白馬会短評

  • 東京朝日新聞
  • 1905(明治38)/10/08
  • 7
  • 展評

月日の経つは迅いもの三ツ児と思つた白馬会が早十周年の紀念展覧会 を開くといふので生れ立ちからお馴染の我等は一入懐かしく思つて■を上野公園に曳いた
太平洋画会のローランス派と白馬会の コラン派とは現時我洋画界の二大勢力も大袈裟だが二個の新勢力 であつて相対して下らざる両者の主張が今日の洋画界に兎も角も活気を添えて居る
表構を華美にするのが近頃の展覧会の流 行風であるが今度の白馬会は草色のペンキ塗で至極清楚の趣致がある其上入口南側に常磐木の関台十余個を並べたのも好趣向だ出品の陳列方も大に整つて居る、新作画の少いのは遺憾だが紀念画は能く集まつて居て十年来進歩の跡を考ふれば中々に 趣味を感ずるのである其旧作中に見覚えのある画もあつて十年旧知の友に逢 つた心地がする、併し茲に記すのは新作ばかりの短評です
是は新作か何うか知らんが中央の室の其又中央に衆星中の北斗の如 く燦然と光輝を放つて居るのは此派の明星仏国コラン氏の作であ る、美人樹に倚りて立つの図如何にも癖のない画で写生派の好模範である光 線の取方が薄いので前方の立木が稍扁平に見らるゝのは素人 の僻眼として先づローランスのルーテルに引続き本家本元の結構な大作を拝見し得たのは有難い事だ、中澤弘光氏の「冬の山麓」は沈んだ調子 で確かに冬である殊に写生的の山は雪後の光景よく現はれて 居る、赤松麟作氏の「耕作」は大図だが全幅不整頓で牛の数も 多きに過ぎ物の大小の比較も失して居る、小林萬吾氏の「静」 襖大の作奇麗一方で目には付くが演劇的男舞で此時此場合の静御前が如何なる感想を懐きしやは顔にも形にも現はしてない、和田英作氏 の「衣通姫」は場中一二の苦心の作幾分か静に比しては奥行 もあるが姫の形が無理だ我背子の来べき宵なり云々の歌の心は唯蜘蛛の巣を書いた許では現はれまい而も森の中に姫が立つて灌 木に蜘蛛の巣のある画面では待恋の情と景とに余程離れては居 るまいか併し先回のお七吉三よりはズツと見上げた作だ、橋本邦助氏の 「暮景」は少女と鷺と池と森で何の奇も妙もないが手際のよいので佳作 の部、和田三造氏の「牧場」は大きさでは随一だ三色応用の空の色は漆喰細工に近い、野馬は大に研究したと見えて結構、岡 田三郎助氏の「うつゝ」半裸体の婦人が野菊の花を持つて林中に佇 ずめる所、例の器用な筆には感服するが意匠は余りに平凡では あるまいか、小林千古氏の「釈迦」は人生の両面を諷したるものと思ふが未だ意余りて筆足らず、「軍人の遺子」是は写生で前者よりは遥に 感情を惹きつけるが此人の技倆には丁度恰好の故であらう「書斎」 の図は下女の居睡りとしか見えぬ、こんな下品なものは閉口、頭領の黒田清輝氏(肖像画一二枚出品)久米桂一郎氏等の新作が見えぬのは 物足らぬ次第だ、水彩画では三宅克巳氏の景色十余点其外湯浅、中沢等諸氏の分沢山あるが三宅氏は遉がに専門家で色彩の落 着きと写景の雄大にしては)なのは天下一品惜むらくは水彩画其物が大図をなすに適せざる故多くはスケツチに終れど此人の技倆は年毎に進みて今は老熟の域に達して来た(笑月)

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