断した作品を所蔵館と協議の上で一度日本に持ち帰り、国内で万全な体制のもと修復を行ったのち返却しています。
 カナダで最も古い美術館であるモントリオール美術館は、1879年の開館以来移転や拡張を経て現在では45,000点以上の作品を所蔵しており、その中には日本の作品も数多く含まれています。平成30(2018)年に実施した現地調査の結果にもとづき、今回、同館所蔵の「熊野曼荼羅」(絹本着色掛軸、一幅)および「三十六歌仙扇面貼交屏風」(金地着色屏風、六曲一双)の2件を対象として保存修復を行うこととしました。
 作品の搬送に所蔵館担当者が随伴できないなど、新型コロナウィルス禍の影響を受けつつも、令和3(2021)年3月に無事日本へ作品を輸入することができました。今後、現状調査ならびに高精細画像撮影を含むドキュメンテーションを皮切りに一連の保存修復作業に着手する予定です。

オンライン国際研修「3次元写真測量による文化遺産の記録」の実施

オンライン国際研修の様子

 文化遺産国際協力センターでは、ポストコロナ社会における文化遺産国際協力の一手法として、デジタルデータの活用を積極的に取り入れることを念頭におき、令和2(2020)年11月12日および25日に、NPO法人南アジア文化遺産センター(以下、JCSACH)との共催でオンライン国際研修「3次元写真測量による文化遺産の記録」を実施しました。3次元写真測量とは、対象物をデジタルカメラ等で様々な角度から撮影した写真から、対象物の正確な形状の3次元モデルをコンピューター上で作成する技術です。コンパクトデジタルカメラやスマートフォンなど、身近な機材で3次元モデルを作成できるため、文化遺産の現場で実用性の高い記録手法として普及し始めています。今回の研修では、当研究所が協力事業を行っているカンボジア、ネパール、イランの3か国に、JCSACHの協力国であるパキスタンを加えた計4か国を対象として、各国で文化遺産の保護を担う研究者や実務者を研修生に迎えました。
 考古学分野における3次元写真測量の第一人者であるJCSACHの野口淳事務局長が講師を務め、研修生は、第1回目の講義で、3次元写真測量の原理や撮影の方法、ソフトウェアの基礎的な操作を学び、その後、約1週間の自主練習期間中に各自で3次元モデルの作成に取り組みました。第2回目の講義では、研修生がそれぞれ作成したモデルを発表し、さらに、モデルから断面図を作成する方法など、より発展的な内容を学びました。
 ZOOM接続の問題によりイランからの研修生はオンライン参加が叶わず教材提供のみとなりましたが、カンボジア、ネパール、パキスタンの3か国から計24名の研修生が参加しました。3次元写真測量を初めて経験する研修生がほとんどでしたが、講師に熱心に質問する姿が見られ、終了後のアンケートでは、修復現場における遺構の記録あるいは博物館の展示に利用したいといった、それぞれの立場から3次元写真測量データの活用へのアイデアが寄せられました。
3次元写真測量が各国共通の記録手法として定着し、遠隔でも文化遺産の3次元情報を共有することが可能になれば、今後の国際協力事業にも新たな展開が見えてくるのではないかと考えています。

研究会「東南アジアにおける木造建築遺産の保存修理」の開催

研究会「東南アジアにおける木造建築遺産の保存修理」プログラム

 令和2(2020)年11月21日、東南アジア諸国で行われている木造建築の保存修理の方法や理念をテーマとした研究会をオンラインで開催しました。この研究会は、文化遺産国際協力センターが東南アジアの木造建築をテーマに連続で開催してきたもので、今年はその4回目となります。これまでの3回は、歴史学や建築史学、考古学といった学術的な側面から東南アジアにおける木造建築の実像に迫ってきましたが、今回はこのテーマの研究会の締めくくりとして、当研究所が日々の業務で取り組んでいる文化財保護の実務的な側面に焦点をあてました。
 研究会には東南アジアにおける木造建築の保存修理を担う技術者として、タイ王国文化省芸術局建造物課主任建築家のポントーン・ヒエンケオ氏とラオス・ルアンパバーン世界遺産事務所副所長のセントン・ルーヤン氏、また東南アジア地域の文化遺産保護に精通した専門家としてユネスコ ・バンコク事務所文化ユニットのモンティーラー・ウナクーン氏の参加を得ることができました。ポントーン氏からはタイ国内の文化財に指定された寺院建築、セントン氏からはルアンパバーンの町並みを構成する住居建築を事例にして、文化遺産としての木造建築修理の方針や具体的な方法についてそれぞれ報告があり、モンティーラー氏からはインドネシアやタイで近年行われた木造建築の保存修理やこれに関する人材育成の先駆的取組みが紹介されました。
 研究会の後半には、友田正彦文化遺産国際協力センター長の司会のもと、前半の報告者3名に国宝・重要文化財建造物保存修理主任技術者である文化財建造物保存技術協会の中内康雄氏を加えた計5名によるパネルディスカッションが行われました。その中での議論を通じて、木造建築の保存の考え方や修理の仕方には図らずも多くの共通点があることが改めて確認されるとともに、生産者や職人など伝統的な材料や技術を支える人材の不足が、現代社会の中で伝統木造建築が抱える普遍的な課題であることが認識されました。
 今回の研究会は、もともと当研究所セミナー室で開催する予定で準備を進めていましたが、コロナウィルスの感染拡大の収束が見通せない状況に鑑み、ウェビナー形式に切り替えて開催したものです。従来、実地で開催してきた研究会をオンラインで開催することができたのは一つの収穫といえますが、当方の不慣れに加えて想定外のトラブルもあり反省点が数多く残されたことも確かです。これを機にポストコロナ社会に適したあたらしい研究会等イベントのあり方を模索していきたいと思います。

第27回文化遺産国際協力コンソーシアム研究会「コロナ禍における文化遺産国際協力のあり方」の開催

第27回研究会「コロナ禍における文化遺産国際協力のあり方」

 新型コロナウイルスの感染拡大により、文化遺産国際協力の現場も大きな困難に直面しています。コロナ禍において、各プロジェクトがいかに対応しているのかという具体的な情報を共有するとともに、文化遺産国際協力の今後とその可能性について議論するため、文化遺産国際協力コンソーシアムは、令和2(2020)年9月5日にウェビナー「コロナ禍における文化遺産国際協力のあり方」を開催しました。
 「コロナ禍におけるアンコール遺跡の保存事業」と題した一つ目の報告では、現地カンボジアから参加した長岡正哲氏(UNESCOプノンペン事務所)が、コロナ禍で観光客が減少したことでアンコール遺跡周辺の観光業が深刻な打撃を受けている一方、カンボジア政府組織APSARAは、そうした状況を逆手に取り、これまで着手できなかった遺跡周辺の大規模な整備事業や、新たな調査を行っていることを紹介しました。
 二つ目の報告「デジタルツールを利用したリモート国際協力事業の例」の中では、渡部展也氏(中部大学)が、紛争下にあるシリアにおいて破壊の危機に瀕する文化遺産の3Dドキュメンテーション作業を、日本からインターネットを介して、リモートで支援する取り組みを紹介しました。
 關雄二氏(国立民族学博物館)の司会のもと、友田正彦氏(東京文化財研究所)、山内和也氏(帝京大学文化財研究所)が加わったパネルディスカッションでは、オンラインを通じた研修や、デジタルツールを活用したリモートでの調査・保護活動の可能性と限界について議論され、研究会は終了しました。
 コロナ禍でも文化遺産国際協力を前進させようとする各プロジェクトの新たな試みや挑戦、そこで培われた知識や経験を、コロナ後の文化遺産国際協力に生かしていけるよう、コンソーシアムでは、関連する情報の収集・発信に努めていきたいと思います。
 本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのURLをご覧ください。
 http://www.jcic-heritage.jp/jcicheritageinformation20201110/

エントランスロビー展示「カンボジア・アンコール・タネイ寺院遺跡東門の修復」

上部構造を解体した東門のAR展示イメージ(技術協力 山田修(東京藝術大学大学院特任教授))

 当研究所のエントランスロビーでは、私たちが日々取り組んでいる仕事を皆様に広く知ってもらえるように、各部・センターの持ちまわりで年替わりのパネル展示を行っています。2020年度の展示は文化遺産国際協力センターが担当し、長年取り組んでいるカンボジアのアンコール・タネイ寺院遺跡の保存に対する協力の中から、昨年始まった同寺院東門の修復工事を紹介しています。
 カンボジアを代表する大遺跡であるアンコールでは、カンボジアが国内政治の混乱から抜け出した1990年代以降、我が国のほかフランスやアメリカ、インド、中国といった世界各国の全面的な支援によって壮麗な建築群の復旧と復興が進められてきました。タネイ寺院遺跡では国際支援の考え方を一歩前に進め、カンボジア政府のアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)と当研究所が共同で作成した保存整備計画に沿って、カンボジア社会で持続可能な方法での遺跡の修復や整備を進めていこうとしています。東門の修復工事は同計画のもとで行われる初めての本格的な保存整備事業です。APSARAが修復工事の予算の確保と実施を担う一方、当研究所は工事の前に必要となる建築調査や発掘調査を行うとともに、修復の方法や工事の進め方に対する助言や提案を行っています。
 タネイ寺院遺跡の調査では、3Dレーザー計測や写真測量(フォトグラメトリー)など近年の進展が目覚ましいデジタル記録技術を積極的に導入しました。特にフォトグラメトリーは、簡易かつ本格的なソフトウェアが一般向けに商品化されており、現在のカンボジア社会でも汎用性の高い技術として文化遺産保護分野への応用が十分に期待できるものです。今回の展示では現地の雰囲気を身近に感じられるように、こうしたデジタルデータを活用して、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)と呼ばれる展示方法にも挑戦しています。こうした展示を通じて、当研究所が取り組んでいる文化遺産保護の国際協力に少しでも関心をもっていただければ幸いです。
https://www.tobunken.go.jp/info/panel200704/index.html

コロナ禍におけるアンコール・タネイ寺院遺跡保存整備のための技術協力の取り組み

東門の基礎構造の補強方法検討図
ICC事務局による東門修復工事の視察(APSARA提供)

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に対する技術協力を継続的に行っています。昨年からはAPSARAと共同で策定した保存整備計画に基づいて、同寺院東門の修復工事に取り組んでおり、APSARAが工事の予算確保や実施を担う一方、本研究所は工事前や工事中の建築調査および考古調査を担うとともに、修復の方法や工程に対する助言や提案を行っています。
 今年に入り、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により諸外国との往来が困難になる中、3月末以降カンボジアへの渡航も事実上不可能になってしまいました。しかし、カンボジア国内では本格的蔓延に至っておらず、通常の業務が継続されている中、日本側の事情だけでAPSARAの事業計画を中断させるわけにもいきません。そこで4月からは、通常のメールによる連絡のみならず携帯端末のメッセージサービスを積極的に活用してリアルタイムな現場の状況把握に努めるとともに、必要に応じて適宜オンライン会議を開催するなど、手探りながらもICT(情報通信技術)を用いた技術協力の取り組みを進めています。
 令和2(2020)年4月21日、2月から3月にかけて現地で行った基礎構造の強度調査等の分析結果の共有と、これに基づく適切な修復方法や構造補強方針に関する意見交換を目的に、APSARAの修復担当チームとのオンライン会議を開催しました。会議には協力研究者である東京大学生産技術研究所の腰原幹雄教授(建築構造)および桑野玲子教授(地盤機能保全)の参加を得て、専門的見地を交えた踏み込んだ議論を行い、当初構法のオーセンティシティの保存と構造的安全性の両立に向けた修復と補強の基本的な方向性について合意を得ることができました。この基本合意のもと、5月と7月にも、それぞれ基礎構造と上部構造について検討するためのオンライン会議を開催し、現場の最新状況と計画図面等の情報を共有しながらの双方向での議論を経て、現段階で最も適切と考えられる具体的な修復・補強方法を決定しました。
 一方、例年6月にAPSARA本部において開催される、アンコール遺跡国際調整委員会(ICC)技術会合も今年は延期となり、ICC事務局による現場視察のみが行われました。この視察にあわせてAPSARAと本研究所は、上記の検討内容を含む事業計画進捗状況報告書を共同で作成、ICC事務局に提出しました。さらに、ICCの専門委員を務める京都大学大学院の増井正哉教授とのオンライン会議を開催し、目下の検討・計画内容について指導助言を得るとともに、アンコール遺跡の国際協力を取り巻く動向等に関する意見交換を行いました。
 このように、図らずも、ICTによる文化遺産の修復協力の可能性を実感できたことは大きな収穫ではあります。とはいえ、文化遺産の保存は、それぞれに独自の価値を有するもの自体が対象である以上、遠隔での情報の共有や対話だけでは自ずと限界があることも確かです。新型コロナウィルス感染症の流行が収束し、再び自由な往来ができる日が一刻も早く戻ることを願ってやみません。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査IX

基壇の解体
コアサンプリング

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業への技術協力を継続しており、令和元(2019)年9月より、同遺跡保存整備計画の一環として、東門の修復工事をAPSARAと共同で進めています。令和2(2020)年2月26日から3月18日にかけて、3次元レーザースキャナーを用いた東門基壇の記録および基礎構造の強度調査等を目的に、職員および外部専門家計4名の派遣を行いました。
 2月27日から28日まで、上部構造の解体により露出した基壇および発掘調査を行った基壇外側入隅部の状態を正確に記録するため、東京大学生産技術研究所(東大生研)の大石岳史准教授の協力のもと、3次元レーザースキャナーを用いた基壇の計測を行いました。こののち、基壇内部盛土層の平板載荷試験、およびラテライト下地材等の一軸圧縮試験を予定していましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で外部専門家の派遣を中止せざるを得なくなり、現地では2019年12月に続く第2回目の簡易動的コーン貫入試験のみを実施しました。
 簡易動的コーン貫入試験は、基壇内部盛土層と基壇外縁部の基礎地業層を対象として計11カ所で実施したところ、基壇内部盛土については壁直下部の方が室内中央部(床下)より概して大きい数値を示しました。この要因としては、試験時の気候の違いが影響している可能性はあるものの、壁直下では長期的な建物の自重により版築が締め固められ、現状で上部荷重を支持するのに十分な強度を有していることが推測されます。併せて、最下層の基礎地業を含む断面構造確認のため、ハンドオーガーによるコアサンプリングも行いました。
 後日、3種類の試験体(既存のラテライト旧材、今回修復で劣化部の置換に使用するラテライト新材、据付調整用のライムモルタル)について、東大生研の桑野玲子教授、大坪正英助教の協力のもと、一軸圧縮試験等を行った結果、ラテライト旧材と新材とで顕著な強度差はないことなどが判りました。
 世界的な新型コロナウイルス感染拡大により、当研究所が実施する国際協力事業も未曾有の状況が続いていますが、オンライン会議やデジタルデータ等を積極的に活用しながら、ひきつづき綿密な協力体制を維持できるよう模索しています。

台湾指定古跡・旧日本海軍鳳山無線電信所の調査

現在の旧佐世保無線電信所施設とその周辺(長崎県佐世保市)
旧鳳山無線電信所の中心にある電信室正面(台湾高雄市)

 長崎県の佐世保市と西海市をへだてる針尾瀬戸をみおろす丘陵上にある旧佐世保無線電信所(針尾送信所)は、海軍が大正11(1922)年に建設した長波通信基地の遺構です。わが国のコンクリート構造の草分けとして知られる海軍技師・真島健三郎(1874~1941)が率いた佐世保鎮守府建築科が手がけた、高さ136メートルに及ぶ3基の巨大な電波塔に象徴される上質な鉄筋コンクリート造の建造物群は、当時最高水準のコンクリート技術を示すものとして、平成25(2013)年に重要文化財に指定されています。
 重要文化財の指定後、旧佐世保無線電信所施設(以下、佐世保)を管理する佐世保市では文化財としての保存と活用のための整備を進めています。令和2(2020)年2月12~13日の間、筆者が委員を務める整備検討委員会の活動の一環として、台湾南部の高雄市郊外にある旧日本海軍鳳山無線電信所の調査を行いました。
 鳳山無線電信所(以下、鳳山)は、同じく佐世保鎮守府が手がけた長波通信基地で、佐世保より5年先立つ大正6年(1917)に完成しました。2000年代まで台湾海軍の招待所や訓練所として利用された後、公開施設となり、2010年に台湾の古跡に指定されています。鳳山は、佐世保と同じ組織による設計だけあって、電波塔こそ当時一般的な鉄塔(解体撤去済み)でつくられたものの鉄筋コンクリートが多用され、半径300メートルの円周道路や中心部の主要施設の配置など佐世保と類似した構成になっています。今回の調査で、鳳山は戦後一貫して大規模な更新や改造を要しない教育的施設であったため、主要建物の改変が比較的少なく、日本海軍時代の様相を今も留めていることが確認できました。特に施設の中心にある電信室は佐世保と同形式で、一部火災で消失しているものの、鉄扉や上下窓枠といった建具のほか内部の床や階段など木製の造作が残っており、建設当時のよく姿を伝えています。佐世保の電信室は大戦末期の耐爆化に伴う改造に加え、海上自衛隊及び海上保安庁時代の時々折々の改修も少なくないことから、今後、保存修理の方針を検討する上での有効な参考資料になると考えられます。
 いっぽう鳳山には現地で「十字電台(ラジオ局)」と呼ばれる、その重厚な建築的特徴から作戦指揮所を思わせる特異な建物があるなど、少なからず佐世保との違いもありました。鳳山の整備では、白色恐怖(国民党政府が反体制派に対して行った政治的弾圧)時代に鳳山が政治犯矯正の場所となっていた事実に焦点が当てられており、日本海軍時代については余り注目されておらず、未解明の事柄も多く残されているようです。今後、文化財としての保護を共通項に、佐世保と鳳山の交流を進めていくことで、日台の近代化遺産における保存理念や修理方法の展開にも貢献できるものと期待されます。

ブータン王国の歴史的建造物保存活用に関する拠点交流事業III

ワークショップ前の現地確認(カベサ集落を望む)
ワークショップでの議論の様子(DCHS会議室)

 東京文化財研究所(東文研)では本年度、文化庁の文化遺産国際協力拠点交流事業を受託し、ブータン王国の民家を含む歴史的建造物の文化遺産としての保存と持続可能な活用のための技術支援及び人材育成に取り組んでいます。令和2年1月16日、同国内務文化省文化局遺産保存課(DCHS)が開催したラモ・ペルゾム邸の保存活用に関するワークショップに、外部専門家3名を含む計6名を派遣しました。
 ラモ・ペルゾム邸は、首都ティンプー近郊のカベサ集落に所在する同国内の現存最古級と目される民家で、ブータン政府が成立を目指している文化遺産基本法(新法)のもとでの民家建築の保存候補の筆頭に挙げられるものです。いっぽう無住となって久しく、また経年劣化の進行も著しいことから、その保存の可能性や活用の方向性について、行政や所有者、地域コミュニティといった関係者間での予備的な合意形成が求められる状況でした。そのような問題意識から、ワークショップはラモ・ペルゾム邸の保存活用に対する様々な見解を共有し、実現可能性が高い方向性を探ることを目的に、利害関係者として所有者と地域コミュニティの代表者のほか、公共事業定住省の地域計画担当者、観光庁の観光開発担当者を召集し、東文研は文化遺産に関する理念的・技術的な見地からの助言を行うために参加しました。
 ワークショップの前半は、文化遺産保護を進める立場から、東文研が現地調査に基づく保存の方針と修復の方法に関する提案、DCHSが行政による資金面を含む支援のあり方に関する報告を行いました。対して保存を担う立場からは、文化遺産としての高い評価に対する理解が示されたいっぽう、所有者から現代に即した活用による経済的利益の確保、また地域コミュニティ代表者から保存に対する行政の積極的な関与の必要性が強く要望されました。そして後半には、前半の発表や意見をもとにした活発な議論が行われ、(1)新法による指定など文化遺産としての価値付けのための手続きを加速すること、(2)修復に対する行政の支援や保存に対する所有者の義務など保護に係る枠組みを明確にすること、(3)文化遺産として適切かつ所有者の意向に配慮した活用案を検討することなど、ラモ・ペルゾム邸の保存活用を進めていく方向で参加者間の合意が図られました。
 東文研では今後もDCHSに協力し、ブータンにおける民家建築等の文化遺産としての保存活用の実現に向けて、現地調査や研究活動を継続していく予定です。

「ネパールの被災文化遺産保護に関する技術的支援事業」による現地派遣(その13)

第3回市長会議の様子

 文化庁より受託した標記事業の一環として、東京文化財研究所(東文研)では、ネパールにおける歴史的集落保全に関する行政ネットワークの構築支援を継続しています。これに関して、令和元(2019)年9月23日および12月1日に担当者レベルのエンジニアワークショップをキルティプル市で開催し、その成果を受けて、令和2(2020)年1月5日には「カトマンズ盆地内の歴史的集落保全に関する第3回市長会議」を同市と共催しました。
 市長会議は、歴史的集落保全に関する各市の取り組みや課題を共有する場として平成30(2018)年に始まり、これまでにパナウティ市(2018年)とラリトプル市(2019年)で開催しています。
 キルティプル市は、世界遺産暫定リストに登録されている旧市街地「キルティプルの中世集落」を有し、目下、市独自の保全条例制定に取り組んでいます。そのため、今回は「歴史的集落の保全制度」をテーマとし、2回のエンジニアワークショップを通じて制度に関する現状課題の把握と議論、情報共有を行いました。その結果、歴史的集落保全の行政組織や制度上の課題として、国政レベルにおいて文化財保護行政と都市計画行政で足並みが揃わず、歴史的集落保全のための枠組みが実効的な制度となっていないこと、また、市政レベルでは、独自条例を設けて先駆的に街並み保全を行っている市もあれば、条例やその基準を作成段階の市もあり、それぞれの市が抱えている課題の水準が異なることが明らかになりました。
 そこで市長会議では、これら国政と市政レベルでの課題を相互に共有することを目的として、国の文化財保護行政および都市計画行政が各々取り組んでいる保全制度について各担当者が報告し、5市のエンジニアが各市の条例やその課題について発表しました。日本側からは、神戸芸術工科大学の西村幸夫教授が「歴史的集落の保存と都市開発の役割分担」と題して基調講演を行い、東文研文化遺産国際協力センターの金井健保存計画研究室長が、日本の重要伝統的建造物群保存地区制度の事例を紹介しました。会議には、5市長、4副市長を含む120名ほどが参加し、会議の終盤にはフロアのエンジニアも交えた活発な意見交換が行われました。
 ネパールの歴史的集落保全は、国からの財政的、技術的なサポートが十分ではなく、各市は財源や人材の不足など多くの課題を抱えています。また、歴史的集落における基礎的調査の不足や、研究者や専門家との協力体制が築かれていないことも、既存の制度が有効に機能していない一因といえます。
 研究機関を交えた歴史的集落保全ネットワーク運営母体を立ち上げるための検討も始まりつつあり、歴史的集落保全を取り巻く環境の改善に向けて、自立的かつ継続的な関係者間の連携がさらに強化されていくことを期待しています。

バガン遺跡(ミャンマー)における技術協力事業打ち合わせ

壁画の図像に関する民俗学的調査
虫害による壁画の損傷状況調査

 東京文化財研究所では、ミャンマーのバガン遺跡において煉瓦造寺院の壁画と外壁の保存修復方法に関する技術支援および人材育成事業に取り組んでいます。同遺跡は、昨年に開かれたユネスコの第43回世界遺産委員会において、世界文化遺産への登録が決定しました。これを受けて、新たにバガン国際調整委員会“Bagan International Coordinating Committee”(BICC)が創設され、保全制度の改善に向けた取り組みが行われています。同委員会では、支援活動を行う各国の取り組みをこれまで以上に有効活用すべく、情報共有と相互調整を目的とした国際会議を毎年開催する方向で調整が進められています。
 こうした現地状況の変化に係る情報を収集するため、令和2(2020)年1月15日から31日にかけてミャンマー宗教文化省(ネピドー)、バガン考古支局をそれぞれ訪問し、今後の協力事業の方向性について意見交換を行いました。その中では、現地専門家に対するさらなる技術指導を望む声が聞かれ、支援活動を継続していくことで合意しました。
 また、これと並行して昨年の7月に続き壁画の図像に関する民俗学的調査と、虫害により発生したと考えられる壁画の損傷状況の把握および対策協議のための現地調査を行いました。図像に関する調査では、仏教の受容とミャンマーの土着信仰との関係性について現地有識者から聞き取り調査を行うとともに、壁画に土着信仰による影響が見られないか、バガンを中心に詳細な作例収集を行いました。今後はバガン以外にも調査範囲を広げていく予定です。一方、虫害による壁画の損傷状況の調査では、シロアリやドロバチによる壁画の破損や汚染が確認されました。今後は現地の環境にあった対策が構築できるよう詳細な調査を行う予定です。
 東京文化財研究所では、バガン遺跡における文化財保存を包括的に捉えながら、現地専門家の意見を取り入れつつ、技術支援および研究活動を継続していきます。

ケルンにおけるワークショップ「漆工品の保存と修復」の開催

クリーニングの実習

 海外の美術館や博物館に所蔵されている日本の漆工品の保存と活用を目的として、令和元(2019)年12月2日から6日にかけて、ケルン市博物館東洋美術館(ドイツ)にてワークショップ「漆工品の保存と修復」を開催しました。東京文化財研究所は、同美術館の協力のもと平成19(2007)年より本ワークショップを毎年実施しています。本年は、作品の保管や取り扱いにおいて必要となる知識や技術を中心とした基礎編を実施し、欧米より6名の保存修復技術者が参加しました。
 講義では、漆の化学的性質、漆工品の構造や主な加飾技法、劣化と損傷、適切な保管環境などについて取り上げました。木地に漆を塗布する実習も行い、参加者が漆の性質をより深く理解できるよう努めました。また、日本における保存修復の事例を紹介し、修復の理念や技術について解説をしました。加えて、損傷部分の養生やクリーニングといった応急的な処置の実習も行いました。最終日の質疑応答では漆塗膜表面の劣化や損傷、その処置方法などについて活発な意見交換がなされました。
 このように、漆工品やその保存修復のための材料と技術に関する基礎知識を海外の保存修復専門家に伝えることによって、国外にある漆工品がより安全に保存され、活用されていくことを期待しています。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査VIII

ICCの様子
動的コーン貫入試験の様子

 東京文化財研究所では、カンボジアにおいてアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力を行っています。令和元(2019)年12月1日から21日にかけて、アンコール遺跡救済国際調整委員会(ICC)における同遺跡東門解体工事の経過報告と、同門基壇部や床面にみられる不同沈下の原因調査のため、職員および外部専門家計6名の派遣を行いました。
 12月10から11日にAPSARA本部で開催されたICCでは、同機構のセア・ソピアルン氏とともに報告を行い、4名の専門委員による現地調査結果も含めて、解体時の調査成果を活用しながら今後の修復工事を進めていくことが承認されました。また、APSARA機構担当者やカンボジア国内外の専門家と意見交換を行い、最新の情報を収集しました。
 不同沈下の原因調査では、旧地表面を検出した後、東門基底部の状態確認のため、南東入隅と北西入隅の2カ所を基礎下端まで掘り下げました。その結果、同門基礎は整形の粗い砂岩の外装とラテライトの下地、内部の盛土で構成されていることが確認できました。また、基礎全体が肌理の細かい砂による人工の土層の上に据えられていることが確認されました。この砂層は、建物の建設に伴う基礎安定化のための地業層と考えられ、他の寺院遺跡でも同様の事例が報告されています。
 また、床面の石材を部分的に取り外し、東京大学生産技術研究所・桑野玲子教授らの協力のもと、動的コーン貫入試験装置を用いた基礎盛土の耐力調査を行いました。その結果、外装下地のラテライトの脆弱性および基礎盛土の強度が場所によって異なることがわかり、それが不同沈下の原因の一つと推測されます。
 今回得られた調査成果を基に、東門の本格的な修復へ向けて、基礎構造の改善方法等を検討していきます。

博物館の環境管理に関するイラン人専門家研修III

東京文化財研究所における講義
国立民族学博物館における講義

 東京文化財研究所は、平成29(2017)年3月にイラン文化遺産手工芸観光庁およびイラン文化遺産観光研究所と趣意書を取りかわし、5年間にわたって、同国の文化遺産を保護するためさまざまな学術分野において協力することを約束しました。
 平成28(2016)年10月に実施した相手国調査の際、イラン人専門家から、首都テヘラン市では大気汚染が深刻な問題となっており、その被害が文化財にもおよび、イラン国立博物館に展示・収蔵されている金属製品の腐食が進行していると相談されました。そこで、イランにおける博物館の展示・収蔵環境の改善を目指し、平成29(2017)年度より研修事業を実施してきました。
 令和元(2019)年度も、イラン文化遺産観光研究所から2名、イラン国立博物館から2名、計4名のイラン人専門家を日本に招聘し、11月25日から29日にかけて、研修事業を行いました。 
 まず、東京文化財研究所において、佐野保存科学研究センター長と呂俊民先生が中心となり、博物館環境に関する講義を行ったほか、昨年度、イラン国立博物館で実施した大気汚染調査の成果に関して報告を行いました。また、佐藤生物科学研究室長と小峰アソシエイトフェローが中心となり、文化財の生物被害防止に関して講義を実施しました。
 その後、京都国立博物館と国立民族学博物館などを訪問しました。京都国立博物館では降幡順子先生に防災対策について講義していただき、同館の防災システムを見学しました。国立民族学博物館では、日髙真吾、和髙智美、河村友佳子、橋本沙知の各先生方に、同館における環境管理や空調管理、生物被害対策などについて講義していただいたほか、展示室や収蔵庫を見学しました。ご協力いただいた各位および各機関に改めて御礼申し上げます。
 東京文化財研究所は、今後もイランの文化遺産を保護するための協力活動を行っていく予定です。

アンコール・タネイ遺跡保存整備のための現地調査Ⅶ

クレーントラックによる解体作業
東門内部で発見された彫像頭部

 東京文化財研究所では、カンボジアでアンコール・シエムレアプ地域保存整備機構(APSARA)によるタネイ寺院遺跡の保存整備事業に技術協力を行っています。同遺跡における東門修復工事の開始に伴い、工事中の助言と記録作業等の実施のため、令和元(2019)年9月7日から11月5日にかけて職員および外部専門家計6名の派遣を行いました。
 本工事では、APSARAが工事の実施を担当し、本研究所は主に修復方法等に対する技術支援および調査研究面での協力を行っています。
 9月12日に地鎮祭を行って工事関係者全員で安全を祈願した後、屋根の解体を開始しました。解体にはクレーントラックを使用し、各石材に番付を付したうえで頂部から順に石材を取り外し、1段進捗する毎に現状の計測や調書の作成など必要な記録作業を行うとともに、取り外した石材についても個別に実測や写真撮影、破損状況等の記録作業を行いました。
屋根の解体が完了した後、建物内部に浸入した樹根や蟻塚を除去し、崩落していた石材を取り出しました。回収した石材は約70個で、屋根やペディメントの部材が大半を占めることから、経年により自然に崩壊した様子が窺えます。また、この作業中、崩落した石材の下から、観音菩薩と思われる彫像の頭部(高さ56センチ程)が、南翼の西壁面に立て置かれた状態で発見されました。未解明の点が多いタネイ寺院の歴史をひもとくうえでも貴重な資料と考えられます。写真や後述の3Dスキャンによる現状記録の後、詳細な調査にむけてAPSARAの管理施設に収容しました。
石材の回収完了後は、東京大学生産技術研究所大石研究室の協力を得て3Dレーザースキャンによる壁体および室内部の精密な記録作業を行い、あわせて建物の詳細調査とSfMによる壁面の記録等を行いました。その後、10月16日より壁体部分の解体に着手し、必要な記録等を行いながら安全に作業を進め、予定した範囲の解体を11月5日に完了しました。
 これら解体に伴う一連の調査を通して、樹根や蟻塚が石材の目地の細かな部分まで入り込み、建物が変形する一因となっている様子が確認できました。また、基壇および床面には不同沈下が認められることから、基礎構造に何らかの欠陥が生じている可能性が推測できます。建物の構造的健全性を回復するためには劣化メカニズムの解明とこれを踏まえた基礎構造の改善が不可欠であることから、引き続き12月にも職員等を派遣し、基壇の部分的な発掘調査および地盤調査を実施する予定です。
 このほか、9月18日にAPSARA本部で開催された、プレアヴィヒア寺院の保存整備に関する国際調整委員会(ICCプレアヴィヒア)に出席し、最新情報を収集しました。今後もAPSARA側との協力を継続するとともに、各国の専門家らとの意見交換や情報収集等を行いながら、アンコール遺跡における適正な修復事業のあり方を模索していきます。

イタリアにおける震災復興活動および遺跡保存に関する調査

ラクイラのサンタ・マリア・パガニカ教会
整備が行き届いたポンペイの街並み

 東京文化財研究所では、バガン遺跡(ミャンマー)において寺院壁画の保存修復ならびに2016年に発生した地震による被災箇所の修復事業に技術協力を行っています。同遺跡の整備計画に反映させるべく、令和元(2019)年10月9日から27日にかけて同じく地震からの復興活動や遺跡保存への取組みが続くイタリアを訪問し、ラクイラ市とポンペイ遺跡の2箇所で調査を実施しました。
 平成21(2009)年のアブルッツォ州震災から10年が経過した今もラクイラ市における復興活動は続いており、現地で修復事業に携わる専門家の話によると、復興状況は全体の50%程度に留まるそうです。被災した建造物の多くが壁画やストゥッコ装飾を有することから、それぞれの素材を複合的に捉えた修復計画が必要となり、事業の内容が複雑化することで進捗状況に影響がでているとのことでした。しかし、こうした点に配慮しながら続けられてきた復興活動の成果は、歴史的景観の保全という形で顕著に表れていました。
 一方、広大な面積を有するポンペイ遺跡では、維持管理を主な目的とする整備事業が100年以上にわたり続いています。遺跡を管理するポンペイ考古学監督局との面談では、遺跡全体を包括的に整備することの難しさや、時代と共に変わりゆく保存修復方針の変化とどのように向き合っていくべきかについて意見交換を行いました。
 今回の調査を通じて、複数の素材で構成された文化財の保存修復では総合的観点から計画を立てることがいかに大切であるかを改めて確認することができました。また、広大な遺跡を後世に伝えていくためには、維持管理への取り組みが重要であり、文化財への負担を最小限に留める最善の方法であることを実感しました。令和2(2020)年1月に計画しているバガン現地調査では、今回の調査結果を報告するとともに、バガン遺跡に適した保護活動のあり方について現地専門家とともに検討を重ねていく予定です。

アルメニア共和国における染織文化遺産保存修復研修の開催

天然染料を用いた染色の実験
エチミアジン大聖堂付属博物館所蔵資料の分析
修了式の様子

 令和元(2019)年10月7日から17日の間、アルメニア共和国において、同国教育科学文化スポーツ省と共同で染織文化遺産保存修復研修を開催しました。本研修は、平成26(2014)年に東京文化財研究所と同国文化省(当時)が締結した、文化遺産保護分野における協力に関する合意に基づくもので、平成29(2017)年度から通算で3回目の実施となります。
 今回の研修は、これまでと同様に佐賀大学芸術地域デザイン学部の石井美恵准教授と刺繍専門家の横山翠氏を講師として、歴史文化遺産科学研究センターとエチミアジン大聖堂付属博物館の2会場で行い、アルメニア国内の博物館や美術館など7機関から14名が参加しました。歴史文化遺産科学研究センターでは、藍やアカネなどの天然染料を用いた絹布や綿布の染色を行い、実際の染織文化遺産に用いられている染料を特定するための標準試料を作成しました。そして、エチミアジン大聖堂付属博物館では同館の所蔵資料を用いて技法の分析を行いました。
 最終日の修了式では、東京文化財研究所所長の齊藤孝正から、研修生一人一人に修了証書が授与されました。3年にわたって実施してきた研修事業は今回をもって終了となりますが、これまで学んだ内容をもとに、アルメニアの人々が自らの手で文化遺産の保存修復を行うだけでなく、その技術や知識を次の世代へ継承してくれることを願っています。

国際研修「ラテンアメリカにおける紙の保存と修復」の開催

刷毛の使い方の実習
研修参加者との集合写真

 令和元(2019)年10月30日から11月13日にかけて、ICCROM(文化財保存修復研究国際センター)のLATAMプログラム(ラテンアメリカ・カリブ海地域における文化遺産の保存)の一環として、INAH(国立人類学歴史機構、メキシコ)、ICCROM、当研究所の三者で国際研修「Paper Conservation in Latin America: Meeting with the East」を共催しました。本研修は、INAHに属するCNCPC(国立文化遺産保存修復調整機関、メキシコシティ)を会場に平成24(2012)年より開催しており、日本の伝統的な紙、接着剤、道具についての基本的な知識と技術を教授し、それらを応用して各国の文化財の保存修復に役立ててもらうことを目的としています。今回はアルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、メキシコ、ペルー、スペイン、ベネズエラの8カ国から9名の文化財修復専門家が参加しました。
 研修前半(10月30日-11月6日)は、日本人専門家が講師を担当し、日本の文化財保護制度、修復に関連する和紙や接着剤等の材料、我が国の選定保存技術のひとつである装潢修理技術に関する講義のほか、これらの材料や伝統的道具を使用した裏打ちの実習を当研究所で数ヶ月間装潢修理技術を学んだCNCPCの職員とともに行いました。
 後半(7日-13日)は、当研究所で「国際研修 紙の保存と修復」を修了したCNCPCとスペインの講師が担当し、材料の選定方法や洋紙修復分野への応用について講義と実習を行いました。
 このような技術交流を通じて、研修参加者が日本の修復材料や道具、技術についての理解を深め、それらの知識が各国の文化財保存修復に有効に活用されることを期待しています。

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