研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『東文研ニュース』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
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無形文化遺産部


公開研究会「南蛮漆器の多源性を探る」の開催

公開研究会予稿集
公開研究会における討論の様子

 南蛮漆器とは、16世紀後半以後日本に到来したポルトガル人やスペイン人らの発注を受け、17世紀前半までの間に京都の蒔絵工房での制作のうえ欧米に輸出された独特の様式を持つ漆器です。こうした漆器の存在は国内では昭和10年代頃から知られるようになり、1970年代頃からは、かなりの数が日本に逆輸入され現在全国の博物館・美術館コレクションとなっています。また近年の調査では、スペインやポルトガルのキリスト教会などには、今なお多くが伝えられていることが分かってきました。この数年は、南蛮漆器に焦点を当てた展覧会も国内外で頻繁に開催されていますので、実際に目にされた方も多いのではないでしょうか。
 さて、南蛮漆器の特徴は、西洋式の器物を日本伝統の蒔絵や螺鈿技術で装飾した姿にあると言えますが、文様や材料、製作技術に対する美術史や文献史学、また有機化学、木材学、貝類学や放射線科学といった多面的な研究によって、この漆器は単にヨーロッパと日本との要素だけでなく、東アジア・東南アジアや南アジアといったアジア各地の要素も持ち合わせた大航海時代ならではの特徴的な文化財であることが明らかとなってきました。
 こうした南蛮漆器の多源的性格を具体的に跡付け、認識を共有することを目的として、この公開研究会は2017(平成29)年3月4日と5日の二日間にわたり当研究所で開催され、国内外の専門家11名による12本の報告と熱心な討論が交わされました。またこの研究会には、海外(欧米・アジア)から延べ25名、国内各地から延べ160名と多数の参加があり、南蛮漆器に対する国内外の高い関心が改めて実感されました。

第10回文化財情報資料部研究会「甲賀市藤栄神社所蔵の十字形洋剣に対する検討」の開催

第10回部研究会風景

 滋賀県甲賀市水口に所在する藤栄神社は、同地を治めた水口藩加藤家の藩祖で戦国武将の加藤嘉明公を祀るため、19世紀前半に創建された嘉明霊社を前身とする神社であり、その所蔵品には加藤嘉明所蔵と伝えられるさまざまな宝物が含まれています。豊臣秀吉下賜とされる黒漆塗鞘付の十字形洋剣一振もそうしたものの一つで、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパで造られた細形長剣(レイピア)とまったく遜色のない出来栄えのほぼ完存品であり、国内唯一の伝世西洋式剣と見られますが、これまでさほど注目されることなく長らく甲賀市水口歴史民俗資料館に保管されて来ました。
 平成28(2016)年9月、筆者のほか、永井晃子氏(甲賀市教育委員会)、末兼俊彦氏(東京国立博物館)、池田素子氏(京都国立博物館)、原田一敏氏(東京芸術大学)の5名が共同でこの剣の美術史および理化学的な調査を実施しましたので、その概要と検討結果を平成29(2017)年2月24日に開催した本年度第10回文化財情報資料部研究会で報告したものです。
 各氏の発表題名は、永井氏「藤栄神社蔵十字形洋剣をめぐる歴史的経緯」、小林「藤栄神社に伝わる十字形洋剣(レイピア)の実在性と年代の検討―博物館コレクション・出土資料・絵画資料による予察―」、末兼氏「藤栄神社所蔵の洋剣について」、池田氏「藤栄神社蔵十字形洋剣 X線CTスキャンおよび蛍光X線分析について」、原田氏「藤栄神社蔵十字形洋剣について―海外資料との比較―」となりますが、藤栄神社や加藤嘉明、また剣や関連遺物に関する歴史・時代背景への検討、金工史的視点による柄文様や制作技術の考察、CTスキャニングや蛍光X線分析結果の報告、そして海外に所蔵されているレイピアとの比較検討、といった多角的な視点による第一次検討結果が報告されました。
 またさらに、この洋剣の制作地が日本国内であるのか、あるいは海外であるのかという問題は、桃山時代工芸技術のあり方やその歴史評価を考える上で重要な課題であり、発表後の討論でも様々な意見が議論されましたが、統一的な見解を得るには至らず、本洋剣の重要性と更なる研究の必要性が改めて認識されました。

第6回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 10月25日に開催した本年度第6回の文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部広領域研究室長・小林公治が物質文化史の立場から、「慶長期後半から寛永期前半にかけて流行した漆器文様・技法―絵画資料と伝世漆器との対話―」と題する発表を行いました。この発表では、まず川越市喜多院が所蔵する重要文化財職人尽絵屛風の「蒔絵師」図、そして喜多院本系職人尽絵であるサントリー美術館本・前川家本の同図の描画内容とを比較・検討の上、これら諸本の制作が17世紀前半であるというこれまでの見解を再確認し、さらに徳川美術館が所蔵する重要文化財の「歌舞伎図巻」と「邸内遊楽図(相応寺屛風)」などを対象に、これまでの諸論で指摘されていないいくつかの観点から、その景観年代を、前者は慶長期末から元和期初め(1610年代)にかけて、後者は寛永期前半頃(寛永7(1630)年前後)と見るのが妥当であること、またこれらの風俗画には当時の生活実態がかなり克明・正確に描写されていると認め得ることを指摘しました。
 その上で、これらの絵画には大ぶりの葡萄文や藤文を持つ漆器、銀蒔絵技法の漆器がたびたび描かれていることから、慶長期後半から寛永期前半にかけての17世紀前半にはこうした漆器文様・技法が流行していた可能性が高く、また大ぶり葡萄文や藤文を描く伝世の蒔絵漆器や南蛮漆器、また銀蒔絵漆器についても、この時期の作である蓋然性が高いという見方を提示しました。
 近世初期風俗画の描画内容・表現と歴史実態との関係については、これまでも美術史学者や歴史学者などによる様々な見解がある未解決の問題ですが、本研究発表後の討議でも特にこうした点が取り上げられ、参加者それぞれの立場からの活発な議論が行われました。

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