研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


ウェブコンテンツ『黒田記念館 黒田清輝油彩画 光学調査』公開

ウェブコンテンツ『黒田記念館 黒田清輝油彩画 光学調査』トップページ
《湖畔》カラー写真
《湖畔》カラー写真(左)と近赤外写真(右)

 黒田清輝(1866~1924)は、日本の近代洋画史において画家、教育者などとして大きな足跡を残しました。帝国美術院附属美術研究所は、黒田の遺言執行の一環で美術の研究を行う機関として設立され、同研究所の後身である東京文化財研究所は現在に至るまで、黒田の絵画作品や彼の活動に関する調査研究をその活動の一つとしています。
 令和3(2021)年10月から12月にかけて、黒田清輝に関する調査研究の一環として、東京文化財研究所は黒田が描いた油彩画のうち黒田記念館に収蔵される油彩画148点を対象とした光学調査を行いました。光学調査では、色や形、質感を高解像度で記録するカラー写真を撮影したほか、近赤外線の反射や吸収の違いを記録する近赤外写真、特定の波長の光を画面に照射した際に物質が発する蛍光を記録する蛍光写真を撮影し、肉眼では読み取ることのできない情報を取得しました。また、黒田の代表作である《湖畔》、《舞妓》、《読書》、《智・感・情》、及び黒田が使っていたパレットについて、絵画材料に含まれる元素を判別するための蛍光X線分析を行い、令和5(2023)年3月31日、これらの写真や分析結果をウェブコンテンツ『黒田記念館 黒田清輝油彩画 光学調査』(https://www.tobunken.go.jp/
kuroda/image_archives/main/
)として公開しました。
 《湖畔》を例にとれば、モデルの眉の毛の1本1本まで描いた描線、着物の縞模様を表現した白い絵具の凹凸や、下書きの線からモデルが持つ団扇の大きさを何度か変更していることなどがわかります。現在、上記4作品を中心としたウェブコンテンツのほか、黒田記念館収蔵の油彩画148点すべてのカラー写真をウェブ公開していますので、鑑賞や調査研究にお役立ていただけましたら幸いです。

漆工専門家 三木栄のタイでの活動-同時代の資料を中心に-第9回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 明治時代の日本と同様、19世紀後半から20世紀の初めにかけてのタイでも、様々な分野の外国人専門家が政府機関で働いており、その中には日本人もいました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)漆工科の卒業生である三木栄(1884~1966)もその一人で、明治44(1911)年にタイに渡り、同年に宮内庁技芸局(現在の文化省芸術局の前身)に着任、その後は国立の美術学校の教員や校長を務めるなど、昭和22(1947)年に日本に帰国するまで漆工の分野で活躍しました。令和5(2023)年3月2日に開催された文化財情報資料部第9回研究会では三木栄について、標記のタイトルで二神葉子(文化財情報資料部文化財情報研究室長)が発表しました。
 三木栄は上記の経歴から、戦前の日タイ交流の分野で取り上げられることの多い人物です。しかし、タイでの活動内容に関する言及は、タイ渡航直後に携わったラーマ6世王戴冠式の玉座制作のほか、宮殿の修理などの大規模事業にとどまり、日常業務の詳細には触れられないことがほとんどでした。そこで、同窓会誌『東京美術学校校友会月報』(以下、『校友会月報』)に三木が寄稿した近況報告を主に用いて、日常的に携わっていた仕事を読み解きました。
 『校友会月報』の記事からは、大正6(1917)年には三木が日本から取り寄せた材料を潤沢に用いて、国王の日常使いの品物に蒔絵などの日本の技法で装飾を施していたことが読み取れました。一方で同じ時期、装飾を施す対象やタイの気候に応じて材料や技法を工夫していたことも記されています。三木栄は日本の漆工の技術と柔軟な応用力に加え、真剣に仕事に取り組む姿勢によってタイで受け入れられ、行政改革による人員削減の影響もあって、大規模工事の監督業務を含む重要な仕事に携わることになったと考えられます。本発表は三木栄のタイでの活動に関する中間報告で、今後さらに検討を進め報告書にまとめる予定です。

ワット・ラーチャプラディットでのセミナーへの参加

セミナーの様子
ワット・ラーチャプラディットの漆扉

 タイ・バンコクの旧市街に所在する王室第一級寺院のワット・ラーチャプラディット(1864年創建)は、拝殿に日本で製作された漆塗りの扉部材が用いられており、東京文化財研究所はそれらの扉部材についての調査研究や、修復に関する技術的な支援を行っています。今年はワット・ラーチャプラディットの扉部材の修理に関する活動が始まって10年の節目にあたることから、令和5(2023)年3月20日に同寺院でセミナー「ラーチャプラディット・ピシッシルプ」(タイ語で「ラーチャプラディットの素晴らしい芸術」の意味)が開催されました。
 セミナーでは、修理事業の背景に関する座談会、技術的な事柄や修理過程に関する座談会がそれぞれ行われ、修理事業を実施しているタイ文化省芸術局の専門家やワット・ラーチャプラディットの僧侶のほか、日本側からは前者に二神葉子(東京文化財研究所)、後者に山下好彦氏(漆工品保存研究者・専門家)が参加しました。またこの日は、修理が完了した扉部材数点を拝殿の扉の枠に取り付けるセレモニーを行ったほか、寺院の境内にはお茶席や日本食の屋台が設けられ、タイの伝統的な衣装や日本の着物を着た舞踊家による舞踊の披露、「刀剣乱舞」のキャラクターに扮したコスプレイヤーの登場もあり、日本への親しみを深める機会ともなっていました。新型コロナウイルス感染拡大のため、タイでの調査研究は3年間中断していましたが、改めて文化財に関する調査や研究交流を深めていきたいと思います。

島﨑清海旧蔵資料の受贈

創造美育協会の入会申込書(1952年)
左:ミス・ショウ著、宮武辰夫編『フィンガー・ペインティングについて』(1968年) 右:宮武辰夫『ミス・ショウ著 フインガー・ペインティングについて』(1955年、表紙絵:瑛九)

 島﨑清海(1923~2015)は、戦後の日本美術教育に多大な影響を及ぼした創造美育協会の本部事務局長を長らく務めた美術教育者です。同協会に関する膨大な資料を島﨑は遺しましたが、その一部をご遺族より当研究所へご寄贈いただきました。
 島﨑清海旧蔵資料については、その調査と研究にあたってこられた中村茉貴氏(神奈川県立歴史博物館会計年度任用職員・東京経済大学史料室臨時職員)に令和3(2021)年の文化財情報資料部研究会でご発表いただき、下記のURLでご報告しております。
創造美育協会の活動とアーカイブ―第5回文化財情報資料部研究会の開催 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)
 この度の資料受贈に際しても中村氏が目録を作成し、「「創造美育協会」の活動記録にみる戦後日本の美術教育」と題して『美術研究』439号(令和5(2023)年3月)にその紹介をかねた論考を寄稿されました。この論文でも紹介されておりますように、ご寄贈いただいた資料には創造美育協会が発行したパンフレットや機関誌、島﨑清海宛の書簡、スケジュール帳、日記の類が含まれ、同協会の活動はもちろん、瑛九や久保貞次郎といった美術家、評論家との交流のあとをうかがうことができます。整理のため、公開までしばらくお時間をいただきますが、戦後の日本美術教育史・美術史を研究する上での貴重な資料としてご活用いただければ幸いです。

令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」の開催について

これまでの取り組みに関する報告
会場風景
総合討議の様子

 令和5(2023)年3月7日、令和4年度文化財防災センターシンポジウム「無形文化遺産と防災-被災の経験から考える防災・減災-」が、東京文化財研究所地下セミナー室にて開催されました。このシンポジウムは、文化財防災センターの事業に、東京文化財研究所が共催し実施したものです。

 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災を契機とし、無形文化遺産が復興過程で果たす役割や、またそれらを災害から守る意義に注目が集まったことは広く知られるところです。未曾有の大災害は、確かに無形文化遺産に大きな被害をもたらしました一方、それらが今日まで継承される意義や、地域社会のなかで果たす役割に注目が集まるきっかけともなりました。

 本シンポジウムは、国立文化財機構でのこれまでの取組を整理しつつ、災害による被害を受けた事例を参照し、全国各地で無形文化遺産に関わる皆さんとともに、その成果を発展させていく方策を議論するために企画されました。シンポジウム当日は、行政関係者や大学および専門機関の研究者、無形文化遺産の担い手の方等、87名の方に御参加いただきました。

 午前は、東京文化財研究所と文化財防災センターからそれぞれ、無形文化遺産の防災に関わるこれまでの取組や調査成果を紹介しました。午後は、近年の被災事例として、「等覚寺の松会」(福岡県京都郡苅田町)、「雄勝法印神楽」(宮城県石巻市)、「長浜曳山祭の曳山行事」(滋賀県長浜市)の3事例について、各地域の行政職員や担い手、研究者の方から、災害対応や再開のプロセスに注目した御報告がありました。最後の総合討議では、当日の報告や発表、議論を踏まえ、文化財防災センター事業内で、この課題について議論を重ねられてきた5名の有識者の先生方による総括がありました。

 フロアからも活発な御発言もいただき、今後の防災・減災の方法を具体的に考えるための手がかりが共有される機会となりました。引き続き、文化財防災センターと東京文化財研究所はシンポジウムでの議論を発展させ、両施設で連携を取りながら具体的な対策を提案できるよう取り組んで参ります。

国宝キトラ古墳壁画への埃の堆積を防ぐことを目的とした蓋の設置

蓋の搬入
蓋を設置した様子(東壁)

 四神や獣頭人身十二支像、天文図が極彩色で描かれた国宝キトラ古墳壁画は、古墳内部から取り外した後の修理を経て、現在、奈良県高市郡明日香村に所在する「四神の館」内のキトラ古墳壁画保存管理施設において、壁画面を上にした状態で保管されています。これまで保管室に埃等を持ち込まないようにするため、前室で除塵機を作動することで対策してきましたが、除去しきれずに持ち込まれた埃が壁画上で確認される点については長年の課題でした。埃を除去する際に壁画にダメージを与えてしまうリスクがゼロではないことから、壁画への埃の堆積を防ぐことを目的とした蓋の設置が検討されることとなりました。文化庁、東京文化財研究所、奈良文化財研究所、国宝修理装潢師連盟の関係者で蓋に求める要素について協議したところ、蓋をすることで壁画に悪影響を与えないこと、蓋の取扱いが簡易であること、蓋をした状態でも壁画を視認できること、蓋そのものが埃を引き寄せない素材であることが挙げられ、国の選定保存技術として選定されている表装建具製作の黒田工房(代表:臼井 浩明氏)において、木枠に透明な帯電防止シートを張ったものが蓋として試作されました。蓋をした状態でも蓋の内外で温湿度環境に差異がなく、壁画に悪影響を与える可能性が極めて低いことが令和3年度に確認できたため、強度面で改良を加えた完成品が令和5(2023)年3月24日に納品され、キトラ古墳壁画に蓋を設置しました。
 今後は、蓋を設置した効果の確認を行ない、壁画点検や一般公開、視察時の蓋の取り扱いについて関係者と協議することを予定しています。

20世紀初頭の航空機保存修復のための調査

マイクロスコープによる表面の確認
塗装汚れ除去状況の確認
SfM-MVSによる3D形状記録

 近代の文化遺産は、伝統的な素材や技法によって制作された古来の文化遺産と異なり、それを構成する素材・部材やその製作技法自体が明治以降に日本へもたらされた比較的新しい技術により製作されているものも少なくありません。また、大量生産、大量消費を前提に生み出された近代の工業製品には、そもそも長期的な保存が難しいものも多くあります。保存科学研究センター修復技術研究室では、そのような比較的新しい時代の文化遺産を将来にわたってどう保存していくのかといったことを研究テーマの一つとしています。
 令和5(2023)年3月、当研究室では松井屋酒造資料館(岐阜県富加町)で保管、展示されている1910年代の航空機部材の調査を実施しました。この調査は、令和4(2022)年5月に富加町教育委員会や松井屋酒造資料館等と資料を実見し、協議したことを受け、その保存方法や活用の方向性を検討するために実施したものです。
 この部材は、フランス・サルムソン社モデル2複座偵察機(サルムソン2A2)の水平尾翼で、同社の生産ライセンスを得てフランス国内他社が製造したものと考えられています(横川裕一「松井屋酒造場に遺るサルムソン2A2の機体部品について」『航空ファン』2021年12月号)。大正7(1918)年、日本陸軍は第1次世界大戦の終戦間際に同機を30機購入していますが、松井屋酒造資料館にて保管されている部材は、そのうちの1機に由来するものと推定されています。本部材には表裏全体に塗装が認められますが、どうやらこの塗装は1910年代のオリジナル塗装である可能性が高く、そうだとすれば当時の塗装が残っている世界で唯一の部材である可能性も指摘されています(横川、前掲)。
 この度の調査では、保存修復の可能性やその方法を検討するため、部分的に埃を払い、水等を用いて汚れの除去状況を確認しました。修理技術者のご協力もいただき、当初の塗装が広く残っている可能性が高いことを確認するとともに、具体的なクリーニング方法等を検討しました。
 今回の調査により、クリーニング方法の方向性は確認できましたが、実施にあたっては検討しなければならない点も多く残っています。今後も引き続き、松井屋酒造資料館や富加町教育委員会、関係する皆様とも協力し、当該資料の保存について検討を進めていく予定です。

早川泰弘東京文化財研究所副所長・高妻洋成奈良文化財研究所副所長 退任記念シンポジウム「分析化学の発展がもたらした文化財の新しい世界-色といろいろ-」の開催

シンポジウムのチラシ
早川副所長の基調講演
高妻副所長の基調講演
パネルディスカッションの様子

 近年、分析化学の発展によって文化財の新しい価値が発見されるようになってきました。文化財の科学的な調査研究・保存に長年携わってきた東京文化財研究所の早川泰弘副所長と奈良文化財研究所の高妻洋成副所長が2023年3月に退任されることを記念して、分析化学の発展がもたらした文化財の新しい世界を文化財の最も基本的かつ重要な価値の一つである「色」という切り口から改めて見返してみようという趣旨のシンポジウムを3月4日に開催しました(主催:東京文化財研究所・奈良文化財研究所、共催:日鉄テクノロジー株式会社)。
 当研究所のセミナー室にてシンポジウムを開催しましたが、さらに当研究所と奈良文化財研究所に設けましたサテライト会場におきましても多数の参加者にお集まりいただきました(参加者:69名(当研究所セミナー室)、36名(当研究所サテライト会場)、26名(奈良文化財研究所サテライト会場))。また、今回のシンポジウムではYouTubeによる同時配信を実施しましたが、こちらからも多くの方々に視聴していただきました(視聴者数:約155名)。
 早川副所長による基調講演「日本絵画における白色顔料の変遷」では、これまでの分析調査の結果に基づいた日本絵画に用いられている白色顔料(鉛白、胡粉、白土)の変遷に関する研究成果の紹介が行われました。高妻副所長からの基調講演「領域を超えて」では、文化財の保存科学では自らの専門性を磨きつつ幅広い視野を持ち、お互いに理解をし合いながら研究を行うことの重要性についてご講演をいただきました。また基調講演に加えて、文化財の「色」に関連した7つの研究発表、昼休みには各種分析機器の展示も行われました。そして、講演後のパネルディスカッションでは、文化財の色に関する分析の話題にとどまらず、文化財保存科学の今後の展望にまで及んだ活発な議論が行われました。
 東京文化財研究所、奈良文化財研究所、日鉄テクノロジーのスタッフが専門性や所属の垣根を越えて今回のシンポジウムの企画・準備をすることができましたのは、これまでの両副所長のご指導によるところが多大であり、そしてとても盛会なシンポジウムを開催することができました。

文化財保護法令集に係るオランダおよびドイツでの調査

オランダ文化遺産庁での聞き取り調査
シュレースヴィヒにある考古遺跡ヘーゼビューでの現地調査

 文化遺産国際協力センターでは、平成19(2007)年度から各国の文化財保護に関する法令の収集・翻訳に取り組み、「各国の文化財保護法令集シリーズ」としてこれまでにアジア16カ国やヨーロッパ6カ国を含む27集を刊行してきました。この事業は、わが国による文化遺産保護分野の国際協力やわが国の文化財保護制度の再考に資することを目的としています。これに関連して、令和5(2023)年3月3日~13日に次年度の対象国オランダと当該年度の対象国ドイツでの現地調査を行いました。
 オランダでは近年、土地利用や環境保全の計画に遺産保護を組み込む必要性が議論され、それを受けて従来の関連諸法を統合した新たな環境計画法が2024年1月1日から施行されます。これにより、文化遺産の環境に影響を与える行為に関する許可制度や地方自治体による環境計画策定に関する根拠規定などが設けられることになります。この法改正の背景には、考古遺産に関する1992年のヴァレッタ条約や景観に関する2000年のフィレンツェ条約といった欧州評議会の様々な取り決めがあります。
 一方、ドイツでは記念物に関する立法権は16の州に帰属してそれぞれが独自の保護法をもちますが、保護対象にも若干の違いがみられ、文化的景観に関する規定は3州にしかありません。今回訪れたシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州はその一つですが、実際にはまだ運用されていません。同様の規定は連邦の自然環境保護法にもみられますが、ドイツ政府はフィレンツェ条約にまだ署名しておらず、これについては国内で色々と議論があるようです。
 この条約の目的の一つは、多様な歴史・文化・自然が織りなすヨーロッパの「かたち」を表現する景観をEU加盟国共通の遺産と認識し、これを適切に保護することにあります。もとより景観保護は、気候変動への対応や持続可能性の実現など一国だけでは解決できない地球規模の課題と深く結びついています。今後の調査研究では法律の翻訳作業にとどまらず、文化財とそれを取り巻く包括的な枠組みとの間にどのような有機的関係が存在するのかを具体的に解明していくことが一層重要になると考えています。

イストリア地方における壁画保存に向けた共同研究に関する事前調査

聖ニコラス教会
スクリルジナの聖マリア教会

 クロアチアの北西部に位置するイストリア地方は、スロベニア、イタリアを含む3か国の国境が密集しており、古代ではローマ帝国、中世ではヴェネツィア共和国、近世ではハプスブルク帝国とたびたび支配者が替わってきた歴史があります。
 この地域では、中世からルネサンス期にかけて教会に壁画を描く文化が花開き、数多くの作品が誕生しました。しかし、それらの保存について注意が向けられるようになったのは19世紀後半と遅く、オーストリア=ハンガリー帝国の文化遺産管理局の活動がきっかけでした。その後、20世紀に入り大戦や紛争の時を経て、1995年以降にようやく落ち着きを取り戻すと、クロアチア共和国政府によって文化財のための保存研究所が設立されます。この研究所とイストリア考古学博物館による共同調査が始まるに至って、この地域に特有の壁画の総称として「イストリア様式の壁画」という言葉が誕生しました。
 令和5(2023)年3月1日から7日にかけて、イストリア歴史海事博物館のスンチツァ・ムスタチ博士やザグレブ大学のネヴァ・ポロシュキ准教授の協力のもと、イストリア地方の主要な教会約20箇所を訪問し、壁画に関する実地調査を行いました。その過程で、制作技法や保存状態に関するデータアーカイブの作成や、今後に向けた保存修復方法の検討などについての技術的協力が求められました。イストリア地方には、確認されているだけでも約150件にも及ぶ教会壁画が現存しています。このかけがえのない文化遺産を未来の世代に引き継ぐためにも、関連する分野の専門家とネットワークを構築しながら、国際協働の確立に向けて取り組んでいきます。

第17回無形民俗文化財研究協議会「文化財としての食文化―無形民俗文化財の新たな広がり」の開催

総合討議の様子

 令和5(2023)年2月1日、第17回無形民俗文化財研究協議会「文化財としての食文化―無形民俗文化財の新たな広がり」が開催されました。新型コロナウイルスの影響が続くなか、行政担当者に対象を絞ったセミ・クローズドの会として、所内外から約90名の参加を得、様々な立場から食の保護の実践をされてきた方々から取り組みの報告や討議をいただきました。
 2013年にユネスコ無形文化遺産代表一覧表に「和食」が記載されて以降、食に対する社会の関心は年々高まっています。しかし「文化財としての食文化」については、令和3(2021)年の文化財保護法改正を契機に保護の取り組みが始まったばかりであり、その対象範囲をどう捉え、どのように保護(保存・活用)していくかについてはさらなる議論の蓄積が必要とされています。そこで今回の協議会では「文化財としての食文化」をめぐる様々な課題を共有し、その可能性を議論することを目的としました。
 食は誰もが実践者・当事者であることから、時代・地域・家ごとの著しい多様性・変容性がみられます。それは食の大きな魅力である一方で、文化財として保護していく上では典型や保護の主体を定めにくいといった難しさがあります。また販売することによって地域活性化につながるなど「活用」と相性のよい側面を持つ一方、商品化や流通によっておこる変化・変容をどう評価するのか等、活用と保護のバランスをとることが課題のひとつとなります。さらに、食文化振興については、農林水産省などの関連省庁や民間団体・企業など、すでに多様な関係者が多くの取り組みを実践しており、先行する取り組みとどう連携していくのか、またあえて文化財行政として食文化に関わる意義をどこに見出していくのか等も重要な課題です。
 総合討議ではこうした食文化特有の課題に対して、子どもたちへの食育の大切さや、作るだけでなく食べる行為や食材、道具なども併せて守っていかなければならないこと、商業としての食と家庭における食が両輪として機能してきたことなど、様々な意見・見解が示されました。また、文化財分野として新たに食文化の保護・振興に取り組む意義として、味がおいしい・見た目が美しいなどの「売れる」食、「える」食という観点からではなく、その地域の暮らしや歴史を反映している食文化を対象としうること、そしてその保護を図ることができるところに、大きな意義と、果たすべき役割があるのではないかという視点が示されました。
 無形文化遺産部では今後も、食文化関連の動向を注視していきたいと考えています。協議会の全内容は3月末に報告書にまとめ、無形文化遺産部のホームページでも公開しています。

文化財活用センターと協働で実演記録「平家」第五回を実施

 継承者がわずかとなり伝承が危ぶまれている「平家」(「平家琵琶」とも)について、無形文化遺産部では、平成30(2018)年より「平家語り研究会」(主宰:薦田治子武蔵野音楽大学教授、メンバー:菊央雄司氏、田中奈央一氏、日吉章吾氏)の協力を得て、記録撮影を進めています。第五回は、令和4(2023)年2月3日、東京文化財研究所 実演記録室で《那須与一》と《宇治川》の撮影を実施しました。
 《那須与一》は、那須与一が扇の的を射落として源頼朝から功績を認められたエピソードが有名で、この場面は絵画にもしばしば描かれてきました。そこで今回は新たな試みとして、高精細複製による文化財の活用を推進している、独立行政法人 国立文化財機構 文化財活用センターとの協働で、「平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風(高精細複製品)」を演奏者の後ろに設置して撮影しました。《宇治川》は、宇治川を前にして繰り広げられる佐々木高綱と梶原景季の勇壮な先陣争いがテーマです。今回の実演記録では、《那須与一》を菊央氏(前半)と日吉氏(後半)、《宇治川》を田中氏の演奏で記録撮影しました。
 伝統芸能である「平家」にルーツを持ち、文学作品としての「平家物語」、さらに絵画などの題材へと展開する文化の広がりが伝わるような発信を、今後とも応用・工夫していきます。

「平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風(高精細複製品)」の前で《那須与一》演奏する菊央雄司氏(左)、高精細複製品部分拡大図(右)

南九州市における近代文化遺産の調査

「疾風」調査の様子
空気質調査の様子
旧知覧飛行場給水塔撮影の様子
旧青戸飛行場トーチカ調査の様子

 令和4(2022)年7月、東京文化財研究所は南九州市と「南九州市指定文化財等の保存修復に関する覚書」を締結し、共同研究に着手していたところですが(https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/995996.html)、令和5(2023)年2月に南九州市にて以下の調査、記録を行いました。

旧日本陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」の保存、修復に関する調査・助言
 知覧特攻平和会館にて保管、展示されている「疾風」(南九州市指定文化財)は、戦時中にフィリピンにて米軍に鹵獲(ろかく)された機体で、現存する唯一の機体と考えられています。米軍によるテスト飛行の後、払い下げとなり、複数の所有者の手を経たのち、昭和48(1973)年に日本へ帰国、日本国内で複数の所有者を経て、平成7(1995)年に知覧町(現・南九州市)の所有となり平成9(1997)年から知覧特攻平和会館にて展示公開されています。
 平成29(2017)年から南九州市による保存状態調査が行われ、平成30(2018)年からは当研究所も調査に加わっています。全体として機体の保存状態は良好ですが、戦後の試験飛行、展示飛行等に伴うと考えられるパーツの消耗や交換も認められることから、オリジナル部材の残存状況の確認、修復方針の検討等を継続して行っています。今回の調査では、主にエンジンを対象とし、オリジナル部材の確認、エンジン内部やオイルタンク内の状況確認等を実施しました。機体から取り外した部材の一部は当研究所でお預かりし、クリーニングや成分分析等を行っています。
 なお、調査は展示室内で行っていますが、調査期間中も当該展示室は閉鎖せず、来館者にも調査風景を見学いただけるようになっています。また、令和4(2022)年3月には保存状態調査の報告書も刊行されています(知覧特攻平和会館編2022『陸軍四式戦闘機「疾風(1446号機)」保存状態調査報告書Ⅰ』 https://www.chiran-tokkou.jp/informations/2022/04/4.html)。

知覧特攻平和会館展示室、収蔵庫の空気質調査
 今回、「疾風」の調査にあわせて、展示室および収蔵庫の空気質調査(有機酸、アルデヒド、揮発性有機化合物[VOC]の調査)を行いました。今後、調査結果をもとに、より安定した展示・収蔵環境を検討する予定です。

南九州市内所在のアジア・太平洋戦争期コンクリート構造物の現状記録
 南九州市内には旧知覧飛行場に関する文化財をはじめ、アジア・太平洋戦争期に作られた多くの遺構〈戦争遺跡〉が残っています。それらの多くはコンクリート製の構造物ですが、終戦から80年近くが経過した現在、劣化が進み、破片の剥落が認められるものも少なくありません。今回、市内の当該期コンクリート構造物として旧知覧飛行場給水塔(市指定文化財)、旧青戸飛行場のトーチカ(防御陣地)2基について、実測、フォトグラメトリ(複数の写真から三次元モデルを作成する技法)による現状記録を行いました。今後、定期的な記録により劣化の進行を分析するとともに、コンクリート強度の測定等も検討いたします。

ウルビーノ大学カルロボー 基礎応用科学部との協力合意書の締結

カルカッニーニ学長表敬訪問
学内施設の様子

 イタリアは数多くの文化遺産を有し、その保存修復においても世界を牽引してきました。そんな同国の保存科学分野の中でも幾多の業績を挙げてきたのがウルビーノ大学カルロボー 基礎応用科学部です。このたび、東京文化財研究所では、同部との間で文化遺産の保存修復に係る研究協力に関する合意書を締結しました。その内容は包括的なもので、世界各地の文化財を対象に保存修復計画策定に向けた科学分析調査や保存修復技法・材料の開発で協力するとともに、ワークショップ等を通じて研究者の相互交流を図ることなどを想定しています。
 令和5(2023)年2月17日に同大学を訪問し、ジョルジョ・カルカッニーニ学長と今後の協力関係について意見交換を行いました。また、基礎応用科学部のマリア・レティッツィア・アマドーリ教授案内のもと学内施設を見学し、目下取り組まれている文化遺産保存に向けた分析調査についての説明を受けました。
今後、両機関の専門性を活かした研究協力を通じて、単なる分析データの収集といったレベルに留まることなく、具体的な文化遺産の保存へと繋がる活動を展開していきたいと考えています。

イタリアにおける震災復興活動に関する調査

収蔵中の被災文化財
応急処置の様子

 東京文化財研究所では、平成29(2017)年よりトルコ共和国において文化財の保存管理体制改善に向けた協力事業を続けてきました。令和5(2023)年2月6日、トルコ南東部を震源とする地震が発生し、同国及びシリア・アラブ共和国を中心に甚大な被害が発生し、文化遺産の保存状態にも影響が出ています。当面は人道支援を優先すべきでしょうが、近い将来、文化財の保存修復分野においても国際的な支援が必要とされることが予測されます。
 一方、中部イタリアでは、1997年、2009年、2016年と立て続けに大地震が発生し、被災した文化遺産の復興活動が今なお続けられています。同様の文化遺産を有するトルコやシリアへの今後の支援検討に活かすとともに、今後起こりうる不測の事態にどう対処すべきかを学ぶため、令和5(2023)年2月13日から16日にかけてマルケ州とウンブリア州で調査を実施しました。スポレート市に所在するサント・キオード美術品収蔵庫は、自然災害発生時の文化財の避難先、また、応急処置を行うための場として1997年の震災後に建設された施設です。現在も約7000点に及ぶ被災文化財が収蔵され、国家資格をもつ保存修復士によって応急処置が進められていました。
 イタリアでは、度重なる経験を経て、被災直後のレスキュー活動からその後の対処に至るまでの組織体制や手順が整えられてきました。こうした文化財分野に係る震災からの復旧・復興活動において先進的な取組みを続ける国から学ぶべきことは多くあります。さらに調査を続けながら、今後の活動に役立てていきたいと思います。

文化遺産国際協力コンソーシアム第32回研究会「中央ヨーロッパにおける文化遺産国際協力のこれまでとこれから」の開催

第32回研究会の案内チラシ
第32回研究会の様子

 文化遺産国際協力コンソーシアム(東京文化財研究所が文化庁より事務局運営を受託)は、令和5(2023)年1月28日に第32回研究会「中央ヨーロッパにおける文化遺産国際協力のこれまでとこれから」をウェビナーにて開催しました。
 ロシアのウクライナ侵攻によって大きな被害を受けている文化遺産に対する国際協力を考える上では、同国が位置する地域の地理的・文化的な特徴を知り、歴史背景にも十分に配慮する必要があります。このような観点から、ウクライナを含む中東欧や南東欧地域について学ぶとともに、同地域の文化遺産に関する日本の国際協力活動を振り返り、さらに今後の協力のあり方について考えることを目的としました。
 篠原琢氏(東京外国語大学)が「中央ヨーロッパという歴史的世界」、前田康記(文化遺産国際協力コンソーシアム)が「中央ヨーロッパに対する国際支援と日本の国際協力」、嶋田紗千氏(実践女子大学)が「セルビアの文化遺産保護と国際協力」、三宅理一氏(東京理科大学)が「ルーマニアの歴史文化遺産とその保護をめぐって」のタイトルで、それぞれ報告しました。
 これらの講演を受け、金原保夫氏(文化遺産国際協力コンソーシアム欧州分科会長、東海大学)のモデレートのもと、講演者を交えて行われたパネルディスカッションでは、相互理解に立脚した国際協力の重要性や、持続的な文化遺産保護に結びつけるための現地人材育成や組織体制づくり支援の必要性などが指摘され、活発な意見が交わされました。本研究会の詳細については、下記コンソーシアムのウェブページをご覧ください。
https://www.jcic-heritage.jp/news/32nd-seminar-report/

バハレーンにおける歴史的なイスラーム墓碑の3次元計測

バハレーン国立博物館での調査

 東京文化財研究所は長年にわたり、バハレーンの古墳群の発掘調査や史跡整備に協力してきました。令和4(2022)年7月に現地を訪問してバハレーン国立博物館のサルマン・アル・マハリ館長と面談を行った際に、モスクや墓地に残されている歴史的なイスラーム墓碑の保護に協力してほしいとの要請がありました。現在、同国内には約150基の歴史的なイスラーム墓碑が残されていますが、塩害などにより劣化が進行しています。
 この要請に応えた新たな協力活動の第一歩として、令和5(2023)年2月11日から16日にかけて、バハレーン国立博物館とアル・ハミース・モスク(Al-Khamis Mosque)所蔵の墓碑を3次元計測しました。写真から3Dモデルを作成する技術であるSfM-MVS(Structure-from-Motion/Multi-View-Stereo)を用いた写真測量を行い、バハレーン国立博物館所蔵の20基、アル・ハミース・モスク所蔵の27基の計測を完了しました。石灰岩で作られた墓碑は写真測量との相性が良く、作成した3Dモデルからは写真や肉眼で見るよりもはるかに明瞭に墓碑に彫られた碑文を視認することができます。これらのモデルは、今後、広く国内外からアクセスできるプラットフォームに公開し、墓碑のデータベースとして活用していきます。
 来年度以降、さらにバハレーン国内の他の墓地にも対象を広げて3次元計測作業を進めていく予定です。

年史編纂資料の研究活用に向けた記述編成―東文研史資料を例として―第8回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子
資料展示の様子

 東京文化財研究所は、平成20(2008)年〜平成22(2010)年に『東京文化財研究所七十五年史』を刊行しています。この「資料編」と「本文編」の2冊から成る年史を編纂するために収集・作成された文書類を中心とする資料群は、当研究所の活動を語る上で欠かせない歴史資料です。文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室では、これらを「東京文化財研究所年史資料」として、目録作成を進めています。
 アーキビストの仕事の1つに、利用者が資料を使えるよう、また将来にわたって資料を保存するために、記述と編成によって資料群を整理する過程があります。記述により、資料の詳細や構成要素を説明し、分析、記録、データ化が行われます。一方、資料の出所や元の順序を尊重し、その文脈を保護し、資料をモノと情報の側面から整理するのが編成です。こうして、資料検索および利用のためのデータが作成されます。
 令和5(2023)年1月31日にオンラインを併用して開催された表題の研究会では、同部研究補佐員・田村彩子がアーカイブズの資料整理について発表しました。国際文書館評議会が定める「国際標準アーカイブズ記述」第2版を用い、年史編纂資料を研究活用に資するための記述編成を考察するとともに、今回新たに発見された資料が紹介されました。会場には一部の資料が展示され、参加者が資料実物を手に取る機会も設けられました。
 同部同室長・橘川英規の司会のもと、かつての七十五年史編集委員にもご参加いただき、同書編纂における編集委員会の沿革や役割などを伺いながら、資料群を活用した新たな研究の可能性について、また現行の研究プロジェクトの記録の保存とその継承の重要性について、活発な意見交換が行われました。「東京文化財研究所年史資料」は今春の公開を予定しています。

書庫改修の完了

電動式書架設置の様子
竣工した電動式書架

 東京文化財研究所では、各研究部門(文化財情報資料部、無形文化遺産部、保存科学研究センター、文化遺産国際協力センター)が収集してきた図書・写真等資料などを、おもに資料閲覧室と書庫で保管し、資料閲覧室を週3日開室し、外部の研究者に対しても閲覧提供しております。
 当研究所が平成12(2000)年に現在の庁舎に移転してから23年ほど経過し、その研究活動のなかで図書・写真等資料は日々収集され、近年では旧職員や関係者のアーカイブズ(文書)をご寄贈いただく機会も増えました。そのように所蔵資料が充実していく一方、遠くない将来、書庫や資料閲覧室の書架が資料で飽和状態となるとの見通しもありました。この状況に対して、この度、「調査研究機器の計画的整備」の枠組みの一環として「資料閲覧室の書架整備」の工事を行いました。
 今回の工事は、庁舎2階書庫の床面積1/4弱のスペースに設置されていた固定式書架を、電動式書架に取り替えるものでした。令和5(2023)年1月10日に着工し、書籍の搬出、固定式書架の撤去、電動式書架用レールの敷設、電動式書架の設置、書籍の再配架という工程を経て、同月31日に完了いたしました。固定式書架5台(612段、書架延長526m)が設置してあったスペースに、新たに電動式書架9台(1,248段、書架延長1,073m)を設置したことで、その収容能力はおよそ2倍となりました。
 工事期間中、外部公開を一時停止したことにより、資料閲覧室の利用者のみなさまには、ご不便をお掛けいたしましたことをお詫び申し上げます。今回の書庫整備による効果を踏まえて、引き続き、文化財研究・保存に資する専門性の高い資料を継続的に収集し、後世に遺し、有効に活用していくための活動を展開してまいります。今後とも、当研究所の文化財アーカイブズを、みなさまの活動にご活用いただけましたら幸いに存じます。

中井宗太郎「国展を顧みて」を読む―第7回文化財情報資料部研究会の開催

研究会発表の様子
『中央美術』第11巻1号(大正14年1月)に掲載された中井宗太郎「国展を顧みて」

 大正7(1918)年、土田麦僊や村上華岳らによって京都で発足した国画創作協会は、大正時代の日本画における大きな革新運動のひとつとして知られています。その活動を思想的に支えたのが、京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)で美術史を講じていた中井宗太郎(1879~1966)でした。中井は国画創作協会に鑑査顧問として参加し、新聞や美術雑誌で同協会の方針や展覧会(国展)の批評を述べています。
 12月23日に開催された文化財情報資料部研究会では、そうした中井の言説の中から、大正14年1月刊行の『中央美術』第11巻1号に発表された「国展を顧みて」に焦点を当てて、塩谷が発表を行ないました。この「国展を顧みて」は、大正13年から翌年にかけて東京と京都で開催された第4回国展を受けて、中井が国画創作協会、そして日本画の進むべき方向を示した一文です。その中で中井は日本画の独自性を論じ、伝統や古典に対する認識を促していますが、そこには大正11年から翌年にかけての渡欧で直面した、西洋美術における古典回帰の潮流が念頭にあったものと思われます。大正時代末から“新古典主義”と称される端正な日本画が一世を風靡するようになりますが、中井の「国展を顧みて」にみられる論調は、そのような動向を予兆するものであったといえるでしょう。
 本研究会には所外から田中修二氏(大分大学)、田野葉月氏(滋賀県立美術館)のお二方にコメンテーターとしてオンラインでご参加いただき、発表後のディスカッションで京都画壇や中井宗太郎についてご教示いただきました。また所外のその他の日本近代美術の研究者も交えて話題は中井の言説や日本画にとどまることなく、大正末~昭和初期の美術の様相をめぐって長時間にわたり意見や情報を交わしました。

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