白馬会展覧会(二)

  • 日本
  • 1904(明治37)/11/08
  • 3
  • 展評

一、自画像(熊谷守一) 趺宕の筆致梢ゝ疎雑に流れる嫌ひはあるが、併し覇記瀟幅、渾然とした処がある。其人に対するこの画像に対するが如きものがあらう か。
一、風の海、雨後(小林鍾吉) 俗世間に名高き大家の作であるが一つとして感服すべきものはない。布置要を欠ぎ、着色最もナマである。醜悪の作とい ふべし。
一、海辺(中沢弘光) 海辺に引上げたる舟の中に在る裸体船頭を画いたものであるが、元来船頭の如きものをかゝる不自然の位地に置いて果して適 當の画幅を得るであらうか、といふことが問題であらう。其骨格肉色等一部々々一部の写生は兎に角、全体に於て其弱々と力の入らぬ処、少しも船頭といふ感じ が起らぬ。のみならず、其キヤシヤな筆つきは如何にも病身らしく、船頭でも漁には堪へぬ男だらうなどゝいふ悪評もあつたやうである。かゝる小細工な画は外 にも沢山あるが、恐らく白馬会の一弊処と見るべきものであらう。
一、少女、エゾ菊(長原孝太郎) 大家の作とも思はれぬ程何れも愚劣を極めて居る。誰 かゞ、美術学校の一年生になつて今一度勉強なさいといふ画の出来映えだなどゝいうてをつた。強て中でよいものといふのを上げれば、こゝに上げた二幅位であ らうが、併し世間にいふ大家といふことを全く忘れて、長原孝太郎といふ一無名画家として奨励的に品隲する場合の賛辞に過ぎぬ。
一、つれつれ(湯浅一郎)  温泉宿のやうな一室の窓に少女の腰掛けた図である。画風真面目で一点のゴマカシのない処が所謂黒人の賞賛を得た原因であらう。単衣の著具合尤も柔かで如 何にも苦心のあとが見える。全幅の感じも左程悪いことはないけれ共、欠点を上ぐれば一二に止まらぬ。背景は朦朧として雨中の景のやうであるにも関らず、少 女の光線が如何にも強い。若し少女に許り光線があたつて居るとすれば側の障子も明るうならねばならぬに是は暗い。さうして下の畳が却つて明るいといふやう な不調子な処がある。其不調子は自然この画の局部々々にも多少非難の跡を印して居ると思ふ。

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