研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『東文研ニュース』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


平成27年度における東文研アーカイブワーキンググループの活動

 東京文化財研究所では、2013年度よりアーカイブワーキンググループを発足し、当所が取り組んできたさまざまな文化財研究の成果を、より広く効果的に発信していくことに一層の力を入れることとなりました。
 その一環として2014年度には、当所が蓄積してきた膨大な研究情報や情報資源を整理して公開を促進するために新しいシステムの構築を行い、さらに既存の所蔵資料データベースの検索システムを「東文研総合検索」(http://www.tobunken.go.jp/archives/)としてリニューアルいたしました。利用者からは、文化財に関する諸情報の検索が便利になったため、アクセスできる情報の幅が広がった等の感想を得ています。
 2015年度には、1930年の開所より現在まで当所が刊行してきた研究成果物の全貌を把握できるよう、当所のウェブサイト上に「東京文化財研究所刊行物一覧」(http://www.tobunken.go.jp/japanese/publication/)のページを設けました。今後はこの研究成果の一覧を軸にしながら、ウェブ公開の可能な刊行物に関しては、順次PDFなどを掲載することとなっています。またそうした研究成果は、当所のウェブサイト上だけではなく、国立情報学研究所が推進している「オープンアクセスリポジトリ」にも搭載し、より多くの人々に利用していただきやすい環境を整備いたします。
 また昨今では、オープンサイエンスに関する方針が内閣府より出されるなど、自然科学に関する学術情報のオープン化についても新たな局面が訪れつつあります。刊行物という媒体には掲載できなかった、自然科学の実験データや有用な挿図などの扱いについても、アーカイブワーキンググループで積極的に議論していく予定です。

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企画情報部研究会の開催―「狩野山雪筆「武家相撲絵巻」一巻について」

企画情報部研究会

 企画情報部では所員だけでなく、他機関の研究者を発表者として迎え、毎月1回、美術工芸品を中心とした文化財を考察対象にした研究会を開催しています。3月は29日(火)に東京国立博物館絵画・彫刻室主任研究員・山下善也氏に標記のタイトルでご発表をいただきました。この絵巻は両国・相撲博物館に所蔵される全長12メートルを超えるものです。これまでこの絵巻の存在は周知されるまでには至っていませんでしたが、山下氏が京都国立博物館在職中に企画された特別展覧会「狩野山楽・山雪」(会期は平成25年3月30日~5月12日)において、山雪の作と認めて出陳・公開がなされ、漸くその存在が知られるようになった作品です。
 今回の発表では、まず本作が漢画題の作品で形成されてきた山雪のイメージを変える和の画題であることに注目しつつ、「河津掛け」ほか様々な相撲の決まり手の一瞬とそれを観戦する人々の様子を切り取って描いた諸場面を順次仔細に眺めながら、そこに描かれた人物表現の、ことに面貌描写に山雪の特徴を見出すとともに、山雪の嗣子・永納による奥書に着目し、山雪の支持層の問題に及んでの本作の成立事情について、氏の考えるところを披瀝いただきました。

ゲッティ研究所(アメリカ)と協定書を締結

調印式の様子

 東京文化財研究所は、2016年2月9日、アメリカ、ロサンゼルスにあるゲッティ研究所と日本美術の共同研究推進に関する協定書を締結しました。ゲッティ研究所は実業家ポール・ゲッティ氏の遺産を基に1984年に設立され、美術を中心とする芸術の研究と国際交流を行っています。このたびの協定は、今後5年間に渡り、両機関における日本美術の研究者交流、美術史の日英語の文献の翻訳と出版、日本美術に関するデジタル情報のGetty Research Portalへの公開を行なおうとするものです。
 調印式でゲッティ研究所長のトーマス・ゲーケンス博士は「本協定を重要なものと位置付けており、今後、両機関にとって有益な事業が行われることを希望しています」と述べました。また、東京文化財研究所の亀井所長は「日本国内で所蔵する美術資料と、海外での日本美術の評価についての情報交換をすることは大変有意義な日本文化の発信であり、今後の発展に繋げたい」と応じました。調印後、両機関の当該事業担当者間での現場レベルの協議が行われました。
 東京文化財研究所では今回の協定締結に基づき、今後、両機関の研究交流、英語圏の日本美術史研究に資する日本美術研究書の翻訳および現在ウェブ公開している研究情報の国際標準化を進めていく予定です。

企画情報部研究会の開催―光琳の「道崇」印作品について―

 2016年2月23日(火)、企画情報部研究会において、江村知子(文化遺産交際協力センター)による「光琳の「道崇」印作品について―尾形光琳の江戸滞在と画風転換」と題した研究発表がおこなわれました。
 尾形光琳(1658-1716)が画中に捺す印章には、年代による変遷があるとされ、光琳の初期の代表作「燕子花図屛風」(根津美術館)に捺されるのは「伊亮」印、晩年の傑作「紅白梅図屛風」(MOA美術館)に捺されるのは「方祝」印です。「道崇」印は、「伊亮」印と「方祝」印の間の時期に用いられた印章で、光琳は、この時期、数回にわたり江戸に滞在し、画風転換を果たしたとされます。「道崇」印を有する作品には、宝永2年(1705)の軸芯墨書のある「四季草花図巻」(個人蔵)、「波濤図屛風」(メトロポリタン美術館)、「躑躅図」(畠山記念館)などがありますが、今回の発表では従来ほとんど知られていなかった6曲1隻の「白梅図屛風」(フリーア美術館蔵)を取り上げ、その表現に、晩年の「紅白梅図屛風」へとつながる要素があることが指摘されました。「白梅図屛風」の画面は損傷が多く、筆致にも試行錯誤の跡が顕著ですが、光琳は、江戸滞在期に水墨画の表現を習得したようで、そうした問題とも関連する可能性があります。発表後は、印の改号や、屛風の形状、水墨表現との関連性などについて活発な議論が交わされました。今後は、「白梅図屛風」の詳細な調査が待たれます。
 なお、尾形光琳「白梅図屏風」(フリーア美術館)は、下記のウェブサイトで画像が見られます。 http://www.asia.si.edu/collections/edan/object.php?q=fsg_F1905.19

英国セインズベリー日本藝術研究所におけるプロジエクト協議と田中副所長の講演

セインズベリー日本藝術研究所主催のThird Thursday Lectureで講演する田中副所長

 イギリス・ロンドンの郊外、ノリッジに所在するセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)は東京文化財研究所と2013年7月にプロジェクト「日本芸術研究の基盤形成事業」を立ち上げ、以来、欧米の日本美術の展覧会や日本美術に関する書籍・文献の英語情報の収集を行っています(これらの文献情報については当研究所の「総合検索」において検索が可能です。http://www.tobunken.go.jp/archives/文化財関係文献(統合施行版)/)。
 本事業に関する、今年度の進捗状況の確認と次年度以降の事業の継続について、副所長・田中淳と企画情報部文化財アーカイブズ研究室長の津田徹英は、2月16日から21日の日程で渡英し、SISJAC総括役所長・水鳥真美氏ならびに入力スタッフと協議を行いました。
 あわせて滞在中の18日(木)には、SISJACが毎月第3木曜日に行っているThird Thursday Lectureにおいて、田中が“The Portrait, painted in 1916”のタイトルで岸田劉生の肖像画をめぐっての講演を行いました。講演はSISJACに隣接する中世の大聖堂に付属して新しく建てられた木造のレクチャールームを会場にして行われました。聴講は100人近くに及び、用意された席はほぼ満席の状態でした。聴講者はいずれも熱心に講演に耳を傾け、日本の近代美術への関心の高さが窺がわれました。

研究会「美術史家矢代幸雄における西洋と東洋」の開催

研究会の様子

 企画情報部では当研究所の前身である美術研究所の設立に大きな役割を果した矢代幸雄が西洋美術史、日本・東洋美術史の分野で果した役割を多角的に検討する研究会「美術史家矢代幸雄における西洋と東洋」を、1月13日に「ベレンソンと矢代幸雄をつなぐ両洋の美術への視点」(山梨絵美子、当所企画情報部)、「東洋人の眼から見たサンドロ・ボッティチェリ―矢代の1925年のモノグラフ」(ジョナサン・ネルソン、ハーヴァード大学ルネサンス研究所)、「矢代幸雄著『受胎告知』を再読する」(越川倫明、東京藝術大学)、「矢代幸雄の絵巻研究」(髙岸輝、東京大学)、「矢代幸雄と1930-45年代の中国美術研究」(塚本麿充、東京大学)というプログラムで、美術史家・高階秀爾氏をコメンテーターにお招きして開催しました。
 ネルソン氏は矢代が大著『サンドロ・ボッティチェリ』によって西洋美術史学に作品の部分写真による様式分析という新しい方法をもたらしたこと、その方法が明治期の日本の美術雑誌の図版やその製作過程に源を持つことを指摘され、越川氏は帰国後に西洋美術史家として矢代が著した『受胎告知』が、日本における西洋キリスト教美術のイコノグラフィー研究の先駆的事例であったこと、また、同書がウォルター・ペイターの審美主義を直接的に受け継ぐものであることを指摘されました。髙岸氏は日本美術史家として絵巻の特殊な画面形式を世界の美術の中にどう位置づけるかという点に強い関心を示した矢代の絵巻研究者としての位置づけを述べられ、塚本氏は欧米、日本、中国で各々異なる中国美術史観が確立されている現状を指摘され、矢代が1935-36年のロンドン中国芸術国際展覧会を経験し、欧米の中国美術ブームと日本における唐物研究を折衷させる中国美術史観を確立させたことの影響について述べられました。発表後、ディスカッションが行われ、洋の東西をまたいで国際的に活躍した矢代のしごとの意味を再考する場となりました。

企画情報部研究会の開催―「「紅白芙蓉図」改装の可能性と受容について」

企画情報部研究会

 企画情報部では、2015年12月22日、研究会を開催し、保存修復科学センターの石井恭子が「「紅白芙蓉図」改装の可能性と受容について」と題して発表を行いました。中国・南宋時代の絵画で李迪の落款(1197年)がある東京国立博物館蔵の国宝・「紅白芙蓉図」に関するものです。発表では赤外線やX線などを含む各種光学調査による細部の描写や後世の補彩に関する知見が報告され、また、残された損傷の詳細な地図から考えられる改装の可能性が述べられました。両図にはそれぞれ大きな縦折れの痕跡があります。現在は白と赤の芙蓉図が掛幅装の対幅として伝えられていますが、この縦折れと補彩からは、はじめこの絵が画巻として作られたものであり、トリミングされた上で掛幅とされた可能性が考えられます。さらに江戸時代初めにはすでに各図が独立したものであったと考えられ、日本で独自の価値が付加されたことも言及されました。両図の大きな二本の縦折れは、各図等間隔で、通常の画巻に生じる縦折れと性質が異なっています。これが生じたことにはどのような可能性が考えられるか、画巻であったとすると現状の落款に疑問が生じないか、など興味深い問題点が明らかになり、このような諸点について活発な議論を行うことができました。

海外日本美術資料専門家(司書)の招へい・研修・交流事業2015(通称JALプロジェクト)への視察受入など

JALプロジェクト 当研究所視察の様子

 JALプロジェクト(実行委員長:加茂川幸夫東京国立近代美術館館長)は、海外で日本美術資料を扱う専門家(図書館員、アーキビストなど)を日本に招へいして、日本の美術情報資料や関連情報提供サービスのあり方を再考することなどを目的とし、昨年度からスタートした事業です。本プロジェクトに、当研究所から山梨企画情報部長、橘川研究員が実行委員を委嘱され、橘川は招へい者への事前現地ヒアリング、研修ガイダンス、国内関連機関視察への随行を行いました。
 事前ヒアリングは、水谷長志氏(本プロジェクト実行委員、東京国立近代美術館)とともにベルリン国立アジア美術館図書館のコルデゥラ・トライマ氏、プラハ国立美術館のヤナ・リンドヴァー氏を担当し、10月3日、5日に現地での日本美術情報の状況に関してヒアリング、視察を実施しました。
 日本にお越しいただいた資料専門家9名は、11月16日から23日まで、東京・京都・奈良・福岡にある関連機関を視察いただきました。当研究所には同月18日にご訪問いただき、資料閲覧室などで図書資料、作品調査写真、近現代美術家ファイル、売立目録に関する資料・プロジェクトを紹介したのち、当研究所研究員らとディスカッションを行いました。さらに、今年度は「海外における日本美術関係資料担当者との交流会」を実施し、国内関連機関関係者との面会の機会を提供いたしました。これは昨年の招へい者からの要望に応えたもので、28名の参加を得て、和やかな雰囲気のなか、専門家ならではの活発な情報交換が行われました。
 研修最終日となった同月27日に、東京国立近代美術館講堂で公開ワークショップが開催され、昨年度に引き続き、招へい者から日本美術情報発信に対する提言が行われ、文化財情報の国際的な発信のあり方について再検討する良い契機となりました。

企画情報部研究会の開催―徳川吉宗が先導した視覚と図像の更新について―

『古画備考』巻二十六 岡本善悦肖像 (東京藝術大学附属図書館所蔵)

 11月24日(火)、企画情報部では、加藤弘子氏(日本学術振興会特別研究員)を招いて「徳川吉宗が先導した視覚と図像の更新について―岡本善悦豊久の役割を中心に―」と題した研究発表がおこなわれました。
 江戸幕府の第8代将軍である徳川吉宗(1684~1751)は、革新と復古の両面を兼ね備えた政治家として著名ですが、美術の分野でも、中国の宋・元・明の名画の模写やオランダ絵画を輸入させ、また、諸大名が所蔵する古画の模写や珍獣の写生を命じたことが確認されます。そうした古画の模写や写生をおこなった画家として挙げられるのが、同朋格として吉宗に仕えた岡本善悦豊久(1689~1767)です。加藤氏は、東京国立博物館が所蔵する「板谷家絵画資料」の中に、善悦の末裔にあたる彦根家旧蔵の約270点の粉本類が含まれることを紹介し、それらの存在から、善悦が吉宗の意向を狩野家や住吉家に伝え、視覚と図像を指導していく役割を果たした可能性を指摘されました。こうした問題は、吉宗の絵画観を解明するとともに、善悦を通して吉宗の絵画観が粉本として蓄積され、その後の狩野派の画風などに影響を与えたことを示唆するものでもあります。発表後は、善悦の役割とともに、善悦と同じく吉宗の側近であった成島道筑との関係などについても活発な意見が交わされました。今後は、実際の絵画作品が少ない善悦の、さらなる作品紹介などが待たれます。

レスキューされた文化財、その後――仙台、昭忠碑修復の現状レポート

東京、ブロンズスタジオでの昭忠碑修復の様子(平成27年11月7日)翼をひろげたブロンズの鵄が、背を下にして置かれています。後方のボードに留めた被災前の写真を参考にしながら、破砕した断片を繋ぎ合わせていきます。

 この活動報告でもたびたびお伝えしたように、平成23年(2011)3月の東日本大震災で被害を受けた多くの文化財に対し、当研究所に事務局を置く東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会はレスキュー活動を各所で行なってきました。仙台城(青葉城)本丸跡に建つ昭忠碑もそのひとつで、明治35年(1902)、仙台にある第二師団関係の戦没者を弔慰する目的で建立された同碑は、震災により高さおよそ15メートルの石塔上部に設置されたブロンズ製の鵄が落下する被害を蒙り、救援委員会による文化財レスキュー事業の対象として、ブロンズ破片の回収や鵄本体の移設作業が行なわれました。平成26年の同事業終了後は宮城県被災ミュージアム再興事業として修復が実施され、今年度は破損した鵄の部分を東京、箱根ヶ崎にあるブロンズスタジオへ移動して接合する作業が進められています。ここでは、11月7日に同スタジオで行なった見学にもとづき、その修復の様子をレポートしたいと思います。
 破損した鵄は今年の6月3日と7月10日の二度に分けて、東京へ搬送されました。まず行われたのは、ブロンズ接合の前段階として、破損した鵄の最も大きな部分(約5.1トン)の内側に充填されていたコンクリートや鉛を取り除く作業でした。それらは鵄と石塔をつなぐ鉄心として入れられたレールを固定し、また鵄部分の重量のバランスを取るために満たされていたものです。これを約3カ月かけて取り除いた後、破砕したブロンズの本格的な接合作業に入ることになりました。震災前の調査で撮影された画像をもとに元の形を復元していくのですが、鵄の頭部や羽先などは粉砕した状態にあり、ジグソーパズルのような作業が進められています。
 高さ15メートルの塔の上に総重量5トン以上もある巨大な鵄の彫刻を据え付けた昭忠碑の建設は文字通り力技というべきものでしたが、ブロンズスタジオの高橋裕二氏によれば、修復作業を進めていく中で、現在は機械で製造されるような細かな部品を手技でひとつひとつ加工し作り出すなど、当時の丹念な仕事の様子がうかがえるとのことです。修復を通して、同碑の建設に携わった明治の人々のいとなみが改めて浮かび上がってきたといえましょう。この接合作業は次年度にかけて進められ、完了後は再び仙台に戻ることになりますが、一方で石塔部分について雨水の侵入による劣化が問題となっています。震災から5年が経とうとしていますが、同碑の保存修復をめぐって未だ課題は多く、長期的な取り組みが必要とされています。

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畑正吉フランス留学期の写真資料受贈

畑正吉のセルフ・ポートレート。明治43(1910)年撮影。鏡にカメラのレンズを向け、シャッターを押す自分の姿を撮影したもの。原板中の書き込みから、日本の文化人がよく滞在したパリのホテル・スフローで撮影したことがわかります。

 彫刻家の畑正吉(1882‐1966)は、東京美術学校(現、東京芸術大学)や東京高等工芸学校(現、千葉大学)の教授を務め、造幣局賞勲局の嘱託として記念メダルやレリーフなどを制作した人物です。明治40(1907)年から43年にかけて農商務省海外実業練習生として渡仏、パリのエコール・デ・ボザールに日本人彫刻家として初めて合格し、彫刻を学びました。その留学の折の原板12点が畑正吉のご遺族のもとに伝えられており、このたび正吉の孫にあたる畑文夫氏よりご寄贈いただくことになりました。原板には畑正吉のセルフ・ポートレートをはじめ、安井曾太郎や藤川勇造といった、当時パリに滞在していた日本人美術家と撮影した写真が残され、異国での交友のあとをしのばせる大変貴重な資料といえましょう。これらの原板資料についてはあらためてデジタル撮影を行ない、ウェブ上にて画像を公開する予定です。(「畑正吉フランス留学期写真資料」として2017年4月21日公開)

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企画情報部「第49回オープンレクチャー モノ/イメージとの対話」の開催

会場の様子

 企画情報部では、10月30日(金)、31日(土)の2日間にわたって、オープンレクチャーを当所セミナー室において開催しました。日頃の研究の成果を広く一般に講演の形で発信するものとして毎年行われており、今回で第49回を迎えました。本年は当所研究員2名に加え、外部講師2名を迎え、各1時間余の講演が行われました。
 第1日目は、皿井舞(企画情報部主任研究員)「仁和寺阿弥陀三尊像と宇多天皇の信仰」、増記隆介(神戸大学准教授)「十世紀の画師たち―東アジア絵画史から見た「和様化」の諸相―」。皿井は宇多天皇が造立した阿弥陀三尊像について、その図像的特色とこれが宇多天皇を中心とする宗教史的歴史的背景といかに関わっているかを述べ、増記氏は中国における10世紀頃の山水画の変化を史料から読みとり、その日本への影響について考察されました。第2日目は、安永拓世(企画情報部研究員)「与謝蕪村の絵画に見る和漢」、吉田恵理(静岡市美術館学芸係長)「池大雅の山水画を考える―二つの「六遠図(りくえんず)」を手がかりに―」。安永は江戸時代の代表的な画家である与謝蕪村の絵画において「和」と「漢」が彼の表現の中でどのように意識され、混交され、実作品にどのように表れているかを述べ、吉田氏は蕪村と並ぶ江戸画家・池大雅が描いた「六遠図」を中心に、それが中国の絵画理論を源としながらもユニークなものであること、日本的「文人画家」としての大雅の絵がどのように形成されていったかを諸作品の筆法、また作品に関わった人々との関連によって講演されました。
 第1日目は138名、第2日目は109名の多くの聴衆を迎え、アンケートに回答いただいた方のうち、「大変満足した」と「おおむね満足だった」が合わせて8割以上と好評をいただきました。

国際シンポジウム「日本美術史研究の現在―グローバルな視点から」への参加

 様々な分野でグローバル化が課題となっている中で、美術史学においても「世界美術史」や「グローバル美術史」への試みがなされるようになっています。そうした状況を踏まえてハイデルベルク大学東アジア美術研究所の主催により、国際シンポジウム「日本美術史研究の現在―グローバルな視点から」が10月22日から24日まで、ハイデルベルク大学のカールジャスパー・センターで行われました(http://sharepoint2013.zo.uni-heidelberg.de/zo-conference-hub/conf-iko/histories-of-japanese-art/SitePages/Home.aspx)。同シンポジウムは石橋財団がハイデルベルク大学への日本からの日本美術史客員教授派遣する支援をする「石橋財団日本美術史客員教授制度」の創設10周年を記念したもので、1「世界の創出―空想の日本」、2「東アジアからの輸出美術品の拡散」、3「20世紀初頭の芸術界における日中関係」、4「日本美術と公衆の語り」、5「欧米における東洋美術品収集と世界美術史の形成」、6「戦後美術の同時代性」、7「国際展における「日本」」の7つのパネルによる構成で、22名の研究発表と各パネルでの討論、クリスティン・グート氏(ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館)Christine Guth (Royal College of Art and V&A Museum, London)とタイモン・スクリーチ氏(ロンドン大学)Timon Screech (SOAS, London) の2名による基調講演が行われました。当所から山梨が招かれて参加し、パネル5で「ダーウィン著『種の起源』と世界美術史の始まり」(インゲボルグ・ライヘル氏、フンボルト大学、Ingeborg Reichle , Humboldt University, Berlin)、「ドイツ帝国における東洋美術品収集と世界美術史の状況」(ドリス・クロワッサン氏、ハイデルベルク大学、Doris Croissant , Heidelberg University)に先立って「美術商林忠正―欧米と日本の異なる「美術」概念のはざまで」というテーマで発表しました。3日間の発表と討論を通じて、大航海時代以後、人、物、知識・情報の移動が激しくなり、日本美術品や日本美術史についても様々な地域で異なる語りがなされてきたことが明らかになりました。シンポジウムの報告書は2017年に刊行される予定です。

9月企画情報部研究会

志村氏、秋本氏と聴講者との間で熱く交わされる画絹・絹糸に関する情報交流

 月例の企画情報部研究会では、9月29日(火)に、研究プロジェクト「美術の表現・技法・材料に関する多角的調査研究」の一環として、絹織制作研究所の志村明氏に「絹生産における在来技術について」の標題のもとご発表をいただきました。あわせて、同研究所の秋本賀子氏にコメンテーターとしてご出席いただきました。志村氏は近代以前の伝統的織絹の復元に日々携わっておられます。研究会のテーマとなった画絹については日本絵画の基底材であり、美術史研究者はもとより日本絵画の修復に日々携わる者にとっても非常に親しい存在です。聴講者は美術史の研究者にとどまらず、日本絵画の修復に携わる者など多岐にわたり、その分野への関心の高さが窺がわれました。
 今回の研究会では、今日まで残るさまざまな時代の画絹類を実際に調査され、それにもとづいて技術復元を行われた過程で知り得た画絹、絹糸に関する様々な知見をお話いただきました。研究会では最初に志村氏から絹糸に関する基本的な情報をご提示いただき、適宜、秋本氏にコメントをしていただきながら、聴講者から質疑を行い、これに志村氏が応答していただくという形式で進めました。そのなかで、絹糸の太さ(径)に関する単位と思われていた「d(デニール)」が絹の容量に関る単位であること、実際に復元した伝統的技術によって生成された画絹を微細に観察しながら、経糸と緯糸によって構成される織目(空隔)の密度と裏彩色の関係など、われわれ研究者が自明のことと思っていた画絹、絹糸に関する知識が非常に誤解・誤認をともなうものであったことに気づかされ、認識を改める機会を得ることができたように思います。
 この質疑・応答をもって進行した研究会は2時間を超えるものでしたが、志村氏よりご提示いただいた画絹・絹糸に関する情報・知識は非常に新鮮でした。また、志村氏、秋本氏によって制作された厚みや織り目の密度の異なる画絹、砧で打ち込んだ練り絹(絹布)の現物を手にとって、それらの感触を実感することができた経験も、今後、絵画研究に携わってゆくうえで有意義なものとなりました。

久野健白鳳会講演録の寄贈

 故・久野健(1920~2007)氏は1944年に当研究所の前身である美術研究所に入所され、1982年に退官されるまでの38年間にわたって仏像彫刻研究に従事されてきました。退官後は自宅に隣接して仏教美術研究所を設立し主宰され、長年にわたって収集された資料を研究者に提供されてきました。久野氏の没後は、ご遺族より、氏が手ずから書き込まれた調査ノート類、写真資料類をご寄贈いただきました。それらは主に国内外に所在する仏像彫刻に関するものです。件数にして7,480 件にものぼり、2015年3月から「久野健寄贈資料」として当研究所の資料閲覧室にて公に供しています。
 久野氏は、仏教美術研究所において仏教美術愛好者を募って白鳳会を結成し、会員向けの現地見学会や講演会を熱心になされていたことが、調査ノートに挿み込まれていた告知案内状の類から知られていました。しかし、どのような講演内容であったかについては不明でした。ところが、このたび白鳳会の運営を手伝われていた高橋寿守氏から、白鳳会で行われた講演録の寄贈の申し入れがあり、その受け入れが9月に完了いたしました。これは久野健氏が白鳳会で講演された度毎に、会員が分担して講演のテープ起こしを行い、久野氏が内容に目を通されたうえで、会員に向けて配布されていた講演録を一括したものです。これによって白鳳会で久野氏が講演された内容を具体的に窺がうことが可能となりました。なお、この講演録は「久野健寄贈資料」の一環として登録し公開をいたします。

一乗寺蔵・国宝天台高僧像の画像調査

調査風景

 企画情報部では2015年8月24・26日に、兵庫県・一乗寺の所有する国宝・聖徳太子及天台高僧像(全10幅)のうち奈良国立博物館に寄託されている高僧像7幅について、東京文化財研究所のもつデジタル画像技術を用いて高精細カラーおよび近赤外線画像調査を同館で行い、城野誠治、皿井舞、小林達朗が参加しました。これらの作品については、当研究所と奈良国立博物館が共同研究の対象として調査を重ねてきたところですが、今回の調査はこれを補足するものです。既に得られた各種画像とあわせ、これらは作品の今までにない詳細な情報を含むものであり、これまでの成果を出版によって公開する準備を進めています。

企画情報部研究会の開催―黒田清輝宛の岡田三郎助書簡をめぐって

岡田三郎助直筆の葉書 明治29年12月5日付
岡田八千代代筆による書簡(部分) 明治44年6月30日付

 当研究所は創設に深く関わった洋画家、黒田清輝(1866~1924年)宛の書簡を多数所蔵しています。黒田をめぐる人的ネットワークをうかがう重要な資料として、企画情報部では所外の研究者のご協力をあおぎながら、その翻刻と研究を進めていますが、その一環として8月31日に、黒田とともに日本近代洋画のアカデミズムを築いた岡田三郎助の書簡についての部内研究会を行ないました。発表者とタイトルは以下の通りです。

  • 高山百合氏(福岡県立美術館学芸課学芸員)
    「黒田清輝宛岡田三郎助書簡 翻刻と解題」
  • 松本誠一氏(佐賀県立博物館・佐賀県立美術館副館長)
    「岡田八千代の小説から見た岡田三郎助像」

 岡田三郎助直筆の書簡は「将来国宝にする値打ちがある」と黒田清輝が語るほど、岡田は自分で手紙を書くことが稀であったといいます。今回の高山氏の発表でも、黒田宛の岡田名による書簡群に筆跡のばらつきがあることが示され、代筆者の検討が行われました。そうした代筆者の一人である妻の八千代は、小説家・劇評家としても活躍しています。松本氏の発表では、八千代代筆による黒田宛書簡とともに、自身の夫婦観を投影した新出の小説原稿も紹介しながら、画家に嫁いだ妻の目線による岡田三郎助像が浮き彫りにされました。概して差出人直筆の一次資料として重視される近代の書簡ですが、今回の研究会では代筆というケースを通して書簡資料の難しさ、そして代筆者との関係をも読み解くことで、差出人をめぐる新たな人間模様を映し出す面白さを再認識する機会となりました。

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2015東アジア文化遺産保存国際シンポジウム in 奈良 ―ポスター展示

ポスター会場風景
iPadを使いながらの説明

 8月26日から29日まで、「2015東アジア文化遺産保存国際シンポジウム in 奈良」が、奈良春日野国際フォーラム甍~I・RA・KA~で開催され、27日と28日の2日間の専門家会議プログラムにおいてポスター発表を行いました。「文化財研究情報アーカイブの構築―東京文化財研究所の取り組み」と題して、(1)情報資源の活用とシステム構築(2)ホームページで公開中の所蔵資料データベース検索システムのリニューアル(Wordpressを利用して個々のデータベース毎の検索からデータベースを横断的に検索し一括で結果を表示するように変更)(3)研究資料データベースの公開(既存の各種画像やテキストコンテンツを、Wordpressを利用することで検索を容易にし、また、未公開だった画像などを順次公開しコンテンツを追加)(4)国内外との連携(英国セインズベリー日本藝術研究所との連携やアメリカ・ゲッティ研究所との共同研究の予定)(5)今後の展開、などの発表でした。
 発表は、ポスター掲示に加えて、iPadやタブレットPCを利用したデモンストレーションも行い、また聴講者にも試用いただくことで、リニューアルした総合検索と所蔵資料データベースの取り組みを、より具体的に、分かりやすく理解いただくような方法で行いました。
 聴講者からは、そのコンテンツが増えていることや検索がしやすくなったことを把握でき活用の幅が広がったという感想をいただくとともに、大規模なポータルサイトへの情報提供や、類似する資料を扱った他機関とのさらなる連携を期待する意見を伺うことができました。いずれも東アジア文化遺産あるいは文化遺産保存、情報システムの専門家ならではの示唆に富んだもので、当研究所の資料群の国内外への発信の取り組みにおける有効な情報交換となりました。

『美術研究』掲載論文等のPDF公開

 『美術研究』は昭和7年(1932)1月、当研究所の前身である帝国美術院附属美術研究所において、当時所長であった矢代幸雄の構想・提唱により第1号を刊行しました。以来、今日まで、広くアジアを視野に収めて文化財に関する論文、図版解説、研究資料等を掲載し、文化財研究を国内外で牽引してまいりました。そのバックナンバーのWeb上での公開については、全所的アーカイブの一環として、また、かねてより評価委員会での公開についての意見・要請を承けて、それに応えるべく企画情報部では公開の準備を進めてまいりました。
 このたび、1号から200号までの掲載論文等の著作権者もしくは著作権継承者に連絡をとり、承諾を得たものから順次、「東文研総合検索」において検索、web上での本文閲覧ができるようにいたしました。なお、今回は早期にWeb上で論文・記事等の本文を閲覧できる環境を作ることを優先したため、同誌収載の社寺や美術館・博物館等の所蔵品の口絵・挿図は、個別に所蔵者からの公開許可をとることをせず、マスキング処理をほどこしました。200号までの著作権者不明分については、所定の手続きをおこなうともに、それ以降の号についても順次公開できるように作業を進めているところです。PDFでの公開を機に、広く『美術研究』が活用されること願うものであります。

第39回世界遺産委員会への参加

世界遺産委員会の会場となったボン世界会議センター(WCCB)
審議風景

 第39回世界遺産委員会は6月28日~7月8日、ドイツのボンで開催されました。筆者らは委員会に参加し、その動向について調査を行いました。
 今回世界遺産リストに記載された24件の資産の内訳は、文化23に対し複合1、自然0、ヨーロッパ・北米の12に対し、北部のアラビア語圏を除くアフリカでは0と、種類や地域間の格差が拡大しました。一方、鉄道橋や港湾倉庫群、窒素肥料やコンビーフという当時の世界的輸出品の工場などの産業遺産が記載され、文化遺産の多様性は増しています。やはり産業遺産である明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(日本)の審議では各委員国の発言は行われず、決議案に脚注を加える改訂を行い採択の後、日本と韓国がその内容についてそれぞれ声明を読み上げる、通常とは異なる方法がとられました。危機遺産リストからは1件が抹消されましたが、ハトラ(イラク)、サナア旧市街、シバームの旧城壁都市(イエメン) の3件が加わりました。地震で被災したカトマンズの谷(ネパール)は、状況把握の必要性や、ネパールが記載を望まないことを理由に記載されませんでした。
 ところで、今回審議された推薦では、推薦内容に関して諮問機関と締約国との間でこれまでより多くの対話が行われました。諮問機関の勧告はより肯定的になり、彼らの評価が低い推薦は、委員会で勧告を大きく覆されることはありませんでした。また、推薦書作成などに対し、締約国の求めに応じて諮問機関や世界遺産センターが技術的支援を行うアップストリーム・プロセスが制度化されました。このように、世界遺産リストへの記載に関する支援が手厚くなる一方、支援を活用していない締約国があることも世界遺産センターや諮問機関から指摘されています。世界遺産センターは業務効率化に努めていますが、限界があります。世界遺産の枠組みの維持に自らの協力が不可欠なことを、全締約国が認識する必要があります。

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