白馬会のぞ記(下)

  • 中央新聞
  • 1909(明治42)/05/04
  • 1
  • 展評

岡野栄君は元来波の作物が多く又波の描写に就て最も多く研究もし工夫もし従つて異彩を放てる様であるが今度も五枚の出品中波に縁のあるものが四枚ある、「納涼」(二百円)は人物が主眼で波は遠く見せたに過ぎないが「寄する波」「曇の波」「暴れる波」は何れも面白い、人物よりも寧ろ自然界の殊に海洋に就て筆者の手腕が窺はれる、小林鐘吉氏の「雨後の蘆の湖」は大に嬉しかつた殊に雲の具合が気に入つた、「蘆の湖の雪」は悪くはないが寒山空林の感が足らぬ、跡見泰氏の「稲村」「冬の日」何れも良い、なかなか落付いた筆緻だ、記者は常に同氏の秋冬の色彩に敬服する、橋本邦助氏のは「朝の山」が主な作、第五室に入ると山本森之助氏のが目につく、「雲」、「多摩の上流」、「海」、「夏の雲」「富士」「あしたか山遠望」等沢山あるが何れも小品、矢崎千代治氏のは此間交詢社の展覧会に出したのが三枚出てゐる、エルベの河の雨は其の時も良いと思つたが矢張り良い、大陸で書いた画は何うも色彩が違ふ、云ふ可からざる含蓄がある様に思はれる、村上喜平氏の「裸の女」(二百円)は可なりに行つてる、中沢弘光君の「日ざかり」は確かに呼び物の一であらうが、感じの極めて強い爲めに頭痛を起した人もあつたさうな、「首夏」は見るべき作である、其の他「雄鹿の海辺」「大洗の海岸」「うす日」「谷に残れる紅葉」「差し来る潮」「浪の泡」「江尻の富士」「春の雪」等何れも氏の熱心と勉強と旅行好と自然の描写に付て特殊の才筆あるを示して居る、参考品として正面に掲げられている「弾手」は場内唯一の呼物でラフアエル、コランの筆男爵岩崎小弥太氏の秘蔵であるから極めて有りがたきものである、邦人の筆に成る幾多の油画を見て最後に之に対すると云ふべからざる格段の差異を感じ筆者に対する敬服の念を起さずには居られぬ、総ての入場者が見落さんことを恐るゝ黒田清輝氏の油画の十一点も一所に出て居るのは甚だ嬉しい然し「夕日の紅葉」「炎天の山辺」「小雨ふる日」「荒れ後の海浜」等皆小品で大作のないのは少しく遺憾である。

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