白馬会展覧会を観て(三)

  • アイ生
  • 東京毎日新聞
  • 1910(明治43)/05/23
  • 1
  • 展評

△小林(鐘吉)氏、岡野氏も数点の佳作がある、特に小林氏のおだやかに暮れ行く海の小幅、又は曇りの海の空のたゝすまゐ等、氏が常に天候の変化し行く微妙の点を捉へんと苦心し、殆ど成功せんとするものがある岡野氏は其の色彩に於て一段の進歩がある、両氏及び中沢跡見山本三氏所謂日本名勝写生紀行の五氏を通じて、一種重々しき意味でなき共通の点あるを認める事が出来る無論各自が一家の主張は全く別であるが、此の五氏を一列に被ひかぶせる軽いふうわりとした趣が見へるのは面白い現象だ
△和田氏に出品なく、岡田氏二三点、甚だ物足らない、新帰朝の湯浅氏、藤島氏共に多くの出品がある、湯浅氏の例の大幅の模写は多謝すべく、藤島氏の作物は、独逸風とも云ふべき日本に新き手法を見せて呉れたと云ひ得る
△黒田氏の作は何時見ても嬉しい、温い感を起させるものが必ずある、其の一は裸体の女両三草原にある、大作の構図か知らぬが、緑と人体の調和の巧は敬服すべきである、庭園の雪景に見る眼を驚かすは、云ひ能はぬ距離の感じである、かゝる絵に対して始めて芸術的観念の鋭敏なる真の大家と云ふ感を禁じ得ない
△以上は一瞥の所感である、此く多くの出品があり乍ら場内に、観客の爲めに休息所の設けがなかつたので、目も頭も、第一足が甚だ疲労を覚へた、館を出てベンチに倚ると、翠色あざやかに日光温く心地が非常によい、日本画の展覧会に見るが如き売らん哉主義のいやしいものが少なく、自然に対して燃ゆるが如き胸底の感想を一筆々々とカンヴアスに落し行く様が偲ばれる、かゝる真面目の作と進歩の跡歴々たるとを見て大いに頼もしい感じを禁じ得なかつた(完)

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