白馬会の絵画(上)

  • 都新聞
  • 1909(明治42)/05/02
  • 1
  • 展評

(五月十日迄―溜池三会堂)
文部省の展覧会が設けられて以来、各私設展覧会には所謂展覧会向きとも云ふべき容量の大を誇るものが少くなつて、 即興的若くは研究的のものが多く現はるゝやうになつたが、此会にも亦此現象が見える、これは自然の結果として斯く成り行くべきものであらう。
此現象に次で、此会には又多数の新進作家を紹介されてあるのを見受る、近 来美術隆盛の爲め何れの展覧会にも新進の人を紹介されぬ ことはないが、此会には分けて其れが多い、これは此会、換言すれば洋画が今 の青年に歓迎されてゐることを示すものであらう。
出品の傾向に就ては截 然として二様の区別があるのを認むる、一は洋画の異邦的繋縛を脱して 日本的に同化せんとするもの、一は海外の手法を伝へて其侭に発達 せしめんとするもの、而して前者を代表するのは中沢、山本、小林、岡野、跡見等の諸氏である。
洋画は早晩日本化すべき運命を有つてゐる、内 外の例を援く迄もなく、外国の絵画を取つて其侭に移植 せんとした所で歴史境遇を異にしてゐるものに適応さるべきものでない、殊に今の如 く自意識の強い日本人に決して同感さるべきものではない、東洋画家が 過去に囚はるゝを難ずべきであると同じく洋画家が外国に囚はるゝのは戒 むべきことである、日本的絵画―方法を外国に学んで自箇の感想、自箇 の自然を表示する、其れが日本人としての洋画家の任務であらう、此立ち場よりして記者は中沢氏等の企図を最も正當にして且つ最も栄 えあることゝ信じてゐる。

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