『裸体論』に就て(つゞき)

  • (廿三日於青年会館学術演説会)
    理学博士 坪井正五郎氏
  • 読売新聞
  • 1901(明治34)/11/27
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△隠し処の始まつた起り 今度白馬会の裸体画で世間の八釜敷云ふのハ黒田さんが出品された美人の裸体画に下谷警察署長が腰巻 をさせたのが問題となつたのでありますが、之れハ裸体画が悪いと云ふ訳でハなくて隠 すべき処を隠さないのが悪いと云ふのでありますから、故に裸体画が彼だ斯 だと云ふ必要ハありますまいと思ひます
隠し処に就てハ世界各国色々に違つて居りまして、馬来地方の如きハ人に臍を見せる事を非常 に嫌ひましてハダカになると直ぐ臍を押へるのが常になつて居ります又回々教抔でハ 人に顔を見せる事を大変嫌つて平常皆んな顔を覆つて居ります、其 他或ハ後頭部或ハ足の裏と云ふ様に色々の処を始終隠して居る処が沢山ありますが、之れ等ハ何れも卑猥の感じを除いて其 国々の一つの禮義となつて居るのでありますから若し隠さなければ無禮となるので皆んな隠 すこととなつて居るのであります
身体にに装飾を施すと云ふ事ハ何所の国でも皆あつた事でありまして、之れハまだ衣服の出来ない時代から、原人よりズツト以 前の頃から行つて居たものに相違なく或ハ針巻をし、或ハ黥をすると云ふ様に耳又ハ鼻に穴を明けて輪を下げるとか、手や足に輪 を嵌るとか種々の装飾を施して居る内に何所が一番装飾の仕 栄へがするだらう抔と云ふ考へから腰に思付いた様な事でしやう、腰ならバ 一本の紐さへ巻けバ何でも下げる事が出来るばかりでなく容積がある為めに思ひ切た立派な装飾が出来て人の目にも立つと云ふ処から或る一人 が行り始めたのを他の者等が見て成る程之れハ面白いと云ふので皆 んな真似をして腰巻を為し始める、之れが段々の習慣になつた結果腰 にハ是非とも腰巻をしなけれバならぬ若し腰巻をしずに居れば無禮になると云ふ事に なつて、仕続けて来たのでありまして、始めハ装飾の為めに態々腰に紐を巻い て種々のものを下げて居たのが習慣になつて腰巻と云ふものになつて来たのが、此の 腰巻なるものゝ起りました元であらうと思はれます
私ハ此事に就てハ別に 褌論と云ふものを以つて居りますから之れハ別にお話しする事として茲にハ深 く申しませんが今晩の演説ハ単に裸体論と云ふので裸体の定義 と云ふ事に就て別に深い考へもなく全くハダカ其侭の出鱈目を申し上げました様な次第で御座います(をはり)

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