裸体画問題に就て(承前)

  • 写裸躯斎(投)
  • 二六新報
  • 1903(明治36)/10/02
  • 1

夫れ警視庁が警察眼を以て事を処理する固より當然の事たりと雖も、事実に照して之を察するに警察眼中毫厘の美術思想だも含有せられざる今日に於ては、警察眼なるものは全然美術の盲者たるや明かなり、美術の盲者に委ぬるに美術展覧会に対する生殺の権力を以てす、政府の無責任なる驚くに堪へたり。
此裸体画問題に就ていつも議論の焦点と成る者は彼の白馬会と称する技芸家の一団体なりとす、今其第八回展覧会の上野公園に開設せらるゝを聞き、直に徃て之を観たり。裸体画の陳列せらるゝもの実に十数点、而して全身裸のもの有り、半身裸のもの有り又別室を設け美術研究者に限り、特別券引替に一々帳簿に住所姓名を記さしめて入場を許可し居れり、此の室に陳列せらるゝ所の作品も亦室外のものと少しも撰ぶ所なし奇なる哉。
真に奇哉である、長年の間其解決に苦しんだる裸体画問題はいよいよ落着に及んだものか、画中の人物の正面にして一片の薄布だも纏はざるも其精神毫も卑劣ならざるに於ては公衆の観覧に供せられたり、是れ慥かに腰巻時代は勿論、今春の第五内博時代に比し我行政者の思想に一大進歩を来したるものなり、サテさうして見れば別室を設けて厳重なる取締を為さしむるが如きは果して如何なる意味ぞ、別室中の画は其精神に於て許す可らざるの点あるか、背面は全面よりも猥褻なりと云ふ可きか、又春秋の如き画題は之を風景画にのみ許す可くして人物を以て現はす可からざるか、春秋の風景は単に春秋の風景たるに過ぎずして春秋に非ず、真の春秋は独り人物を以て理想的に描出するの外なきを知らずや、是に於てか今回白馬会に対する當局者の処置奇ならずと云ふも得可からず、是れ裸体画問題の第四期である。
我政府は美術に対して何故に斯く無頓着であるか、美術が我社会に如何に必要なものであるといふ其度合を知たならば、マサカ今日の如く厄介者視して、いゝ加減な処置をして平気で居る事は出来まいと思れる。
抑も我国の国是は美術工芸を発達せしむるに在つて美術工芸なるものは美術より生じ美術は絵画を本となす、而して絵画に人体研究の必要あることは我邦従来の美術に其研究の欠けて居るだけそれだけ愈々急なりとする所である、此の点より論ずれば仮令習慣上一時奇異の感有るにもせよ、充分に裸体を奨励してこそ、美術の発達を企画す可きである、然るに我政府の當局者はお先真暗にして此辺に考の及ばないのは誠に悲しむべきことではないか。
蓋し内務當局者の方針は明治三十年以来今日に至るまで別に変つた所はない様であるが、只美術品鑑定の実権が警視庁に在るを以て、年々其選を異にし芸術家をして途方に暮れしむるのである。
今より以後速かに美術展覧会に対する法規を制定し美術品展覧認否の権を警視庁のみに一任することなく、専門の知識を具へたる機関を置き、社会の治安と美術の奨励と共に円満なるを得べき完全の方法を講究せんこと真に刻下の急務なるを信ず。(完)

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