白馬会を評す(三)

  • 東京二六新聞
  • 1909(明治42)/05/10
  • 4
  • 展評

第三室
○中野栄蔵氏の諸作。就中漁村といふのは作者が最初配整す可き色 を定めて、然る後自然に臨んで作り上げたるかのやうな絵である。其色の 配整たるや草ざう紙の表紙の如く斑らで且綺麗であるが、自然の太陽に射られ、自然の空気に包まれた漁村の一角をこの絵に見る事は出来 ないのである
○和田英作氏の肖像。かう云ふ絵で批評の対象となるは主として色と筆勢 とであらう。その方面では氏は現時の大家である。
○長原孝太郎氏のの(一二二)プリムロオズ、百合花(一一 三)、この二つは、共に好ましい絵だ。殊に前者の草の茎などのタツチは巧いと 思ふ。是等の絵を審査員が斥けかけたと云ふ朝日新聞の報道は、無 邪気な誤報でなければ吃度為めにする所ある中傷であつたらう。スケツチの好きな白馬会 審査員は決してかゝる絵を見落す筈はない。
○岡田三郎助氏の諸作。僕は岡田氏のテムペラメントを尊敬する一人である。それは実に氏の描く女の指先の色の如くインチメエトだ。例之ば(一一七)の雪景に於ても此絵の雪は決して堅く鋭く冷い水の結晶ではなくて、地の底に潜んで居る草の芽をかばふかの如 く柔かに且つ温い。自然は実に氏に向つては新陳代謝を司る頑強な悪魔ではなく凡ての人の心を温むる慈母の如く見 えるのである。氏の雪の色もコバルト色でも、紫でもなく明るい灰色である。その対照として取られた色も古いペンキ塗の西洋館の黄ばんだ緑色だ。であるから又 た氏の諸肖像画に現はれる人物の表情もまた同様に温雅で且 なつかしげである。強い光、烈い対照は従つてまた氏の避くる所であ る。去年の文部省展覧会に出品した落日の絵も、亦其主調は強度を弱くした黄金色であつた。今度の(一二0)のあざみと題せられた肖像画も 弱い光の下に、いろいろの緑色のニユアンスが例のやはらかいタツチで以て細心に画 き分けられてある。
○山形駒太郎氏の河口、東京の河の生活は、東京の絵画的材料として興味あるものゝ一つである。併し此絵では唯作者があゝいふ景色にも 同情があると云ふ事を示す丈で、何ういふ所を狙つて画たかは不明である。且色やデツサンが怪しいやうに思はれる。併し、氏が自然の形態的、絵 画的方面に向つて較広いい趣味を持つてゐるといふ事は、今度の会に出品した作品の画題の比較的多様である事で分る。唯氏の テムペラメント及び主情調は未是等の絵に明瞭に現はれてゐない。

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