今年の白馬会(六)

  • 毎日新聞
  • 1904(明治37)/10/27
  • 1
  • 展評

独り画家のみならず、宏く社会一般に、萬難不撓の志を抱き、 不世出の才を禀けて居り乍ら、生計難に支へられて苦しき煩悶 の下に過しつゝある者が少くないが、其の最も甚だしいのは、詩人画家に於 て然る事を吾人は屡々耳にする、それに引更えて富めりと云ふにもあらねど、生 計の顧慮を要せぬ丈けの産あつて、着々芸術研究の為めに一身を抛ち得る者は蓋し先づ幸福なる人と云つて良い、白馬会々員中、湯浅一郎氏等も其一人であるとの事である、氏は又非常に熱心 なる研究者の一人だそうである此等の噂を吾人は氏の製作が年々 歳々、駸々として進んで行くに就けて確かに首肯せらるゝのである、
湯浅氏 の製作今年は、薔薇花、つれづれ、水仙、の三点で、つれづれは場中屈折の大作で ある、小なる鉢にさゝれたる唐水仙、此より稍大なるは薔薇花共に、一枝の花たるに過ぎざれど、画に温かみあり、湿いが見えて居て、花語はんかと想はるゝ、 此の二点は何れ劣らぬ呉の二嬌とでも云ふべき美はしさであるが、何れかと云へ ば吾人は矢張薔薇花の方がよく出来て居ると思ふ、つれつれに至つては、昨年の裸 体画と共に氏の傑作であろうと思ふ、此絵に就いて最も快く感 ぜらるゝのは後景、窓外の雨である、山色微茫たり、降りみ降らずの湿雨、簫々又寂々、此の景あつて此の情を真ならしむる誠に切である、 窓に腰かけてその柱に背倚せたる人物、「モデル」の姿も美しかつたのであろうか、積 年研鑽の技此所に現はれて、体格、衣の色、実に一点の批難すべき処がない、
説をなすものあり腰の辺に垂れた手が余りに力ないが為め に「つれづれ」であると云ふより疲労倦怠と云ふ様に見えると、蓋し此は望蜀 の慾であろう。
安藤仲太郎氏の 風景四点、繊麗な描方で雪残れる畑の絵が最も眼に止まつて居る、斜に勾配ある畑地に近く木二三本あつた方も よいが後の二枚は、一向感心しなかつた松野清氏と云ふ人の絵が此と並んで三 点ある矢張風景画で、その描方の柔かい処、色の鼠がゝつて薄 い所、安藤氏のと間違へる程で此の内では始めと終りとを取る

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