白馬会展覧会概評

  • 牛門生
  • 毎日新聞
  • 1902(明治35)/10/16
  • 1
  • 展評

◎評を書くとなると、兎角多少名のある人とか、坪数の大なるとか、是非の評判の喧しき者とかを評の目的物とするのが多いので、其結果或る人々のは毎回よかれあしかれ評判に上り、名の知られぬ後進子弟のものは一度も評中の物とならず仕舞になり、世間では如何なる後進の頼もしき出品あるやを知らで了る場合が多い、此等は展覧会に対し誠実を盡した批評の仕方でない、苟くも批評するからには自他ともに注意すべきことだと思ふ、
◎今年の白馬会展覧会にも例に依り美術学校の学生又は今年卒業位の人の作も甚だ多く、中には頗る有望のもある、橋本邦助氏は九点出して居る中で花摘みは身上相応に苦心の作だろうが、人物はまだ割合が附いて居ない、又屈んで居る両足が膝から下は一とつになつて居る、井戸端の人物は之に比すればズッと好い、割合も附き居りて円みもある、井戸は少しビール樽位に小さい野田昇平氏の(一二)風景は写真染みて居れど先づ出来の方か。未だ其段に至らずして頻りに所謂大作に走せるのがある、其勇賞すべきも徒らに之を外に発して悦ぶは所謂匹夫の勇のみ、若し此勇気を駆りて大作の下地たる修練に向はゞ他日の成効は必ず期すべきであろう、寧そ小さければ見られたらん画も之が為めに見られず、観客も困る結局両損に帰し了る如きは惜いものだ、金魚売、勤行等も其類なるが。渡辺亮輔氏の水汲みも今少し趣味ある意匠を以て小さく画いたなら好かろうにと思ッた、左の腕は少し棒の方であッた、水の色は何事ぞ、見るからに不愉快を感じる。岡野栄氏の(二一)「勤行」は写生が余り細工過ぎて平たき金梃子頭を現出したが、此苦心を以て今少しく趣味あるものを作らせたかつた、雨後の桜は出来の方か。橋口清氏の(四九)風景の海は一寸よく出来て居た、後庭も好い、天王寺畔は感服しない。
◎郡司卯之助氏は毎回出品が多いやうに記憶して居るが、此度も十二点を出して居る就中目に附いたは鶏と大川口で、鶏は色の調子もよく、■も柔かく出来て居る。大川口は船の影を■せる水の写方がよく出来て居た。
◎中丸精十郎氏は二十点近くの油絵を掲げて氏が得意のモザイク以外に巴里持参の気焔を吐いて居る、旅行紀念の小画は一寸受けたやうだ、稲叢と菊畑など佳品である、コロンボ港は海の描方が如何はしく感じた (牛門生)

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