白馬会の評判(一)

  • 白衣子
  • 国民新聞
  • 1907(明治40)/10/22
  • 6
  • 展評

東京勧業博覧会跡の正門に赤と白との広告が目立つてゐる 一つは国香会の女子展覧会で一つは白馬会の油絵水彩の展覧会だ、例に依つて織るが如き群衆の中を分けて見に行くのであるから特 に気の付いた分だけを云ふと「悲白頭」(五島健三)は何か事実でも有り相な鏡の蓋 の三升と老人の袖の三升の紋とは一見して兎に角役者の成れ の果と首肯れるが余り画に拵らへ様とした痕が有る殊に老人の着 てゐる袷に対して盛夏に咲く筈の百合花は少し時候違ひでは無 からうか何とか古臭くとも尾花でもつかつたら何だ其れから肩のあたりの藍色が少 し寒くてこなれぬのと顔の左半面が背景との境が堅過るのと右の膝 が赤い布にめり込んでわからぬのと鏡の柄が手の色とまぎらはしいのは注意が足 らぬ為だらうが然し此様云ふ表情的のものに大膽に手をつけた所が好 い手などの描法は忠実なものだ
「初秋」(亀山克巳)は初秋よりは夏を思ひ出さする山間の高地に日光が射して其の他の山にも何所にも日が射らぬのも不思議だ山と空の境はブリキの様に堅く近景の赤い花は何 の為に描いたのか忠実な写生と云ふならば外の大部分に最う少し念を入れて貰ひ度い今の見物は最う二三年前の中学生では無 いぞ
「仮装」(安斉斎豊吉)額縁と云ひ女の姿勢と云ひ背景の薄墨色と 云ひ一昔も前に流行した百美人の写真を思ひ出させる代物だ紫の色も落付きが無く画と云ふ事を考へずに描いた様だ
「葉柳」(大谷 浩)は柳が全く画題に相応しない殊に葉柳の門標巡査黒川甚五郎と描いたのは其の意気や賞す可し其の衒気や卑む可し雑誌の挿画でも有るまいし有つて画に足しにならぬものは無い方が好からうぢやないか
「日向ぼ つこ」(蒲生俊武)は光線の面白味は有るが全体に力の用ひ方が同じで 然かも画面に四分の惰気がある猫が少々難だ
「富士山」(薄拙太郎)は空が堅 くて瀬戸物の様だ深林に深さが無く草の色も木の色も一色に見過 ぎて画が大きい丈に如何にも寂しい一尺や二尺の画ならばそれでも人 は気が付かぬが三尺以上で此の筆法で見ては直ぐ飽きて了ふ其に晴 れた日の様で有るが何所にも日が射つたらしい所も無いが本気で描い てゐる丈けが取柄だ
「村社」(高木誠一)は不思議極まつたものだ感じも悪く無い絵で有 るが或は未成品かも知れぬ同人の「コロンビアの雪村」は遠景が殊に好 い「夕雲」は大作だが惜しい事には日出の短時間に描く画で有るから感じた丈が筆に出て居ない「苔道」を描いた技倆が有りながら大作で失敗したのは写生し得ざるものをねらつたからで有らう

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