今年の白馬会(五)

  • 毎日新聞
  • 1904(明治37)/10/26
  • 1
  • 展評

関谷敬治氏の 夕の湖、朝の湖、後者は前者に比して稍大に森の間より見る山中の湖水の絵である、青黒い色癖あり、総体に重くろしい描方で時刻が時刻だからでもあらうが誠に陰鬱で看る者をして坐ろに肌寒からしむる様な、薄気味の悪い絵である、画家の感じが此うであつたのならば、致方がないが山中 湖の幽寂にして又清浄なる感じは此絵に得られなかつた
次に長原 孝太郎氏の油絵五点が掲げられた曰く菊花、肖像、少女、エゾ菊、菊花とで皆何れも習作とで も云つたら宜いか一個の絵画としては甚だ無価値のものである、成程、右の内でも最後の菊花などは、黄菊、白菊、大輪小輪、爛慢として咲きそろひたる花 計りを描かれたもので、輪の描方、色等の工合は、丁寧親切、大に後進初修の人の菊花を描く上に、また凡ての花を描く上 にも参考に成るであろう、随つて其骨折の程は実に謝するに足るべしであろ う、が、しかし此等の絵が就いて見る者に何れ丈ケの感化を与へ得るか、何 れ丈ケの慰楽を恵み得るか、危い哉、今や時、軽風暖光、 到る処、正真正銘の菊花は天真、自然の芳香を縦つて咲 き乱れて居る、如何に技巧の妙を盡したりと雖も、残念乍ら自然の物には及ばない、独り三点の菊花計でなく、肖像も亦同様の感を吾人に起させるのである、氏は斯道の先進今や後進指導の職にあら れると聞く、吾人は数年前、「めざまし草」表紙の裏に書かれたる、小品 (狂画 めきたる)及び爾来折々雑誌新聞の印刷物に掲げられたる此種の線画が軽妙飄逸数寸の小紙面にしてよく物の情を語り盡 し、現はし盡せるを想起する毎に氏が斯る方面富韻饒趣の妙技に感 嘆の念を禁じ得なかつたもので而て此会に陳列せらるゝ氏の作物の年を追て乾燥無昧となり行くのを思ふて、嘆かざるを得ないのである、人は各 自己れの特徴がある、特徴を知つて之を守らなければ、迷に入らなければ ならぬ油絵でなければ絵と云ふを得ず、大幅でなければ絵の価値がないと云ふ理が何 くにあろうか、吾人は切に其の反省を乞ひ、潜み勝ちなる天禀の長技をして益々光明あらしめん事を切望の至に堪えざるものである

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