研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」の開催

パネルディスカッションの様子

 文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より受託運営)は10月23日、東京大学農学部弥生講堂一条ホールにおいて令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」を開催しました(文化庁及び国立文化財機構文化財防災センターとの共催)。
 今回のシンポジウムでは、歴史上の気候変動と人間社会とのかかわりから気候変動を考え、気候変動下で有形、無形の文化遺産が直面している問題を共有、議論することで、文化遺産のより良い未来のための国際協力の可能性を探ることを目的としました。
 冒頭の青柳正規・文化遺産国際協力コンソーシアム会長のあいさつでは、気候変動を前提とした文化遺産保護における国際的な協調と連携の強化という来たるべき課題に対して、まずは多くの人々が気候変動と文化遺産の関係を正しく理解することがその第一歩となることが強調して述べられました。
 続いて、気候変動と文化遺産に関連した研究に関する講演として、中塚武・名古屋大学大学院環境学研究科教授から「古気候学から見た過去の気候適応の記憶としての文化遺産の可能性」、ウィリアム・メガリー・イコモス気候変動ワーキンググループ座長から「我々の過去を未来へ:文化遺産と気候変動の緊急事態」、石村智・東京文化財研究所無形文化遺産部音声映像記録研究室長から「気候変動と伝統的知識:オセアニアの事例から」と題して、それぞれに異なる視点から気候変動と文化遺産を捉えた発表が行われました。
 後半のパネルディスカッションでは、園田直子・国立民族学博物館教授をモデレーターに、上記の講演者に建石徹・文化財防災センター副センター長を加えた4人のパネリストによる討論が行われました。建石副センター長による東日本大震災を事例とした文化財防災の取り組みと課題の紹介の後、会場も交えて、気候変動が文化遺産保護の活動に与える影響や文化遺産をかたちづくる伝統的な知識が気候変動対策の鍵となる可能性など様々な意見が交わされました。そして、最後の高妻洋成・文化財防災センター長による閉会のあいさつでは、引き続き多くの人々の知恵を集めながら、この課題に取り組んでいくことの重要性が確認されました。
 本シンポジウムの詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
令和4年度シンポジウム「気候変動と文化遺産―いま、何が起きているのか―」を開催しました|JCIC-Heritage

国際シンポジウム「メソポタミアの水と人」の開催

写真:イラクと中継を結んでのディスカッション

 東京文化財研究所とNPO法人メソポタミア考古学教育研究所(JIAEM)は、令和4(2022)年10月22日(土)に「メソポタミアの水と人―文化遺産から暮らしを見直す―」と題した国際シンポジウムを共催致しました。本シンポジウムは、令和元(2019)年に続く2度目の共催事業であり、いまだ外国研究機関の活動が制限されているイラクをはじめとしたメソポタミア地域の考古学研究ならびに現代の暮らしに目を向け続け、理解を深めるとともに、将来的な考古学調査の再開や国際協力を見据える活動の一環であります。
 メソポタミア文明を育んだ大河・ティグリス川とユーフラテス川は現在、地球規模の気候変動の影響に加えて、上流に位置する隣国によるダム建設などのあおりを受け、水量が激減しているという問題に直面しています。本シンポジウムでは、駐日イラク共和国大使館 特命全権大使アブドゥル・カリーム・カアブ閣下をお招きし、メソポタミア文明期から脈々と続く人々の生活と両大河の関わりと、現在の大河流域のイラクの窮状について基調講演をいただきました。続いて、越境河川における水資源管理、古代メソポタミア地域の水利、伝統的な船造りの方法とその伝承、かつて豊富な湧水で栄えたバーレーンの歴史と現在、というテーマで多方面から「水」をキーワードに発表が行われました。シンポジウム後半には、イラク現地と中継を結び、イラク人専門家から、古代遺跡での水利に関する調査成果や、水とともに生きる南イラクの水牛の危機的状況を発表していただきました。最後に発表者全員で行われたディスカッションでは、かつてイラクの地でどのような水利事業が行われていたのか発掘成果を確認するとともに、様変わりする河川の状況に人々はどう対処していくことが出来るかが話し合われました。
 古代から現代にいたる幅広い問題を扱い、日・英・アラビア語の3か国語で行われた本シンポジウムは、「水」という我々の生活の核となるテーマを掲げたことで、学術的な内容に留まらず、現地の声に耳を傾け人々の暮らしを議論する貴重な機会となりました。このような会を積み重ねることで、新たな国際協力の課題が見出されていくことでしょう。

古墳の石室及び石槨内に残存する漆喰保存に向けた調査研究

石槨内に残存する漆喰

 令和4(2022)年10月20日に、広島県福山市にある尾市1号古墳を訪れ、福山市経済環境局文化振興課協力のもと、石槨内に残存する漆喰の保存状態について調査を行いました。古墳造営に係る建材のひとつである漆喰は、その製造から施工に至るまで特別な知識及び技術を要することから、当時における技術伝達の流れを示す貴重な考古資料といえます。こうした理由から、国外では彩色や装飾の有無に関わらず、漆喰の保存に向けた取り組みが行われることは珍しくありません。一方、国内でも、高松塚古墳やキトラ古墳だけではなく、漆喰の使用が確認されている古墳が40ヶ所以上にものぼることはあまり知られていません。その多くは文化財に指定されていますが、保存に向けた対策が講じられることは少なく、風化や剥落によって日々失われてゆく状況が続いています。
 尾市1号古墳の漆喰は国内でもトップクラスの残存率を誇り、未だ文化財指定を受けていないことが不思議なくらいです。さらに、単に漆喰が残っているというだけではなく、保存状態の良い箇所では、造営時に漆喰が塗布された際にできたと考えられる施工跡までもが確認でき、当時使われていた道具類を特定するうえでの貴重な手掛かりになるものと思われます。今回の調査では、保存状態や保存環境を確認したうえで、材料の適合性や美的外観といった文化財保存修復における倫理観と照らし合わせながら、持続可能な処置方法を検討しました。
 文化財の活用は以前にも増して強く求められるようになってきています。これに伴い、文化財の継承の在り方も今一度見直すべき時期に差し掛かっているといえるでしょう。古墳に残された漆喰もしかり、朽ち果て、失われてゆく現状を見直し、今後の活用にも繋がりうる適切な保存方法と維持管理の在り方について、国外の類似した先行事例も参照しつつ、検討を重ねていきたいと思います。

桑山玉洲と岩瀬広隆の絵具・絵画作品における彩色材料分析と絵画表現―第5回文化財情報資料部研究会の開催

ディスカッション・質疑応答の様子

 桑山玉洲(1746~99)と岩瀬広隆(1808~77)は、江戸時代に和歌山で活躍した画家で、いずれも、彼らが使用した画材道具を残しています。これらの画材道具には、さまざまな絵具類が含まれており、江戸時代の絵具としての彩色材料が具体的に明らかになる点できわめて意義深いものです。また、彼らが描いた絵画作品も多く現存し、実際の絵画作品に用いられている彩色材料と、画材道具に含まれる絵具を比較できるという意味で、貴重な研究対象となります。
 令和4(2022)年9月15日に開催された第5回文化財情報資料部研究会は、こうした玉洲と広隆の絵具・絵画作品についての彩色材料分析に関する中間報告として、オンラインを併用して研究所内で開催されました。まず、早川泰弘(副所長)が、両者の彩色材料に関する蛍光X線分析や可視反射分光分析の結果を報告し、分析によって明らかになった白色顔料における胡粉と鉛白の併用など、新知見や今後の課題を提示しました。続く安永拓世(文化財情報資料部・広領域研究室長)の発表は、玉洲の「渡水羅漢図」を例に、その典拠となった作品との比較に基づいて、人物の顔における白色顔料の使い分けや、裏彩色の問題を考察したものです。さらに、近藤壮氏(共立女子大学)は、浮世絵師から復古大和絵派の絵師になった広隆の経歴を紹介し、「羅陵王・納蘇利図」を例に、広隆の画業と彩色材料の関連性について検討を加えました。
 発表後には、発表者三名によるディスカッションと質疑応答がおこなわれ、分析結果の解釈などについて活発な議論が交わされたところです。玉洲や広隆が活躍した18世紀中ごろから19世紀中ごろは、彩色材料の変遷を知るうえで重要な時期ですが、絵具・絵画作品ともに彩色材料の分析事例は少ないため、こうした研究により、江戸時代中後期の彩色材料に関して具体的な解明が進むことも期待されます。

文化財の記録作成に関するセミナー「記録作成と情報発信・画像圧縮の利用」の開催

渡邉直登氏の講演
今野咲氏の講演
今泉祥子氏の講演

 文化財情報資料部文化財情報研究室は、標記のセミナーを令和4(2022)年9月2日に東京文化財研究所地下セミナー室にて開催しました。令和4(2022)年4月に成立した「博物館法の改正に関する法律」では、博物館資料に係る電磁的記録(デジタルアーカイブ)の作成と公開が博物館の役割に加えられました。また、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、文化財の現場や展示施設の訪問が難しい状況が続き、ウェブなどの仮想空間での展示の需要がこれまで以上に高まっています。
 このような状況に鑑み、セミナーでは、渡邉直登氏(仙台市歴史民俗資料館学芸員)から、コロナ禍での生出森八幡神社の例祭や神楽の伝承に関する映像記録作成とYouTubeでの発信について、今野咲氏(東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館学芸員)から、展示室の様子や作品解説などを館のウェブサイトで公開する取り組みについてお話しいただきました。また、今泉祥子氏(千葉大学大学院工学研究院准教授)には、画像や映像の圧縮の原理や、利用の際の留意点に関するご講演をいただきました。
 今泉准教授は、圧縮にはデータ容量を減らす効果がある一方、画像や映像の質が低くなるデメリットがあることを視覚的に提示し、渡邉学芸員、今野学芸員は、補助金などの公的支援や地元の方の協力を得つつ、組織内の人材や機材、無償のソフトウェアを活用し自前で情報発信を行う手法を具体的に紹介しました。いずれのご講演も身近な課題の解決に向けて有益な示唆を与える内容で、参加者からも多くの質問が寄せられました。
 文化財情報研究室では今後も様々な媒体を通じて、文化財の記録作成や情報発信について、実務に活用可能な情報を提供してまいります。

肥後琵琶の伝承および関連資料の最終調査

永柗大悦氏使用の琵琶(永柗光豊氏所蔵、当時)
橋口啓介氏使用の琵琶(橋口賢一氏所蔵)

 無形文化遺産部では、肥後琵琶の継承に関わってきた肥後琵琶保存会やその後継者、琵琶を含む肥後琵琶関連資料について調査を開始し、このたび9月7~9日にかけて第三回の調査を実施しました。今回は、晴眼の肥後琵琶演奏者・永柗大悦氏が使用していた琵琶、天草栖本にルーツのある星沢流の継承者だった橋口桂介(星沢月若)氏が使用していた琵琶を、それぞれご遺族が保管されているということで、ご自宅に伺い、調査させていただきました。併せて、ご遺族から生前の永柗氏、橋口氏についてのお話を聞くこともでき、貴重な機会になりました。前者の琵琶は、関連する自筆詞章本や所蔵レコードとともに、同行した学芸員の方を通して玉名市立歴史博物館こころピアに寄贈される運びとなりましたので、今後広く公開され、研究が進むことが期待されます。
 このほか、天草の新和歴史民俗資料館、天草市立本渡歴史民俗資料館所蔵琵琶の調査も行い、本調査は今回をもって一つの区切りとすることになりました。今後、若干の補足調査ののち、年度内に報告書を刊行予定です。
 肥後琵琶については、毎年持ち回りで一面の肥後琵琶を管理しながら、新年に奉納演奏を続けている集落があることもわかっています。今回は調査が実現しませんでしたが、本調査が、肥後琵琶の伝承状況をつまびらかにする端緒となれば幸いです。

博物館の展示ケース内における空気質調査

展示ケース内に設置した袋に窒素ガスを入れている様子
袋内の空気をポンプで採取している様子

 保存科学研究センターでは博物館等の保存環境にかかる調査研究を行っています。今回、神奈川県立歴史博物館より、展示ケース内の空気質に関する調査依頼をいただきました。展示ケース内で有機酸が検出されるが、発生源が特定できておらず、対策を講じるためにも発生源を知りたいということでした。また、これまで有機酸として一括りでしか測定できていなかったので、酢酸とギ酸の割合を把握したいという要望もありました。
 そこで、保存科学研究センター・保存環境研究室と分析科学研究室では、分析科学研究室で開発を行っている空気質の調査方法を適用して、発生源を調べることにしました。調査対象は大小の壁付展示ケース床面、覗きケース展示面、展示台、バックパネルの5箇所です。写真のように空気を通さないフィルムで作られた袋を測定箇所にかぶせ、重さ4.5kgの鉛金属のリングで設置面に隙間ができないように設置しました。袋の中の空気を窒素に置き換え24時間静置後、袋内からポンプで空気を採取し超純水に溶かした試料をイオンクロマトグラフィーで分析することにより、酢酸、ギ酸の放散量を測定しました。同時に、データロガーを袋内に封入し、二酸化炭素の濃度変化を測定することで、密閉度の確認も行いました。
 今回の調査により、それぞれの測定箇所の酢酸・ギ酸の濃度を把握することができたので、今後の空気質改善の対策に生かしていきたいと考えています。

「タンロン-ハノイ皇城世界遺産研究・保存・活用の20年」国際シンポジウムへの参加

シンポジウムの様子

 ハノイはかつてタンロンと呼ばれ、11世紀冒頭に初のベトナム統一国家である李朝が樹立されて以来、大半の時代を通じ首都であり続けてきました。都心に立地するタンロン皇城遺跡は、皇帝の住まいであり政治支配拠点でもある宮殿群があった場所で、存在は知られていたものの、近代に軍施設となったことで往時の宮殿遺構は失われたと考えられていました。
 ところが、その一角を占める国会議事堂の建て替えに伴う2002年からの大規模な発掘調査で、李朝期を含む各時代の宮殿基壇等の遺構や関連遺物が大量に出土し、ベールに包まれていたタンロン皇宮の実像の一端が明らかになりました。保存が決まった遺跡は建都千年にあたる2010年に世界遺産に登録されました。ベトナム政府の求めに応じて日本は本遺跡の研究と保存に2006年から協力しており、筆者は2008年から13年まで建築学および保存管理分野の支援ならびに協力事業の全体運営を担当しました。
 調査開始から20年の節目にあたり、2022(令和4)年9月8~9日の両日、ハノイ市とユネスコハノイ事務所の共催による「タンロン-ハノイ皇城世界遺産研究・保存・活用の20年」国際シンポジウムが現地で開催されました。政府機関やユネスコ、ICOMOS、ICOMの代表や国内外専門家が多数参加し、各分野の研究成果を共有するとともに、今後の保存活用に向けた課題等をめぐって20本を超える報告と討議が行われました。筆者は「タンロン皇城遺跡保存に係る日越国際協力」の題にて発表し、討議のコメンテーターも務めました。
 本遺跡をめぐっては、現存する後黎朝期(16世紀以降)の基壇上に中心建物の敬天殿を復元したいという声が以前からありますが、今回もその根拠資料に関する報告が複数あり、研究の進展が強調されました。一方で、この基壇上と前方にはフランス植民地時代の軍司令部建物が建っているため、宮殿の復元にはその撤去または移設が必要となります。これら後世の建物も世界遺産登録の際に認められた「顕著な普遍的価値」(OUV)を構成する遺跡の重層性を示す証拠物にほかならないことから、OUVの変更なしに復元を実行するのは困難と思われます。シンポジウムの終盤ではこのことが議論の焦点となり、熟議の結果、復元構想を盛り込んだ整備マスタープランの提案は見送られ、さらに検討を継続するとの議事要旨が採択されました。
 日越協力事業は既に終了していますが、関係者の一員として、本遺跡の保存整備をめぐる動向を引き続き注視していきたいと思います。

世界遺産条約50周年記念・世界遺産リーダーシップフォーラム2022への参加

世界遺産ベルゲン・ブリッゲン地区の町並み(裏側-左-の建物がフォーラム会場となったホテル)
フォーラム会場の様子(グループディスカッションのホワイトボード)

 2022年は、世界遺産条約が1972年の第17回UNESCO総会で採択されてからちょうど50年にあたる節目の年です。この半世紀の間に登録された世界遺産は167カ国・1154件(文化遺産897件、自然遺産218件、複合遺産39件)に上り、遺産保護に対する意識啓発と共通理解の醸成に大きな役割を果たしてきました。また、毎年開催される世界遺産委員会を中心にして、国境を越えた様々な議論が積み重ねられています。近年、気候変動の脅威に象徴されるこれまでにない難題が持ち上がる中、2016年、世界遺産委員会の諮問機関であるICCROMとIUCNは共同で「世界遺産リーダーシップ(WHL)」プログラムを立ち上げ、世界遺産条約が果たすべき役割の再構築に向けた活動と議論を進めています。
 令和4(2022)年9月21日から22日にかけて、WHLのこれまでの活動の成果を総括し、これからの活動の方向性を展望する「世界遺産リーダーシップフォーラム2022」が、ノルウェー王国の世界遺産都市・ベルゲンで開催されました。参加者は、世界遺産関係の国際機関や各国の世界遺産の管理運営に関係する機関、登録遺産の管理者・コミュニティの代表者など約60名。会議は、これまでの成果を振りかえる第1部、これからの優先課題と行動方針を話しあう第2部、世界遺産の管理運営能力の向上に向けた具体的な行動計画を考える第3部、の3部構成で行われました。筆者は、第2部で日本の状況についてのスピーチを行い、行政的には世界遺産に特化した保護の枠組みはないものの、2019年の文化財保護法改正で導入された「文化財保存活用地域計画」がWHLでの議論と問題意識を共有しており、WHLが目指す文化遺産・自然遺産、また遺産専門家・遺産管理者・コミュニティを包括した総合的な管理能力の向上に資する有効なツールにもなりうる、とする報告を行いました。また第2部では、(1)効果的な管理運営システムの実現に向けて、(2)災害危機管理と気候変動対応に必要なレジリエンス思考とは、(3)遺産影響評価がもたらす変化への備え、の3つのテーマに参加者を分けたグループディスカッションも行われ、参加者同士の活発な議論が交わされました。そして、第3部での議論を経て、WHLは今後、本会議で確認されたような参加者のネットワークを強化し、世界遺産委員会から遺産保護の現場までを継ぎ目なく繋ぐ管理運営能力の開発に焦点をあてることが確認されました。同時に、そのためには各国・各地域の文化・言語に根づいた遺産保護のローカルネットワークとの綿密な連携体制を構築していくことが重要とされています。
 日本は、ローカルネットワークの活動と世界遺産関係の動向との関連が特に弱い国の一つと思われますが、国内の遺産保護の現場を国際社会での活動や議論に直接つなぐことができるようにする努力と工夫が、文化遺産国際協力の新たなかたちとして求められるようになるかもしれません。

世界遺産リーダーシップフォーラムに関するICCROMウェブサイト https://www.iccrom.org/news/norway-renews-commitment-iccrom-iucn-world-heritage-leadership-programme

国際研修「紙の保存と修復」評価セミナー2022の開催

シンポジウムの様子

 東京文化財研究所とICCROM(文化財保存修復研究国際センター)は、平成4(1992)年度より国際研修「紙の保存と修復」(JPC)を共催しています。各国の文化財保護への和紙のさらなる活用をめざし、海外より専門家を招いて、和紙の製造工程から修復技術までを体系的に学ぶ機会を提供してきました。
 本年度は、9月5、6、7、12日の全4日間にわたりオンラインで評価セミナーを開催しました。修了生から発表を募り、JPCで学んだ知識や技術の活用実態を把握しました。このような振り返りは、本事業としては2回目となります。
 発表では、裏打ち技術を使っての建築関係資料の修復や、和紙の手漉きから着想を得たイランやマレーシアでの紙漉きワークショップなど、JPCを端緒として各国の事情に合わせた研究や応用が進んでいることがうかがえました。また、講師の指導や日本の工房見学を通じて欧米とは異なる文化財修復へのアプローチに触れ、自身の修復作業に対する考え方や姿勢に影響があったとの報告もありました。研修内容のみならず、JPCのコンセプトや、実践に重きを置いた技術移転のカリキュラムや教授法なども高く評価されており、その後の学生指導や工房での後人育成に方法論の面でも貢献していることがわかりました。最終日のシンポジウムでは、発表内容を確認したほか、和紙や道具の流通をめぐる問題点を共有しました。
 修了生にとってJPCは文化財の保存修復に関わる者としての人生を変える経験だったと総括することができ、当研究所が今後も本研修を継続していくことの意義を再認識させられました。

第31回文化遺産国際協力コンソーシアム研究会「技術から見た国際協力のかたち」の開催

第31回研究会の様子
第31回研究会のロゴ

 文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和4(2022)年8月28日に第31回研究会「技術から見た国際協力のかたち」をウェビナーにて開催しました。
 新たな技術の導入によって、文化遺産に関わる様々な作業が効率化・高精度化されるとともに、調査・研究手法や国際協力のあり方そのものにも変化がもたらされています。本研究会は、日本が関わる文化遺産国際協力の現場における具体的事例を紹介しつつ、多様な社会的・文化的背景のもとで行われる活動の中で私たちは次々と現れる新技術にいかに向き合うべきか、について議論することを目的としました。
 はじめに亀井修氏(国立科学博物館)による「社会における技術の変化:テクノロジーとどのように向き合うか」と題する報告で技術の特質について概観した後、下田一太氏(筑波大学)による「複数国の協力による技術導入:カンボジア・ライダーコンソーシアムの設立による遺産研究と保護」で複数国協力による大規模な技術導入の事例、野口淳氏(金沢大学)による「身近な最新技術で文化遺産保護を広める:誰もが取り組める計測記録を目指して」で汎用的技術の導入を通した人材育成の事例が、それぞれ報告されました。
 これらの講演を受けて、亀井氏と友田正彦事務局長(東京文化財研究所)のモデレートのもと、講演者を交えたパネルディスカッションが行われ、活発な意見が交わされました。本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/20220909seminarreport-j/

岸田劉生による油彩画の光学調査

調査風景(東京文化財研究所)
調査風景(福島県立美術館)

 大正期を中心に活動した画家の岸田劉生(1891-1929)は、油彩画を主な媒体とし、《道路と土手と(切通之写生)》(大正4〈1915〉年、東京国立近代美術館蔵)、《麗子微笑》(大正10〈1921〉年、東京国立博物館蔵)という2点の重要文化財指定品を含む、数々の名作によって知られています。彼の描いた静物画は、厳密な画面構成、机のひび割れや果物のしみまで描く密度の高い描写などを特徴とし、洋画家のみならず日本画家や写真家などにも、広く影響を与えました。しかしその中には、画中に描きこまれた人間の手が「不気味だ」と言われ展覧会に落選した《静物(手を描き入れし静物)》(大正7〈1918〉年、個人蔵)という評価を二分する作品があり、その評価は画家像をも左右します。そしてこの作品は、問題視された「手」が何者かによって消されてしまうという謎めいた経緯を経て現存します。「手」がどのような経緯で消されたのか、またこの作品は岸田による他の静物画とどのような関係を持つのかという問いのもとに、令和4年度を通じ、国内の様々な機関や個人のご協力を得ながら、静物画4点の光学調査を行いました。本調査は「第56回オープンレクチャー かたちを見る、かたちを読む」における口頭発表、吉田暁子「岸田劉生による静物画 ー『見る』ことの主題化」の準備調査として行ったものです。
 調査内容は、文化財情報資料部専門職員・城野誠治による近赤外線撮影(反射・透過)、蛍光撮影、紫外線撮影を中心とし、《静物(手を描き入れし静物)》については保存科学研究センター分析化学研究室長・犬塚将英によるX線撮影をも行いました。その結果、《静物(手を描き入れし静物)》については画中に隠された「手」を含む画面全体の画像を得た他、それ以外の作品においても、モティーフを動かして描き直した痕跡を持つものが複数存在することが分かりました。このことは、岸田劉生による絵画制作の工程について、新たな情報をもたらす発見だと言えます。詳細な内容は、上記オープンレクチャーにおいて報告します。

セインズベリー日本藝術研究所での活動

ワークショップの案内

 イギリス・ノリッジにあるセインズベリー日本藝術研究所(以下、セインズベリー研究所、Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)は欧州における日本芸術文化研究の拠点として欧米の関係者にはよく知られた研究機関です。東京文化財研究所とは2013年7月に共同事業「日本芸術研究の基盤形成事業」に関する協定を結び、以来、主に欧米の日本美術の展覧会や日本美術に関する書籍・文献の英語情報の提供を受けています。
 今回、サバティカル渡英中の文化財情報資料部客員研究員の津田徹英(青山学院大学文学部教授)は、7月8、9日の日程でセインズベリー研究所が主催するオンライン・ワークショップ “Absence, Presence, and Materiality: Refiguring Japanese Religious Art and Culture(邦訳:モノとしての不在と顕在:日本の宗教芸術と文化の再構築)”に参加し、第二日目に”Reinterpreting Esoteric Buddhist Sculpture in Nara period(8th century)邦訳:奈良時代(8世紀)における密教彫刻再考”のタイトルで口頭発表を行いました。同発表では空海によって平安時代(9世紀初頭)に密教が日本にもたらされる以前の奈良時代後半において密教が流入・受容されており、既に明王像の造像が行われていたことを具体的な現存作例を挙げながら、その作例の存在意義に及んだものです。このワークショップは日本時間を基準にして開催されました。そのため欧米では時差のため深夜・早朝での開催となってしまいました。にもかかわらず聴講者は欧米を中心にロシア・台湾にまで及んで両日でのべ72人の参加者がありました。改めて世界各地に日本の宗教文化に関心を寄せる研究者が少なからずいることを実感いたしました。
 また11日には、同研究所を管轄するイーストアングリア大学(UEA)セインズベリーセンター内のミュージアムが所蔵している80点にも及ぶ縄文時代から中世に及ぶ日本美術(彫刻・工芸)のコレクションについて、すべての作品に解説を付すべく、その要請がセインズベリー研究所より津田にあり、そのための熟覧調査を同研究所所員の松葉涼子氏とともに行い意見交換をいたしました。このコレクションについては日本ではほとんど無名ですが、仏教美術に限ってもそれらのなかには奈良時代(8世紀)の金銅仏や平安中期(10世紀)の菩薩坐像など小像ながら佳品が含まれています。かつ、そのいくつかは東京文化財研究所の売立目録アーカイブとも照合が可能なものです。
 あわせて同日午後2時よりロンドンにある在英国日本大使館の伊藤毅公使の展示品の視察があり、松葉涼子氏とともに津田が解説を行い、公使は熱心に作品を見ながら解説に耳を傾けられておられました。

エントランスロビーパネル展示「タイ・バンコク所在王室第一級寺院 ワット・ラーチャプラディットの漆扉」の開始

ワット・ラーチャプラディット拝殿
ワット・ラーチャプラディットの漆扉部材の調査研究に関する展示
タイ所在日本製漆工品に関する展示

 東京文化財研究所では、調査研究の成果を公開するため、1階エントランスロビーでパネルを用いた展示を行っており、令和4(2022)年7月28日からは標記の展示が新たに始まりました。
 タイの王室第一級寺院の一つであるワット・ラーチャプラディットは、「首都には三つの主要な寺院を置く」というタイの伝統に基づき、首都バンコクの三つ目の主要な寺院として、1864年にラーマ4世王により建立されました。
 ワット・ラーチャプラディットの拝殿の開口部の扉には、裏面に着色や線描を施した非常に薄い貝片を用いる伏彩色螺鈿や、着色した漆で図柄を立体的に表現する彩漆蒔絵により装飾された漆塗りの部材がはめ込まれています。特に伏彩色螺鈿による図柄は日本風であったことから、タイ文化省芸術局から、平成24(2012)年に漆扉部材修理に対する技術的な支援を依頼されました。そこで、状態、製作技法や材料を明らかにするため、平成25(2013)年10月に部材2点を東京文化財研究所に持ち込み、平成27(2015)年7月まで詳細な調査と試験的な修理を行ったほか、現地での調査を実施しました。併せて、漆扉部材の産地や漆工史上の位置付けを知るため、美術史学や音楽学、貿易史などの分野からの検討も行われました。これらの調査から、漆扉部材が日本で制作されたことが確実となり、現在は対象をタイにあるその他の日本製漆工品に広げ、研究を続けています。
 パネル展示では、当研究所内外の様々な分野の研究者や研究機関が参加する共同研究を通じて、ワット・ラーチャプラディットの漆扉部材の制作技法や産地を明らかにする過程をご紹介しています。また、タイ所在日本製漆工品のいくつかもご紹介していますので、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください(公開は祝日を除く月曜日~金曜日の午前9時~午後5時30分)。

報告書『Lacquered Door Panels of Wat Rajpradit – Study of the Japan-made Lacquerwork Found in Thailand –』の刊行

ワット・ラーチャプラディットの漆扉。扉の上部には仏陀の言葉が記されている。
報告書の表紙

 東京文化財研究所は平成3(1992)年から、タイの文化財の保存修復に関する共同研究をタイ文化省芸術局と実施しています。その一環として、タイ・バンコクの王室第一級寺院の一つであるワット・ラーチャプラディット(1864年にラーマ4世王により建立)の漆扉について、同局及び同寺院などタイの関係者による修理事業への技術的な支援を行ってきました。
 文化財の修理を行う際には制作技法や材料等に関する調査が不可欠ですが、調査を通じてその文化財に関する多くの知見を得る機会ともなります。ワット・ラーチャプラディットの漆扉部材には、19世紀半ばを中心に日本からの輸出漆器に多用された伏彩色螺鈿の技法による和装の人物などの図柄が見られ、日本製であると考えられましたが、当初はそれを裏付ける確実な証拠は得られていませんでした。そこで、科学的な調査や、伏彩色螺鈿及び彩漆蒔絵で表現された図柄に関する調査を、当研究所内外の様々な分野の専門家が行ったところ、用いられた材料や技法及び図柄の表現から、漆扉が日本で制作された可能性が極めて高いことがわかりました。
 令和4(2022)年3月に刊行した標記の報告書には、上記の研究成果に関する令和3(2021)年刊行の日本語版報告書所載の論考の英訳のほか、芸術局とワット・ラーチャプラディットによる寺院建立の経緯と寺域内の建造物などに関する論考が掲載されています。報告書は当研究所の資料閲覧室などでご覧になれますので、お手に取っていただけましたら大変幸いです。

「創立150年記念特集 時代を語る洋画たち ―東京国立博物館の隠れた洋画コレクション」展(東京国立博物館)について

展示室風景
講演会風景 吉田暁子

 東京国立博物館の創立150年記念事業の一環として、「時代を語る洋画たち ―東京国立博物館の隠れた洋画コレクション」展(平成館企画展示室、6月7日[火]~7月18日[月・祝])が開催されました。同展は、東京国立博物館列品管理課長・文化財活用センター貸与促進担当課長である沖松健次郎氏による企画であり、当研究所からは文化財情報資料部部長の塩谷純、同部研究員の吉田暁子が、準備調査への参加などの形で協力しました。
 日本東洋の古美術コレクションのイメージが強い東京国立博物館(以下、東博)ですが、じつはその草創期から、欧米作家の作品を含む洋画も収集してきました。同展では、万国博覧会への参加や収蔵品交換事業といった活動によって各国からもたらされた作品が「Ⅰ 世界とのつながり」、最新の西洋美術を紹介し、国内での制作を奨励する目的で収集された作品が「Ⅱ 同時代美術とのつながり」、災害や戦争といった社会の動きに対応して収集された作品が「Ⅲ 社会・世相とのつながり」という章立てのもとに展示されました。
 同展の準備段階では、沖松氏による作品選定と収集経緯等の調査に基づき、作品の実見調査と撮影、資料調査、関連作品の調査などが行われました。第3章に出品された「ローレンツ・フォン・シュタイン像」(オーストリア、1887年)の像主は、大日本帝国憲法の起草に寄与したドイツの法学者ですが、沖松氏の調査・声掛けに応じた関係者からの情報提供により、像主の長男のアルウィン・フォン・シュタインが作者であることが同定されました。またレンブラント・ファン・レインによる版画作品「画家とその妻」(オランダ、1636年)は、戦後の一時期に東博が担った、西洋の近代美術の紹介という役割に関連して収集されたと考えられるものです。今回の調査では、外部専門家の助言によって版の段階(ステート)を絞り込むことができました。この他にも資料調査や関連作品の調査を通じた発見があり、これまでまとまった形で紹介されてこなかった東博の洋画コレクションの意義を改めて認識することになりました。
 7月16日には月例講演会「時代を語る洋画たち-東京国立博物館の隠れた洋画コレクション-」において、沖松氏、塩谷、吉田によるリレー形式の講演が行われました。
 沖松氏による展覧会全体の構想と、調査段階で判明した事項の紹介に続く各論として、塩谷は洋画家黒田清輝を記念するために設立された黒田子爵記念美術奨励資金委員会が、今回展示された松下春雄「母子」(1930年)や猪熊弦一郎「画室」(1933年)を含む昭和戦前期の洋画作品を東博に寄贈した経緯について紹介しました。また吉田はベルギーの画家ロドルフ・ウィッツマンによる油彩画の「水汲み婦、ブラバンの夕暮れ」を中心に、ロドルフとジュリエットという、ともに画家であったウィッツマン夫妻の略歴と、白馬会展への出品に始まる日本との関わりについて述べました。

茨木市立文化財資料館2022年度郷土史教室講座の講師

茨木市立郷土資料館第1回郷土史教室講座の様子

 大阪府の茨木市立文化財資料館では毎年6回にわたって郷土史教室講座が開催されていますが、令和4年度の第1回講座には特任研究員の小林公治が講師に招かれ、同館にて7月16日(土)、「三つの聖龕と一つの厨子 千提寺・下音羽のキリスト教具が語るもの」という題名でお話ししました。
 茨木市内北部に位置する千提寺・下音羽地区は、16世紀末にキリシタン大名であった高山右近の所領地となったことで多くの領民がキリスト教に改宗した土地です。またその信仰は江戸時代の厳しい禁教期を経て近現代まで伝えられてきたことから、かくれキリシタンの集落として広く知られています。この地域のキリシタン文化の大きな特徴は、各地の潜伏あるいはかくれキリシタン地域や集落には伝えられていない、奇跡的といっても過言ではないほど多種多様なキリスト教遺物が現在まで数多く伝えられてきたことであり、その一つとしては、現在は神戸市立博物館に所蔵されている重要文化財「聖フランシスコ・ザビエル像」がよく知られています。
 国内におけるキリスト教信仰の実態を探るため、これまで筆者は同地に伝わる各種のキリシタン器物、中でもキリスト像や聖母子像といったキリスト教聖画の収納箱である聖龕を中心に調査研究を行ってきました。この地の聖龕は外面を黒色のみで塗装するシンプルなもので、その伝来経緯からも明らかに日本国内の信仰に関連するものですが、一方で欧米への輸出品としてヨーロッパ人によって日本の工房に注文され、蒔絵と螺鈿で豪華に装飾された同形の南蛮漆器聖龕が知られており、同じ機能を持つキリスト教具でありながら、両者は顕著な差を示しています。さらに、聖龕に収められている聖画には黒檀材製と推測され西洋式接合構造をもつ額縁や、蒔絵を用いた国内製の額縁がそれぞれ伴っており、その由来や制作技法は重要な問題をはらんでいると見られます。一方、厨子にはやはり黒檀と見られる黒色材の十字架に象牙製のキリスト像が磔刑されていますが、この像や厨子についてもこれまでほとんど関心を持たれることがなく、その制作地や年代などについてもいまだ明らかにされていません。
 今回の講座では、こうした聖龕や厨子の実態や、それらの検討で明らかとなった桃山時代から江戸時代初期の日本国内でのキリスト教受容の実態や信仰のあり方をテーマとしましたが、新型コロナ感染再拡大のなか、抽選によって参加された約40名の方々からは熱心な質問も受け、この地のキリシタン文化や歴史に対する高い関心を伺うことができました。
当地に伝えられてきたキリシタン文化やその遺品は他に類のない貴重な歴史の道標です。報告者も引き続き調査を進め、今後も成果を報告発信していきたいと考えています。

螺鈿の位相―岬町理智院蔵秀吉像厨子から見る高台寺蒔絵と南蛮漆器の関係―第4回文化財情報資料部研究会の開催

第4回研究会発表の様子

 令和4(2022)年7月25日に開催された今年度第4回文化財情報資料部研究会では、特任研究員の小林公治が「螺鈿の位相―岬町理智院蔵秀吉像厨子から見る高台寺蒔絵と南蛮漆器の関係―」と題し、会場とオンラインによるハイブリッド方式で発表を行いました。
 大阪府岬町に所在する理智院には、豊臣秀吉に仕え大名に取り立てられた忠臣、桑山重晴が造らせたと考えられる秀吉像蒔絵螺鈿厨子が伝えられています。この厨子は、その死後直ぐに神格化された秀吉の遺徳をしのびその恩に報いるため、桑山が自領に豊国神社を分祀する際に制作させたものと見られますが、厨子各面を高台寺蒔絵様式の平蒔絵文様で装飾するのみならず、高台寺蒔絵漆器にはまったく知られていない螺鈿装飾を伴っている点で特に注目されます。
 本発表では、この厨子に表されている「折枝草花唐草文」「菊桐紋」「立秋草唐草文」という三種の文様について検討した結果、それぞれの歴史性や格の違いが蒔絵装飾への螺鈿の併用可否という点に強く影響したことを示しましたが、逆に言えばこのことは、この時期の日本における螺鈿という装飾技法の非一般的性格を意味し、さらに言えば、ヨーロッパ人の発注により輸出漆器として制作され、秋草文様や螺鈿装飾を一般的要件とした南蛮漆器の特殊な立ち位置を暗示していることになります。
 また、南蛮漆器には不定形の貝片をランダムに配置した作例が広く知られていますが、これは螺鈿に不習熟であった職人の技量を示している、あるいはその粗雑な制作水準を示すといった理解がこれまで一般的でした。しかしながら、これと同様の螺鈿技法が秀吉追慕という思いで造られた理智院所蔵厨子にも認められることからすれば、この螺鈿表現が技量の低さや粗雑な制作といった否定的な存在であった可能性は明確に否定され、何らかの肯定的な意味を持っていたと見る必要が生じます。そこで筆者は平安時代以来、蒔絵と密接な関係性を持っていた料紙装飾に注目し、同時代の箔散らし作例を具体的に例示したうえで、このような美的感覚からの影響でこうした螺鈿表現が創出され、この秀吉像厨子や南蛮漆器の螺鈿技法に取り入れられたのではないか、という仮説を提示しました。
 このように、当時の国内事情によって制作された理智院伝世秀吉像厨子の蒔絵螺鈿装飾の観察から南蛮漆器の装飾について考えると、そこには日本の伝統や日本人の好みで造られた漆器とは異なる独自性の強い漆器というその特異な性格が浮かび上がってきます。
 当日は、小池富雄氏(静嘉堂文庫美術館)、小松大秀氏(永青文庫美術館)のお二人からのコメントに加え、会場内外の参加者からのさまざまな意見により幅広い討議がなされました。

資料閲覧室利用ガイダンスの開催―学習院大学大学院生を迎えて

研究会室での説明
売立目録デジタルアーカイブの説明

 令和4(2022)年7月1日、学習院大学大院生ら14名(引率:皿井舞教授、島尾新教授)を迎えて、当研究所の資料閲覧室利用ガイダンスを開催しました。今回の利用ガイダンスでは、まず庁舎2階研究会室で橘川が資料閲覧室の利用方法や蔵書構成について説明、その後、資料閲覧室と書庫に移動し、職員が売立目録デジタルアーカイブや文化財調査写真、売立目録をはじめ各種資料を紹介しました。参加者は実際にデジタルアーカイブを操作し、また蔵書・写真を手にとり、それぞれ自身の研究に、これらをどのように活用できるのかという視点から、熱心に職員の説明を聞き、また活発な質問が寄せられました。
 文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室は、研究プロジェクト「専門的アーカイブと総合的レファレンスの拡充」において、文化財研究に関する資料の収集・整理・保存を行うとともに、文化財に関する専門家や学生らがこのような資料にアクセスしやすく、より有効に活用できる環境を整備することをひとつの任務としております。その一環として、今後も積極的に利用ガイダンスを実施していきます。受講を希望される方は、「利用ガイダンス」(対象:大学・大学院生、博物館・美術館職員、https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/guidance.html)をご参照の上、お申込みください。

浅田正徹氏採譜楽譜(通称「浅田譜」)原稿のデジタル画像公開

専用端末による画像閲覧の様子
原稿の追加修正例(清元譜第39編「三社祭」)

 無形文化遺産部では、無形文化財研究の基礎となる貴重な資料を整理し、一般に公開しています。このたび、浅田正徹氏(あさだ まさゆき、1900-1979)採譜楽譜原稿について、当研究所資料閲覧室でのデジタル画像公開が始まりました。
 浅田譜は、幅広いジャンルの三味線音楽における声(浄瑠璃、唄)と三味線伴奏の旋律を書き記したもので、刊行期間は23年にわたります。原稿原本は慎重な取り扱いを要するため、これまでは製本版(原稿をもとに複写・製本したもの)のみを公開していました。しかし、令和3年度に清元節、令和4年度に一中節・宮薗節などの原稿のデジタル画像化が完了し、7月から全ジャンルの原稿画像データを資料閲覧室でご覧いただけるようになりました。これにより、原稿の紙を切り抜いて声の節回しを細かく修正した跡など、複写には反映されなかった細部まで随意に検討できます。
 閲覧を希望される方は、資料閲覧室利用案内をご参照のうえ、専用端末を事前予約してください(なお本資料は著作権保護期間内のため、原則として、デジタル画像からの複写はできません)。なお、浅田譜原稿の所蔵リストはこちらからご覧いただけます。研究者、演奏家、愛好家など、多くの方々のご利用をお待ちしています。

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