白馬会展覧会

  • 荻原碌堂
  • 国民新聞
  • 1909(明治42)/04/25
  • 1
  • 展評

△すべて団体には団体の特色があるものだが、白馬会には殊に之が著 しいと思ふ。大体の上から言ふと、或る一種の方式が殊に色の上に 慣用されてゐるやうに思はれる。趣味の一致と云つて了へばそれまでの事であるが、研究の上にも発展の上にも之は少からぬ弊害を与へるものだと信ずる。例 へばミケランジエロが出ると天下靡然として彼のゴツゴツした表皮のみを追うてレオナードの所謂胡桃を袋に入れた様なものが頻りに持てはやされると云ふ有様で、昔も今も変らぬことであるが、如何にも見識の無い話しである。
△白馬会の総大将とも見るべき黒田清輝氏は今度も十数点最もスケツチ的の小さい物ばかりである が、どことなく品のよい所がある。厳粛とか壮美とか云ふ方面には欠乏してゐる が、優美にして洒落な、一口で云へばイキな処に特長がある。見て心持 のよい画である。併し今の日本は此の方面のみで満足する事は出来まい。 何も時流に媚びて云ふわけではないが、今少しく現代的懊悩の血の通つ た作品に接し度い。然るに白馬会は此の要求に対して殆んど全く無関係である。彼等の大部分は此の黒田氏の短所とも見るべき薄 い、軽い、白ツぽい、弱々しい調子のみを受け継いで、其他の方面をば 全く閑却してゐるやうに思はれる。
△総じて我国の大家先生等は欧米の人に比べて其の寿命が短い。一度大家になるともう真面目な研究 などはしなくなつてアーチストとしての価値はだんだんに落ちて行くやうに思はれる。殊に當年の秀才和田英作、岡田三郎助二氏の如きは殊に此感が甚しい。
△和田君の婦人の肖像の前に立 つて吾輩はどうしても温い血の通うた人間とは判断することが出来なかつ た。筆使ひは流石に器用であるが、テクニツクの論は此処で無用と思ふ。吾輩は先づ第一に「人間」を要求する。岡田君の肖像三枚も之と殆んど同格で ある。幾ら贔屓目に見ても若い血のある生々した女とは見えぬ。実在で なくて物の影の様な感じである。
△まだ目録も出来てゐなかつたが、確か柳敬助君の作 と思はれる二枚のスタヂーが出てゐた。之は同会を通じて傑出した物 と思ふ。吾輩の鑑定が違はねば、之は多分紐育での研究であらうと思 はれる。男の肖像の方が初期だけに忠実な行き方であるが、女の方 は余程後れてロバートヘンライの感化を受けてると見えて非常な進境を示してゐる。入場して二分間と吾輩の足を止めたのは此作品丈である。
△此頃は人物画は面倒なだけに風景画の方に赴く人が多い 傾向がある。それも極めてざつとしたスケツチが大部分を占めてゐる。橋本邦助、太田三郎、中沢弘光諸氏の如きも大きい作よりはスケツチ風のものに見るべき点がある。大きい作は随分まづいのがある。中沢君は頻りと日光を受けてる処を試みられてゐるが、まだまだ弱い。ア ンリ、マルタンなどの行き方はどうしてどうしてあんな話ではない。
△最も詩的の行き方は山 本森之助氏である。俗気のないおもしろいのが多い。久しく外国にゐた出口、矢崎両氏の作品 が数点あるが、巧拙は別として、向うでやつて来ただけに目先が違つてゐ る。
△裸体は二枚しか出てゐない。矢田部氏の半身の女などは随分怪しいものだ。
△水彩では三宅克巳氏のが一番いゝ。大きいのでは「木下蔭」は余り緑が勝 ち過ぎてゐる。物の部分を細密に出す爲に大体を傷けてゐる点が見 える。小さい作で仲々面白いのがある。通じて落付いた心持が出てゐ る。之が我輩の感興を引いた。

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