裸体画問題(三)

  • 東京美術学校長正木直彦氏談
  • 読売新聞
  • 1901(明治34)/11/06
  • 1

裸体画に附いてハ私の想像する所でハ△政府の方針が一定して居 ないかの様に思はれるので美術家ハ五里霧中に彷徨するが如き有様が あるのです此回の白馬会に附いての出来事もツマリ下谷警察署長が風紀を害するものと認定したと云ふより外ハ無いのでしようが然し認定と云ふと実 に漠然たるもので美術家に取つてハ少々困る事があるのです△裸体画だか らとて必ずしも鄙猥と云ふ筈も無いでしよう何故なれバ絶対的に裸体画が 鄙猥だと云へバ青錆のある小さな銅像も又宗教画の羽の生へた天使 などの画も鄙猥と云はなけれバならぬような訳合となる、更にこの論法で云ふと 昔から有振れた人形も裸体でハいけぬと云はなけれバならぬ道理です△仏、伊 、独などの外国から輸入する諸雑誌にハ白馬会に出て居るコランの筆 よりもモツト云はゞ劇しいと思はれるものが沢山あるのです然るに此等のものハ無事 に△ドシドシ税関を通過して居る
此等の事を考へて見ると政府の方針が或る部分でハ禁止せられ或る部分でハ関はぬことになつて居りハしないかといふ考を起すものもあるかもしれぬマサカ外国から来るものハ不問に附すといふ事ハ無論無い筈ですが△當局者の認定によるといふことであれバ矢張り白馬会のも先づ判断 して認定したものに相違ないことでしようがその判断が果して真に一定の方針があつて美術を識別する脳髄を持て行つたかどうかといふことハ問題でしよう△或 は印刷に附したものと描いたその侭の画とハ相違があると云ふ説を為すも のもあるが然し日本の印刷物ハ兎も角も欧米殊に仏、伊、独など から輸入する雑誌などにある印刷物ハ下手な画家の画いたものよりハ寧ろ優 つて居る位で印刷物と画との区別ハ殆んど無い筈ですまさか絵画 ならバ美術で印刷物ならバ美術で無いと云ふ事もありますまい、然らバ政府ハ
△場所の公私に区別を立てるか
即ち博覧会の如きものにハ出品しても差支ないと云ふ訳でありますか現に黒田氏などの裸体画ハ内国博覧会へ出品した時にハ賞を得た事もあり亦巴里大博覧会 に出品した時も矢張同じ事で、此等の点から考へて見ると或ハ 政府の仕事と私人の仕事の間に多少の手加減がありハしないかといふ疑が起るのです△或人が斯いふ事を言つて居る彫工会にも度々裸体画を出品したが岡崎氏の裸体画を或る場所へ出品したら相談的に拒まれた事もあつたそうである△要するに政府の処置が仕事と場所の公私によつて異つて居る様に思ハれる、此等ハ前に云つた様に一定して置 いて貰ハ無いと技術家ハツマリ方向を定める事が出来ないので非常に迷惑 する様な有様があるのです (つゞく)

前の記事
次の記事
to page top