研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


『美術研究』掲載論文等のPDF公開

 『美術研究』は昭和7年(1932)1月、当研究所の前身である帝国美術院附属美術研究所において、当時所長であった矢代幸雄の構想・提唱により第1号を刊行しました。以来、今日まで、広くアジアを視野に収めて文化財に関する論文、図版解説、研究資料等を掲載し、文化財研究を国内外で牽引してまいりました。そのバックナンバーのWeb上での公開については、全所的アーカイブの一環として、また、かねてより評価委員会での公開についての意見・要請を承けて、それに応えるべく企画情報部では公開の準備を進めてまいりました。
 このたび、1号から200号までの掲載論文等の著作権者もしくは著作権継承者に連絡をとり、承諾を得たものから順次、「東文研総合検索」において検索、web上での本文閲覧ができるようにいたしました。なお、今回は早期にWeb上で論文・記事等の本文を閲覧できる環境を作ることを優先したため、同誌収載の社寺や美術館・博物館等の所蔵品の口絵・挿図は、個別に所蔵者からの公開許可をとることをせず、マスキング処理をほどこしました。200号までの著作権者不明分については、所定の手続きをおこなうともに、それ以降の号についても順次公開できるように作業を進めているところです。PDFでの公開を機に、広く『美術研究』が活用されること願うものであります。

第39回世界遺産委員会への参加

世界遺産委員会の会場となったボン世界会議センター(WCCB)
審議風景

 第39回世界遺産委員会は6月28日~7月8日、ドイツのボンで開催されました。筆者らは委員会に参加し、その動向について調査を行いました。
 今回世界遺産リストに記載された24件の資産の内訳は、文化23に対し複合1、自然0、ヨーロッパ・北米の12に対し、北部のアラビア語圏を除くアフリカでは0と、種類や地域間の格差が拡大しました。一方、鉄道橋や港湾倉庫群、窒素肥料やコンビーフという当時の世界的輸出品の工場などの産業遺産が記載され、文化遺産の多様性は増しています。やはり産業遺産である明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業(日本)の審議では各委員国の発言は行われず、決議案に脚注を加える改訂を行い採択の後、日本と韓国がその内容についてそれぞれ声明を読み上げる、通常とは異なる方法がとられました。危機遺産リストからは1件が抹消されましたが、ハトラ(イラク)、サナア旧市街、シバームの旧城壁都市(イエメン) の3件が加わりました。地震で被災したカトマンズの谷(ネパール)は、状況把握の必要性や、ネパールが記載を望まないことを理由に記載されませんでした。
 ところで、今回審議された推薦では、推薦内容に関して諮問機関と締約国との間でこれまでより多くの対話が行われました。諮問機関の勧告はより肯定的になり、彼らの評価が低い推薦は、委員会で勧告を大きく覆されることはありませんでした。また、推薦書作成などに対し、締約国の求めに応じて諮問機関や世界遺産センターが技術的支援を行うアップストリーム・プロセスが制度化されました。このように、世界遺産リストへの記載に関する支援が手厚くなる一方、支援を活用していない締約国があることも世界遺産センターや諮問機関から指摘されています。世界遺産センターは業務効率化に努めていますが、限界があります。世界遺産の枠組みの維持に自らの協力が不可欠なことを、全締約国が認識する必要があります。

美術史家上野アキ氏関連資料の受贈

 1942年11月から1984年4月まで当研究所の前身である東京国立文化財研究所に奉職された美術史家上野アキ氏は2014年10月12日に逝去されました。上野氏はキジル石窟や敦煌の壁画など西域美術を専門に研究されました。また、高田修、伊東卓治、柳沢孝、宮次男との共同研究「醍醐寺五重塔の壁画研究」で1960年に学士院恩賜賞を受賞し、柳沢とともに同賞初めての女性の受賞者となりました。このたび、ご遺族から、今後の研究への活用のため、上野氏の調査ノートや関連資料および蔵書の一部を当研究所にご寄贈いただくこととなりました。西域美術史研究の足跡などを知る貴重な資料群です。これらは整理の後、公開していく予定です。

企画情報部研究会の開催―伝祇園南海筆「山水図巻」とメトロポリタン美術館所蔵の画帖について

メトロポリタン美術館所蔵「近代日本画帖」のうち河鍋暁斎「うずくまる猿図」
©The Metropolitan Museum of Art Charles Stewart Smith Collection, Gift of Mrs. Charles Stewart Smith, Charles Stewart Smith Jr., and Howard Caswell Smith, in memory of Charles Stewart Smith, 1914

 6月4日に企画情報部月例の研究会が、下記の発表者とタイトルにより開催されました。

  • 安永拓世(当部研究員)「伝祇園南海筆「山水図巻」(東京国立博物館蔵)について」
  • 富澤ケイ愛理子氏(セインズベリー日本藝術研究所)「在外コレクションにみる近代日本画家とその作画活動―メトロポリタン美術館所蔵「近代日本画帖」(通称「ブリンクリー・アルバム」)の成立と受容を中心に」

安永は、和歌山から中辺路・本宮・新宮を経て那智滝へと至る、熊野の参詣道を描いた江戸時代の画巻である伝祇園南海筆「山水図巻」を題材に、地理的にかなり正確な熊野の描写と、表現上の特徴から、絵の筆者と伝承される祇園南海(1676~1751)筆の可能性について、南海の新出作品との比較などから考察しました。また、日本の初期文人画における中国絵画学習や、新たな実景表現との関連性についても指摘しましたが、この図巻が下絵なのかといった問題や、同時代絵画との関わりについても、出席者から様々な意見が寄せられました。
 富澤氏の発表は、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する「近代日本画帖」の調査に基づくものでした。この画帖は現在一枚ずつに切り離されていますが、全部で95面からなり、河鍋暁斎や橋本雅邦、川端玉章といった明治時代に活躍した7名の日本画家が手がけています。富澤氏の研究により、ディーラーのフランシス・ブリンクリー(1841~1912)が当初、河鍋暁斎に100枚の画帖制作を依頼したものの、明治22(1889)年に暁斎が没したことにより、他の6名の画家が制作を分担した経緯が明らかにされました。明治25~26年に来日したアメリカ人実業家チャールズ・スチュワート・スミスがブリンクリーよりこの画帖を購入し、その後スミスの遺族がメトロポリタン美術館に寄贈、今日に至っています。
 なおこの画帖のうち、河鍋暁斎が描いた12面が東京丸の内の三菱一号館美術館で開催されている「画鬼・暁斎」展(2015年6月27日~9月6日)で里帰りし、その下絵(河鍋暁斎記念美術館蔵)とあわせて展示されています。精緻な筆づかいは画帖の中でも傑出して見応えのあるものですので、この機会にぜひご覧ください。

シンポジウム「美術資料情報における大規模化と高度化」への登壇

シンポジウム「美術資料情報における大規模化と高度化」への登壇

 6月6日(土)、アート・ドキュメンテーション学会の年次大会の一環として、シンポジウム「美術資料情報における大規模化と高度化 ── グローバルなデジタル化戦略と学術的専門研究の接点を問う」が国立西洋美術館講堂で開催され、当研究所から田中淳副所長、皿井舞企画情報部主任研究員が発表者として参加しました。本シンポジウムは、国際的に要請されている美術資料情報の大規模化を視野に入れ、国内の情報の専門化・高度化という課題について、関連機関の状況を確認しつつ、議論を深めることを目的としたものでした。
 まずは、国立西洋美術館、オランダ国立美術史研究所(RKD)および当研究所の3アーカイブの構築―東京文化財研究所の取り組み」と題して、当研究所の歴史、アーカイブ活動やデジタル・コンテンツを紹介し、グローバルな水準での情報提供の試み(セインズベリー日本藝術研究所、ゲッティ研究所との連携など)について報告をしました。個々の報告ののちに、報告者によるパネル・ディスカッション、馬渕明子氏(独立行政法人国立美術館理事長)による基調講演などが行われました。
 本シンポジウムは、美術資料情報をめぐる今日の状況において、本研究所が長年に渡って蓄積・保存してきた美術や文化財に関する情報・資料を、いかに研究活動において有効なものであるかを国内外の関係者に改めて提示するとともに、他機関の先駆的な活動を知ることによって、グローバルな水準での情報提供について多くの示唆を得るものでありました。

対談:「かたち」の生成をめぐって―イケムラレイコの場合

対談風景

 ドイツ・ベルリン在住のアーティスト、イケムラレイコ氏の公開対談を、6月9日(火)に行いました。これに先立って、2014年1月に企画情報部では、「「かたち」再考―開かれた語りのために」という国際シンポジウムを開催し、このシンポジウムでもイケムラ氏にご登壇いただきました(詳しくは、報告書を刊行しておりますのでご覧いただけますと幸いです。http://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/120647.html)。
 今回はその第2弾となり、企画情報部の山梨絵美子と皿井舞とがイケムラ氏に質問を投げかけ、それにイケムラ氏が応えるという三者の対談形式でお話を聞いてまいりました。最新作の「うさぎ観音」という高さ3メートルを超えるテラコッタ像の制作コンセプトを皮切りとして、技法、素材やメディアの選択、あるいはコンセプトを実現するための工夫といった実践的なお話に加えて、制作の姿勢、創造の際の内面や葛藤、アートを通して目指す境地など、つくるという営みを、率直に、ぞんぶんに、語ってくださいました。
 絵を描くとき、「対象と自らとが一体化したその瞬間をつかまえる。描きたいのは、ものではない。対象が自分と体につながっている、そういう感覚を捉えたい。それが自分と世界のつながりであり、経験であり、それを絵にするのだ」という言葉が印象的でした。
 対談の内容は、東京文化財研究所のホームページ上で公開する予定にしております。どうぞご期待ください。

アメリカ・ゲッティセンター訪問と共同研究のための協議

Getty Museum
Getty Research Institute 概観

 6月16~17日の2日間、田中淳副所長、企画情報部の皿井舞は、フィラデルフィア在住ビデオアートの研究者である足立アン氏の協力を得て、世界的規模で美術資料や美術研究情報の発信を主導するゲッティ研究所(Getty Research Institute : GRI)を訪問し、共同研究を模索するための協議を行いました。これは、昨年2014年の10月にゲッティ研究所長のトーマス・ゲーケンズ博士をはじめとするスタッフ4名ほかが当研究所を視察されたことを受けて、具体的に連携内容について協議することとなったものです。
 ゲッティ研究所は、ロサンジェルスのサンタモニカの海岸とUCLAのキャンパスを見下ろす小高い丘の上にあります。ゲッティ研究所のほか、ゲッティ保存研究所(Getty Conservation Institute)、5つのパビリオンをもつゲッティ美術館などを擁する複合施設となっており、ゲッティセンターと総称されています。
 ゲッティセンターの設立者ジャン・P・ゲッティは、21世紀の革新的なデジタル技術は、芸術と人文学、自然科学を融合させることを可能にするもので、ゲッティセンターはそのプラットフォームを提供しなければならないという理念を掲げています。その理念にしたがって、ゲッティ研究所は、すべての美術資料へのアクセスを統合するという協力的モデルの形成をめざし、アメリカ国内の各美術館や研究所のみならず、ヨーロッパの美術館・研究所と連携しながら、さまざまなプロジェクトを有機的にまとめ上げていました。
 皿井は、”Approaches to the Creation of Japanese Cultural Properties Database at National Research Institute for Cultural Properties, Tokyo; Tobunken”と題したプレゼンテーションを行い、トーマス・ゲーケンス所長をはじめとして、各部門の主要スタッフに、現在、東文研が取り組んでいる文化財の研究情報の発信について紹介しました。
 当研究所の美術資料デジタルアーカイブや美術家に関するデータベースなどは、ゲッティと連携可能なコンテンツである可能性が高く、ゲッティ研究所のスタッフにも好評を博しました。最終的には両研究所が連携を進めるということで合意を得て、これから覚書を取り交わすこととなります。
 世界につながるゲッティ研究所のポータルサイトから、東文研のデジタルコンテンツが検索できるようになれば、日本の美術や文化財に関する情報が、世界のより多くの方に利用していただけるようになることは間違いありません。引きつづき、今後も東文研の情報発信強化に努める所存です。

矢代幸雄/バーナード・ベレンソン往復書簡等のオンライン展示

「Yashiro and Berenson」オンライン展のトップページ

 当研究所の所長をつとめた美術史家矢代幸雄(1890-1975)は、1921年に渡欧し、同年秋からフィレンツェでルネサンス美術研究家バーナード・ベレンソン(1865-1959)に師事します。師の様式比較の方法を学んで英語の大著『サンドロ・ボッティチェリ』(1925年)を著し、国際的に認められました。1925年に帰国後は、当研究所の前身である美術研究所の設立に参画し、同所を拠点にベレンソンの方法論を用いた東洋美術史編纂に尽力、戦後は大和文華館の開館に準備から関わり、初代館長をつとめました。当研究所では、矢代とベレンソンの往復書簡に関する調査研究を進めて来ましたが、ベレンソンの旧宅を所屋とするハーバード大学ルネサンス研究センターおよび越川倫明氏(東京藝術大学)と共同でこの往復書簡全点114通の翻刻や関連文献等を掲載したウェブ上でのオンライン展示「Yashiro and Berenson-Art History between Japan and Italy」を、6月30日に開始しました(http://yashiro.itatti.harvard.edu/)。往復書簡、書簡に登場する人物一覧、『サンドロボッティチェリ』(1925年)、『私の美術遍歴』(7~10章、1972年)の英訳を含む矢代の著作の英語版、矢代についての論考、ベレンソンによる東洋美術に関する著作、矢代の描いた水彩画やスケッチを含むギャラリーという章立てで、二人の美術史家の交流をうかがえる資料群をご覧いただけます。矢代と書簡からはベレンソンと矢代の個々の活動や師弟関係のみならず、1920年代から50年代までのルネサンス美術研究および東洋美術研究の国際的状況がうかがえます。

企画情報部研究会の開催―南紀下向前の長澤蘆雪―

研究会の様子

 6月30日(火)、企画情報部では、マシュー・マッケルウェイ氏(コロンビア大学)を招いて「南紀下向前の長澤蘆雪―禅林との関わりをめぐって―」と題した研究発表がおこなわれました。
 江戸時代の中期に活躍した画家である長澤蘆雪(1754~99)は、師である円山応挙の代役として、天明6年(1786)から翌7年にかけて紀州の南(南紀)にある禅宗寺院をいくつか訪れ、わずか数か月の間に大量の襖絵を描いたことで知られています。この南紀での経験は、蘆雪が独自の画風を獲得する大きな契機となりましたが、南紀下向以前の蘆雪の動向や学画状況については、不明な点も少なくありません。マッケルウェイ氏は、現在、海外で所蔵されている蘆雪作品の賛者や合作などの詳細な分析から、蘆雪が南紀に下向する以前より、斯経慧梁や指津宗珢といった妙心寺の禅僧と親交があったことを指摘し、それらを念頭に、蘆雪が南紀の寺院で描いた襖絵の画題を検証することで、妙心寺の襖絵から何らかの着想源を得た可能性を指摘されました。南紀以前の作例が少ない蘆雪研究の現状にあって、非常に有意義で魅力的な説が提示され、発表後には、マッケルウェイ氏が紹介された在外の蘆雪作品についても、活発な意見交換がおこなわれました。こうした在外作品の紹介は、東京文化財研究所にとっても重要な情報となりましたし、また、今後のさらなる研究の進展も期待されます。

東京美術倶楽部との売立目録デジタル化事業がスタート

東京美術倶楽部との協定書調印式の様子

 売立目録とは、個人や名家の所蔵品などを、決まった期日中に売立会で売却するために、事前に配布される目録です。こうした売立目録には、その売立会で売却される美術品の名称、形態、写真などが掲載されており、美術品の伝来や流通を考えるうえで、非常に重要な資料となります。ただ、一般の出版物ではないため、売立目録を一括で所蔵する機関は、全国的にも限られています。
 東京文化財研究所には、明治時代後期から昭和時代までに作られた合計2532冊の売立目録が所蔵されており、その所蔵冊数は、公的な機関としては、日本一です。また、明治40年(1907)の設立以来、長年にわたり美術品の売立会や売却にかかわってきた東京美術倶楽部でも、多くの売立目録を発行し、所蔵してきた経緯があります。
 東京文化財研究所では、従来から、こうした売立目録の情報について、写真を貼り付けたカードなどによって資料閲覧室で研究者の利用に供してきました。しかし、売立目録の原本の保存状態が悪いものも多いため、このたび、東京美術倶楽部と共同で、売立目録をデジタル化しようという事業がスタートしました。
 この事業では、東京文化財研究所と東京美術倶楽部で所蔵する売立目録のうち、昭和18年(1943)以前に作られたものを、全てデジタル化し、その画像や情報を共有することで、貴重な資料を保存しようとするものです。
 こうした売立目録の画像や情報がデジタル化されれば、東京文化財研究所が所蔵する貴重な資料データベースについて、さらなる充実を図ることができると期待されます。

企画情報部研究会の開催―世界遺産の現状と課題について

第37回世界遺産委員会での「富士山」記載の瞬間

 4月21日に開催された企画情報部研究会では、「世界遺産委員会における諸課題とその解決、及び世界遺産条約の文化財保護への活用に向けての試論」と題し、二神葉子(企画情報部)が報告を行いました。報告者は2008年から世界遺産委員会を傍聴し、審議内容の分析を行っています。
 世界遺産に対する一般の関心は高く、多くの観光客が世界遺産を訪れます。しかし、世界遺産関連の書籍の多くは個別の遺産に関する内容で、世界遺産委員会やその課題を具体的に示す日本語の論考はあまりありません。
 研究会では、世界遺産一覧表への推薦から記載までの流れや、世界遺産委員会での審議方法について確認し、締約国から選ばれて議論に参加する21カ国の委員国、専門的な立場から委員会に対して助言を行う諮問機関や、事務局であるユネスコの世界遺産センターそれぞれが抱える課題を指摘しました。また、文化財保護の専門家としての世界遺産条約の活用についても意見を述べました。
 世界遺産条約の本来の役割は、保護の枠組みを整え、文化遺産・自然遺産を将来に引き継ぐことです。一覧表記載への推薦書には保護に関して記述しなければならず、一覧表への記載の過程は、保護の枠組みの確認や整備の過程でもあります。このことを利用して、効果的な文化財保護の国際支援が可能であると考えます。国内でも、世界遺産委員会の動向を知れば、推薦書や保全状況報告を効率的に作成できることが期待されます。このような理由から、世界遺産委員会や世界遺産条約に関する調査研究を今後も行っていきたいと考えています。

東文研総合システム(TOBUNKEN Research Collections)英語版の公開

東文研総合検索英語版

 企画情報部では、当所の資料閲覧室では所蔵する図書情報をはじめ、各研究部門のプロジェクトが作成するデータベースも外部へ公開し、文化財研究に不可欠な研究情報を「東文研総合システム」http://www.tobunken.go.jp/archives/より発信しております。2015年4月30日、「東文研総合システム」の英語版を公開いたしました。ページ右上の「日本語・English」のボタンで、ページを日本語版・英語版に切り替えることが可能です。
 本事業は、イギリス・セインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)と共同事業「日本藝術研究の基盤形成事業」(Shaping the Fundamentals of Research on Japanese Art)の成果の一端です。
 今回の英語版公開に伴い、具体的には、以下の点が機能追加されました。
 *「文化財関係文献」(References on Cultural Properties)への「海外関連情報(SISJAC採録)」(Japanese Art Related Information outside of Japan (compiled by the Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures))の追加。
  http://www.tobunken.go.jp/archives/文化財関係文献(統合試行版)/
 これまで公開していた美術関係文献ほか5データベースに加えて、今回、SISJACが採録した海外で発表された日本美術関係文献(718件、おおむね本事業の始まった2013年以降発表のもの)が追加されました。
 *「情報の検索」の「近現代美術展覧会・映画祭開催情報」(Information on modern-contemporary art exhibitions and film festival)検索ページの追加。
 http://www.tobunken.go.jp/archives/情報の検索/近現代美術展覧会・映画祭開催情報/
 SISJACが採録した、欧米圏を中心とした海外で開催され、英語で紹介されている展覧会及び映画祭(520件、おおむね本事業のはじまった2013年以降開催のもの)を収録しています。
 なおセインズベリー日本藝術研究所との共同事業は、東京文化財研究所がインターネット上で公開している「美術関係文献データベース」に、SISJACが海外における日本芸術に関する情報を収集して公開することにより、日本国内外における日本芸術研究の基盤形成に貢献することを目的としています。今後、順次データを増やしていく予定ですので、ご活用くださいましたら幸いです。

久野健氏資料の目録の公開

 仏教彫刻史に大きな足跡を残された久野健氏の資料を整理し、国内外に所在する仏教彫刻の写真類の目録を公開しました。件数にして7000件以上に及ぶ膨大な資料は、当研究所の研究員であった久野氏が収集されたものです。同氏が2007年に亡くなられた後、ご遺族より当研究所にご寄贈いただきました。
 久野氏は1944年に当研究所の前身である美術研究所に入所後、1982年の退官まで38年間にわたって仏教彫刻史の研究に従事されました。退官後は自宅に隣接して仏教美術研究所を設立・主催し、長年にわたって収集された資料を研究者の利用に供されました(久野氏の略歴はこちらをご参照ください。
 写真資料の大部分は都道府県の寺社ごとに分類された仏教彫刻の写真で、日本全国の仏像を網羅的に把握されようとする、なみなみならぬ氏の気迫を感じさせます。なかには修理中の仏像を写した写真なども含まれているたいへん貴重な資料群となっています。その調査の成果の一部は、地域ごとに主要な仏像についての解説をまとめた久野氏監修の『仏像集成』(学生社)に反映されています。
 ご所蔵者名・作品名等で検索できるようにいたしましたので、本資料の閲覧を希望される場合には、あらかじめ「利用申込書(wordPDF)」にご記入のうえ資料閲覧室にお申込みください。

企画情報部研究会の開催

研究会の様子

 3月24日(火曜日)午後2時より、部内の研究会室において、企画情報部アソシエイトフェロー・河合大介が「反芸術・脱主体化・匿名性―山手線事件と赤瀬川原平を中心に―」、同・橘川英規が「観光芸術多摩川展パノラマ図を観る―富士山、機関車、少女、井戸―」というタイトルで研究発表を行いました。
 河合の発表では、1960年代の美術に国際的に共通して見られる特徴のひとつとして「作品の〈脱主体化〉」があることを指摘し、同時代の日本美術においてはそれが〈匿名性〉というかたちをとってあらわれたことを、1962年に中西夏之らが行った山手線事件およびその影響をうけた当時の赤瀬川原平の活動に関する資料の分析を通じて検証しました。
 橘川の発表では、観光芸術研究所が行った最初のイベント「観光芸術多摩川展」を、ドローイング《観光芸術多摩川展パノラマ図》と中村宏氏制作映像作品《Das Kapital》を用いて、その様子をふり返りました。これは昨年9月に開催されたPoNJA-GenKon設立10周年記念シンポジウムで行った発表内容に加えて、その後の調査により構成したものでした。
 当日、研究会には、画家の中村宏氏、美術作家で戦後美術研究者の嶋田美子氏にもご参加いただきました。中村氏は、橘川の発表からご臨席いただき、発表後の質疑応答のなかで、観光芸術研究所や中村氏ご自身の当時の作品および活動について説明いただく機会を得ました。

『美術画報』所載図版データベースの公開

『美術画報』所載図版データベース、運慶作毘羯羅大将像の検索結果

 『美術画報』は、明治27(1894)年6月に、『日本美術画報』として画報社より創刊された美術雑誌です。当時の作家による“新製品”に加え、江戸時代以前の美術工芸品も“参考品”として掲載され、明治期にどのような作品が古典として認められていたかをうかがうことができます。同誌は明治32年に『美術画報』と誌名を変えながら、大正末年まで継続して刊行されました。
 このたび当研究所のホームページでは、『日本美術画報』『美術画報』に掲載された図版を作者名・作品名などで検索できるよう、データベース上での公開を始めました。
 http://www.tobunken.go.jp/materials/gahou
 現在は『日本美術画報』初篇巻一(1894年6月)から五篇巻十二(1899年5月)までの図版を掲載しておりますが、これ以降の巻についても順次公開する予定です。また三篇巻十二(1897年6月)まで、冊子を繰るようにご覧いただけるブックビューワーでの公開を行なっておりますので、あわせてご利用ください。

企画情報部研究会の開催―韓国の「東洋画」について

稲葉真以氏の発表による研究会

 企画情報部の近・現代視覚芸術研究室では、日本を含む東アジア諸地域の近現代美術を対象にプロジェクト研究「近現代美術に関する交流史的研究」を進めています。その一環として2月17日の企画情報部研究会では、韓国・光云大学校助教授の稲葉真以氏に「韓国の「東洋画」について」の題でご発表いただきました。
 今日、韓国で「東洋画」と呼ばれているジャンルは、もともと日本の植民地時代に「日本画」が移植される過程で形成されたものです。その一方で、解放後の「東洋画」批判を経て、同じジャンルを指しながらも民族アイデンティティ確立の意味合いを籠めた「韓国画」の語も、1980年代から広く用いられるようになりました。稲葉氏の発表では、そのような政治的背景をもつ「東洋画」および「韓国画」の現在まで至る経緯と課題について、作例の紹介も交えながらお話しいただきました。
 日本でも1990年代から2000年代にかけて、近代以降に成立した「日本画」の概念をめぐる議論が評論家や美術史家、そして作家の間で盛んに行なわれました。さらに近年では、中国や台湾といった東アジアで展開する「岩彩画」「膠彩画」の動向を視野に入れた上での「日本画」系作家による再検討も進められています。今回の研究会でも、ルーツを共有しつつも国境を隔てて独自の展開をみせる韓国の「東洋画」の在り様に目を見張るとともに、ガラパゴス化した「日本画」を相対的にとらえ直す、よい機会となりました。歴史認識をめぐる日韓間の摩擦が取り沙汰される昨今ですが、研究会にご参加いただいた金貴粉氏(国立ハンセン病資料館学芸員)の「不幸な出会い方をした分、見ないようにするのではなく、改めてお互いを見ていく必要がそれぞれの研究を深化させる上であるのではないか」という感想を噛みしめつつ、今後の研究につなげていきたいと思います。

1月企画情報部研究会

 1月27日、企画情報部では、川口雅子氏(国立西洋美術館学芸課情報資料室長)を招き、「美術文献情報をめぐる最近の国際動向―米国ゲッティ研究所と「アート・ディスカバリー・グループ目録」を中心に」と題する研究発表が行われました。
 表題にある文献情報検索システム「Art Discovery Group Catalogue」とは、2013年から運用をはじめたサイトで、川口氏によれば「60を超える世界の美術図書館の蔵書と14億件の雑誌記事情報を一括で検索可能にするもの」で、しかも日本語版のインターフェースも備わっています。これは、欧米の主要な美術図書館に加え、日本では国会図書館の情報が提供されていることから可能になったとされます。現在、当研究所では、3年計画で文化財アーカイブの構築を進めている折、このような海外の最新の動向に関する発表は、大きな指針ともなり、同時に有益な情報でした。また「Art Discovery」構築において、重要な役割を果たしているアメリカのゲッティ研究所についても、その情報収集、発信に関わる活動の一端が紹介されました。この点は、当研究所に、昨年10月にゲッティ研究所長一行が来訪されていることでもあり、今後予定されている当研究所との共同研究等の協議にあたり参考となりました。また、発表中に紹介された国立西洋美術館のサイト上での研究情報公開にむけた積極的な取り組みは、当研究所の情報発信の方向性を定めるにあたりたいへん参考になり、今後同美術館との連携を視野に入れながら引きつづき協議を重ねていきたいと考えています。

黒田記念館のリニューアルオープン

黒田記念館の特別室。右より黒田清輝《読書》《舞妓》《智・感・情》。 新年、春、秋に各二週間公開します。

 上野公園の一角に建つ黒田記念館は、当研究所発祥の地です。“日本近代洋画の父”と仰がれた洋画家黒田清輝の遺産をもとに建てられたこの建物で、昭和5(1930)年、東京文化財研究所の前身である美術研究所がスタートしました。所内には黒田の画業を顕彰するために黒田記念室が収蔵庫兼展示室として設けられ、ご遺族他から寄贈された《湖畔》や《智・感・情》等をふくむ黒田清輝の作品を公開してきました。この展示施設としての役割は平成12(2000)年の研究所移転後も継続され、同19年の東京国立博物館移管、そしておよそ三年におよぶ耐震工事を経て、1月2日にリニューアルオープンのはこびとなりました。
 リニューアルにあたり、黒田の画業への理解をより深めていただくために、新たに「特別室」と称する展示室を設け、《湖畔》《智・感・情》の他、これまで東京国立博物館の本館で展示されていた《読書》と《舞妓》も一堂に集めて、黒田清輝の代表作を堪能できるスペースとしました(公開は新年、春、秋の各二週間)。また創立当初より黒田の作品を展示してきた黒田記念室は、東京国立博物館の開館日時にあわせた公開となり、これまで以上に鑑賞する機会を増やしています。同室の展示は、黒田の画業全体を概観できるよう構成しました。
 なお当研究所では黒田記念館の移管後も、その創設に大きく与った黒田清輝に関する研究を、引き続き重点的に行なっています。記念館2階の資料室では、これまで当研究所が刊行してきた黒田に関する研究書を閲覧することができます。また当研究所のホームページhttp://www.tobunken.go.jp/kuroda/index.htmlでは、作品の高精細画像や黒田が書いた日記のテキスト等、黒田研究のための基礎資料を公開しておりますので、どうぞご利用ください。

東京国立博物館蔵国宝・孔雀明王像の共同調査

孔雀明王像の画像撮影

 企画情報部では、東京国立博物館とともに、東博所蔵の平安仏画の共同調査を継続して行っています。毎年1作品ごとに東京文化財研究所の持つ高精細のデジタル画像技術で撮影し、細部の技法を知ることのできるデータを集積しつつあります。このデータからは、目視では気づかれることのなかった意外な技法を認識することができ、それらが平安仏画の高度な絵画的表現性といかに関連しているかを両機関の研究員が共同で探っています。本年度分の調査として、2015年1月15日、国宝・孔雀明王像の撮影を行いました。得られた画像データは東京国立博物館の研究員と共有し、今後その美術史的意義について検討してまいります。

海外日本美術資料専門家(司書)の招へい・研修・交流事業2014(通称JALプロジェクト)への視察受入など

JALプロジェクト 当研究所視察の様子

 JALプロジェクト(実行委員長:加茂川幸夫東京国立近代美術館館長)は、海外で日本美術資料を扱う専門家(図書館員、アーキビストなど)を日本に招へいして、日本美術資料専門家のネットワーク構築を促進するとともに、招へい者の所見をもとに、日本の美術情報資料や関連情報提供サービスのあり方を再考することを目的とした、今年度新たにスタートした事業です。このJALプロジェクト実行委員会に、当研究所から田中淳副所長、橘川アソシエイトフェローが実行委員を委嘱され、橘川は招へい者への事前現地ヒアリング、研修ガイダンス、国内関連機関視察への随行を行いました。
 事前現地ヒアリングでは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)グローバル・リサーチC-MAPのプログラム・コーディネーターを務めた足立アン氏を担当して、水谷長志氏(本プロジェクト実行委員、東京国立近代美術館主任研究員)とともに、11月12日にニューヨーク近代美術館クイーンズ分館と、ビデオアート・アーカイブ「EAT」の2機関を視察しました。
 日本に招へいした資料専門家7名は、12月1日から東京、京都、奈良にある関連機関で研修をしていただきました。当研究所には同月3日に来訪され、当研究所および文化財アーカイブ構築事業の概要などを紹介し、資料閲覧室などで図書資料、作品調査写真、近現代美術家ファイルを視察したのち、最後に当研究所研究員らと情報交換を行いました。このなかで、海外での情報流通を想定したローマ字化されたコンテンツの充実、調査写真のオープンアクセスについてなど提言をいただきました。研修最終日となった同月11日に、東京国立近代美術館講堂で公開ワークショップが開催され、アメリカやヨーロッパで求められる文化財情報のあり方について、改めて検討するよい契機となりました。

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