『裸体論』に就て

  • 坪井正五郎(談)
  • 読売新聞
  • 1901(明治34)/11/25
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一昨日神田美土代町の青年会館において開かれたる学術演説会に於て理学博士坪井正五郎氏の演説せる裸体論ハ裸体其ものの定義、裸体論の起元及び隠し処の起 元、の三つに別ちて演説したる者にして時節がら面白き節多けれバ左に其の要領を記すこととなしぬ
私が今晩皆さんにお話し仕様と思ひますのハ先日の白馬会に出品された黒田氏の裸体画に就いての問題でハなくて裸体其のものゝ定義に就いてお話ししやうと思ふのでありま す
△裸体とハどういふ意味か 裸体画問題の出ましたのハ余程古い事で十何年前 かに矢張り黒田さんが画てどつかへ出した事がありましたが其れから度々大問題となつて学者の説も殆んど言ひ盡くしてある様ですが裸体其の者に就 ての意見ハどなたのもまだ聞た事がありませんから、裸体即ちハダカと云ふものハ何であ るか、どう云うものを裸体と云うのであるかと云う事に就いてお話しをしたいと思ふ、是ハ今後も益々裸体問題の盛んになるべき現今の形勢としてハ決して旧 くない極めて走りの説であらうと思ひます、
で、色々字引抔を調べて見ま するに物集定見氏の日本大辞林にハ『きものを脱いで肌を現はしたのである』と書い て有りますが然らバ衣服の無い者ハどうします昔しの雲助の様に衣服を持 たない者ハ脱うとしても脱ぐ事が出来ませんから衣服のないものの裸体ハハダカと云 はれないことになつて来る故に此定義ハ不完全といはなければならぬ、次に矢張り同時 代の大槻文彦氏の字引を見ると『裸体ハ肌明の約にてハダカなり衣 なくて肌の現はれたるもの』斯う書いてあります、其れなら身体の上部即ち顔 、頭等ハどうします又手、足に衣のないのもハダカと云ひましやうか決して其うで ハないのであります、其外色々西洋の字引抔も調べましたが何れも衣服なきを裸体 として有る位で之れが完全であると認められる者ハ一つもありません、
然らバ如 何云ふのが裸体であるか、手、足、顔、頭等を出して居ても裸体とハ無論 云ひません併し肌の内で若し胴を出したなら是が即ち裸体と云 ふのであります、之にハ支那の文字が一番完全して居る、支那のハダカの文字ハ 裸、■、■と書きますが第一ハ果の衣第二ハ果の身第三ハ面倒だから云 ひませんが之れが一番理に嵌つて居つて所謂半ばハダカと云ふ意味で文字の 組立が大いに善いと思ひます、其外現今日本で書いて居りますのハ裸体、■体、 赤身、光身等であります又支那でハ生れつきの裸体即ち蛇、蠑■、蛭、蚯蚓の様なものを裸蟲と申しまして此の裸蟲の長ハ何でありましやかと云へバ 人間が裸蟲の長であると云つて居ります尤も人間の中でも野蛮人種抔にハ生れつき随分毛の沢山生へて居る者も有りますが之れ等の小 部分ハ除いて其の大部分ハ生れつき身を覆ふものがありませんから裸蟲の 長抔と云つたものでありましやう又人間の中に就て云へバ胴の部分を現したのを裸体と云ひ全部を現はして居りますのを赤裸体と云つて居ります是が即ち完全な定義でありましよう。(つゞく)

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